紅瞳の秘預言01 預言

 焔が2つ、燃えている。
 真紅の焔と、朱赤の焔。

 金の光が舞い踊る中。
 消えかけた真紅の焔に、同じように消えかけた朱赤の焔がそっと寄り添い。

 あかい焔は1つになった。


 手を伸ばし、ベッドサイドに置いてある愛用の眼鏡を取った。
 上半身を起こし、前髪を掻き上げながら眼鏡をかける。レンズを通して見える瞳は、血のように赤い色。
 軽く頭を振ると、さらさらとくすんだ金髪が流れた。ゆっくりと身体を動かし、ベッドから下りて一度軽く伸びをする。
 刻まれた譜により生来の色を失った瞳が、くるりと周囲を見渡した。そうして最後に視線が止まったのは、今日の日付を表している暦の上。
 新創世暦2015年・ローレライデーカン・レム・48の日。
 最初に月日を、その後に年を確認して、ジェイド・カーティスは小さく溜息をついた。


「おい、ジェイド」

 若くして即位した今代マルクト皇帝ピオニー・ウパラ・マルクト9世は、平然と幼馴染みの執務室に居座っていた。どうやら自身の仕事を持ち込んだらしく、数枚の紙をぺらぺらとめくりながら時折ジェイドの顔を伺っている。
 書類にペンを走らせながらジェイドは、意識の一部だけでピオニーを追っている。端から見れば皇帝を無視して執務に励む部下とも取れる光景だが、今仮に皇帝を狙う刺客が出現したならば次の瞬間、その愚か者はジェイドの槍に貫かれているだろう。
 もっとも、既に『死霊使い』の名でオールドラントに知れ渡っている彼の執務室を狙う心臓の持ち主など、そうそう世界には存在しないだろうが。

「何です? 陛下。一介の軍人の執務室でくつろいでいる暇があったら、さっさと執務にお戻りください」
「明日までに必要な書類はまとめて片付けたぞ」
「議会から意見書が提出されていたはずですが」
「よく知ってるな」
「陛下のことはすぐ私の耳に入るようになってしまっていますのでね。何で貴方が仕事を溜め込んで私が怒られなくちゃならんのですか」
「そうか、みんなよく分かってるじゃないか。ああ、意見書なら今読んでるこれがそうだぞ」
「ご自分の部屋で読んでください。私が見たらどうするんですか、議会が軍部への情報漏洩などと突き上げてきますよ」
「構うか。軍人のお前じゃなく、研究者としてのお前の意見が聞きたい話でな。あとお前は口が堅い」
「……はあ」

 大概の相手なら口でやりこめられる自信のあるジェイドであったが、さすがにこの皇帝相手では分が悪い。小さく溜息をついてペンを置き、インクに蓋をしてから立ち上がる。

「意見くらいなら構いませんが。本題は別のところにあるのでしょう?」
「分かってるなら最初から素直に聞けよ。もっとも、意見書の方も一応本題だけどな」

 ぱたぱたと数枚の白い紙がまとめられた意見書でテーブルを叩きながら、ピオニーは自分の隣に腰を下ろすジェイドを見つめる。青く澄んだ瞳に真剣に見つめられるのは、ジェイドにとっては己の奥底までを見透かされるようで。

「……どちらから、先に」
「意見書は後だ。まず聞こう、ジェイド。何があった」

 ばれないとでも思ってたのか、何年付き合いがあると思ってるんだ。
 溜息をつきながらピオニーが続けた言葉に、ジェイドは観念したかのように顔をうつむけた。


 そうして、時は流れ。
 感情とは関係なく浮かべることに慣れきった、うっすらとした笑み。それを顔に浮かべ、一礼するとジェイドは緑の髪の少年に話しかけた。

「少々予定外の事情が起こりましたので、エンゲーブに入ることにします。配下の疲労も溜まっております故そこで24時間の休息を取り、キムラスカ国境に向かうことになります。もうしばらくご不便をおかけすることになりますがご容赦を」
「いいえ、お構いなく。エンゲーブといえば、オールドラント全域の食料庫のようなところですよね」
「ええ、料理も素朴ながらなかなかの美味と聞いていますよ。アニスも味わっては如何です? 産地直送ですし、観光地というわけでもありませんのでお値段も手頃かと」
「ありがとうございます、大佐。イオン様と一緒に味あわせていただきますねー」

 濃い色のくせっ毛をツインテールにまとめた少女は、自分がイオンと呼んだ少年と視線を合わせて微笑む。こうやって見比べた時、さほど年齢が違うとは思えない少年……ローレライ教団導師イオンと、少女……導師守護役アニス・タトリンが、実際には2桁の年数を年齢差として持つことは、この場にいる人物ではイオンしか知らない。
 本来ならば、そのはずだった。

