ジェイドありえない5題 5.屈託のない笑顔

 読書をしていたジェイドは、僅かに開いていた扉がきいと鳴ったことに気づいた。小さな足音が自分に近づいて来るのを、相手を驚かせないようにそのままの姿勢で待ち受ける。

「ジェイドさんジェイドさん、一緒にリンゴ食べるですのー!」

 名を呼ばれ、顔を上げる。一瞬の後、声の主は小柄であることを思い出して床の方に視線を向けると、そこに空色のチーグルがいた。頭の上、耳の間に器用にも真っ赤なリンゴを乗せて、ジェイドを見上げにこにこ笑っている。

「おや、ミュウ。ルークではなく、私とですか?」
「はいですの!」

 珍しいものだと問えば、ミュウは大きく頷いた。途端リンゴを取り落としそうになり、慌てて小さな両腕で掴みそのままゆっくりと床に置く。掌だって小さいのに、器用に掴めるものだとジェイドは感心した。

「ご主人様は、他の皆さんと一緒にたくさん食べてるですの、でもジェイドさん、呼んでも来なかったですの」

 きらきらした大きな目で見つめられ、ジェイドは苦笑する。そう言えばどのくらい前だったか、部屋の外から自分を呼ぶ声がしていたことを思い出した。

「ああ、そう言えば呼ばれていましたね。ちょうど読んでいた本が良いところでしたので、ついお断りしたんですよ。付き合いが悪くて済みません」

 今まで読んでいた個所に栞を挟み込み、本を閉じる。邪魔にならないよう避けて置いた後ジェイドは、屈んでリンゴごとミュウを抱え上げた。テーブルの上に置いてやると、ミュウはその場にぺたんと座り込む。

「ご本読んでましたの? ボク、もしかしてお邪魔したですの?」
「いえ。切りの良いところまで読み終わりましたので、そろそろ休憩しようかと思っていたんです。ですから構いませんよ」

 既に閉じてある本を示す。他人の邪魔をしたのかと不安げになっていたチーグルの仔は、ほっと安心したように満面の笑みを浮かべた。

「よかったですのー! それじゃあ、ボクと一緒に食べるですのー!」
「そうですね。一緒に食べましょうか、ミュウ……と、そのままだとお行儀が悪いですね」
「そうですの?」

 丸のまま持ってこられたリンゴを前に、ジェイドはふむと顎に手を当てて思案した。このまま直接がぶりと行くのは自身似合わないし、下手をするとミュウの分まで食べてしまう可能性もある。ナイフは……確か手荷物の中にあったはずだ。

「そう言えばご主人様たち、リンゴをブウサギさんにしてたですのー。ボクもブウサギさんリンゴ、食べたいですのー」

 ふと己の主たちを思い出し、ミュウがきらきらと顔を輝かせた。え、と顔をしかめるジェイドの視界には、食べたいですのと全身で主張する空色のチーグルの期待に溢れた表情が映り込む。

「……よりにもよってブウサギですか……」

 おいジェイド、一緒にリンゴ食おうぜ。ブウサギカットな、ブウサギ!

 金の髪と浅黒い肌の主が、しょっちゅうそんなことを言って困らされたことを思い出して、ジェイドは小さく溜息をつく。だが、そんなことをこの聖獣の仔は知らないだろう。それにリンゴをブウサギカットにするのは、幼い子どもが親に良くして貰ったものだと言う話をどこかで聞いたことがある。恐らくはルーク辺りがそうして欲しいとだだをこねて、ティアかガイが綺麗にカットしてやったのだろう。

「分かりました。ちょっと待ってくださいね」

 そこまで考えて、ジェイドは立ち上がった。手荷物の中を探ると、折りたたみタイプのナイフが底の方に落ちている。それを取り出して席に戻ると、グローブを外してコーヒーカップを乗せていた皿から降ろした。小さめのカップソーサーだが、果物皿代わりに使うくらいであれば問題は無いだろう。

「これで良いでしょう。ミュウ、リンゴを貸してください」
「はいですのー」

 渡されたリンゴは、エンゲーブの焼き印が入ったもの。確実に甘いものであろう、赤く染まった皮をハンカチできゅっと拭い、6つに割る。芯を取り、皮に切れ目を入れて余分を剥く。同じ作業を6回繰り返し、程無く皿の上には6匹のブウサギたちが勢揃いしていた。

「…………はい、こんな感じですか?」
「みゅー♪ ブウサギさんリンゴですのですのでーすーのー♪ ボク、リンゴ大好きですのー」
「ええ。どうぞ、ご希望のブウサギリンゴですよ」

 くるくると回りながら全身で喜びを表現するチーグルに、思わずジェイドは顔を綻ばせる。細められた真紅の瞳は大好きなリンゴの表面と同じように穏やかで優しくて、ミュウはもっともっと笑顔になった。

「みゅう! ジェイドさん、一緒に食べるですのー!」
「そうですね。では、いただきます」
「はいですのー。いただきますですのー!」

 同時にしゃくり、と音がする。
 甘い甘いリンゴを食べながら、優しいジェイドの笑顔を眺めて。
 ミュウは、とっても幸せそうに耳を大きく揺らした。


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