「では、今しばしお待ちください。失礼いたします」

 深く頭を垂れ、ジェイドは退室する。入口の両脇に立っている己の部下たちを見返すこともなく、普段と変わらぬ歩みで艦橋を目指す。
 つい先刻、この地域を管轄している部隊から盗賊団追跡への助力依頼があった。巨大陸戦艦タルタロスによる馬車の追跡という世にも滑稽な鬼ごっこの中、1台の辻馬車を発見した。
 『記憶』のとおりなら、あれには彼が乗っている。

 真紅の焔に己の全てを明け渡して消えた、朱赤の焔。


「食料泥棒を捕まえたんだ!」
「違うっつってるだろーが!」

 エンゲーブの代表でもあるローズ夫人と話し込んでいる最中、にわかに表が賑やかになる。そういえば、少し前から食料泥棒が出ているのだと夫人が困った顔をしていた。
 押しかけてきた住民たちが食料泥棒だと言って威勢良く突き出したのは、明るい赤の髪を持つ青年。伸ばされた毛先は夕焼けの色が抜け、金へと変わっている。
 むすっとふて腐れた表情の中に、どこか不安げな色がよぎる。そのことに、ジェイドは気づいていた。

 ──この時から既に、この子は自分の話を聞いて貰えなかったのだ。

 ぽとり、と胸の中に黒いシミが落ちる。それを振り切るように、ジェイドは地面に座り込んだ青年と視線の高さを合わせるように跪いた。

「マルクト帝国軍第三師団師団長、ジェイド・カーティス大佐です。ジェイドと呼んでいただいて構いません」
「……ルーク」

 ふくれ面のまま、青年……ルークはジェイドに答えるように自らの名を名乗る。ルークですね、と一度口の中で呟いてから頷いた。

「貴方は、食料泥棒を働きましたか?」
「してねーよっ! そりゃ、さっきうっかり林檎1個勝手に食っちまったけど!」
「そ、そうです! ルークは、林檎を1個食べただけです」

 ルークの返答に重なるように、少女の声が聞こえた。そちらに一度視線をくれ、小さく頷いてから手で抑えるよう促すと、前髪で右目が隠れている少女は口を閉じる。
 やはり、彼女も一緒に来ていた。そのことに少し安堵し、質問を続ける。

「では、きちんと皆さんにそのことを言いましたか?」
「言っても聞かねえんだよっ! 林檎盗んだから食糧倉庫荒らしたのもお前だろうって、決めつけやがって!」
「何だ、違うってのかよ!」

 ルークを捕らえてきた男の1人が吐き捨てるように叫ぶ。その口を封じたのは、ジェイドの突き刺さるような冷たい視線だった。

「黙っていてください。一方的によってたかって決めつけるのは大人げないとは思いませんか? 証拠があるのでしたらいざ知らず」
「うぐ……」
「ほら見ろ! 証拠あるならもってこい証拠!」

 ジェイドが自分を擁護してくれたのをいいことに、ルークが声を張り上げた。その額を、ジェイドは指先でぴしりと軽く叩く。

「あてっ! な、何すんだ!」

 両手で額を抑えたルークの目には、涙で膜が出来ていた。視界の歪みでそれに気づいたのか、慌ててごしごしと顔を擦る仕草が子どものようで……いや、子どもなのだけれど。

「少なくとも、林檎をひとつ金を払わずに食べたのは事実でしょう? それは謝ったんですか?」
「え、あ、いや、だって金払ったし!」

 ティアが、と小さく言葉の最後に付け足される。気づかれないように溜息をついてから、これで何回目だろうかとジェイドは内心で首をかしげた。そうして、仕方のないことだと思い出す。

 箱庭の中で、兵器として殺されるためだけに生かされた子ども。
 兵器として起動させられるためだけに必要最小限の教育を施され、それ以外の知識を与えられることのなかった子ども。

 ──反吐が出る。
 そんなふうに、この子を育てさせた預言に。

「悪いことをしたのは事実なんですから、ちゃんと謝りなさい。ものにもよりますが、代金を払ったのであれば今回はごめんなさい、で済む話なんですよ。初めてだったんでしょう?」
「……だ、だって知らなかったんだ」

 無知に罪がない、とは言わない。
 けれどこの子は、意図的に無知にされた。
 知る必要がない、時が来るまで生きていればそれでいいという、そんな理由で。
 ジェイドに、迷いはなかった。


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