紅瞳の秘預言01 預言

「では、今知りましたね? これから間違えなければいいんです。知らないことなら知ればいい、知りたいなら誰かに教えてもらいなさい」

 そこまで言ってジェイドは立ち上がった。軽く身をかがめ、ルークに手を差し出す。

「はい、お手をどうぞ」
「ん、悪い」

 素直にその手を掴み、ジェイドに引っ張り上げられるようにしてルークも立ち上がる。衣服についた土をはたいていると、先ほどの少女が恐る恐る近寄ってきた。

「ご迷惑をおかけしました、えっと、カーティス大佐。ルークに同行しております、ティアです」

 少しだけ頭を下げて、ティアと名乗った彼女はほんの僅か、ルークよりも前に踏み出した。杖を握りしめた手が、小刻みに震えている。本来ならば男性のルークが女性のティアを守るべきなのだろうが、この2人は立場が違う。致し方のないことだ。
「ティアですね。ジェイドで構いません、ファミリーネームには慣れていないもので」と彼女に答え、度の入っていない眼鏡越しに周囲への視線を巡らせる。黙り込んだ住民たちに満足そうに笑みを浮かべ、口を開いた。

「ああ。ちなみに『漆黒の翼』ですが既にキムラスカ方面へ脱出した、と報告が入っています。少なくともルークとティア、この2人は違いますね。私が保証しましょう」
「あ、あんたが言うなら……坊主、悪かったな」
「いや、ええと俺の方こそ、勝手に林檎食って悪かった……すまねえ」

 そっぽを向きながらではあるが、ルークが素直に謝ったのにティアが目を見張る。大きな目をぱちぱちとしばたたかせてルークとジェイドを見比べていた。


「ジェイド」

 少女のような少年のような、涼やかな声が響いた。人垣がざあっと分かれ、出来上がった道の先に立っていたのはイオンとアニス。そういえば、ルークにかかり切りになっているうちに気配が遠ざかっている気がしたが。

「イオン様、アニス。今までどちらに?」
「済みません。勝手ながら食糧倉庫を調べていました」
「イオン?」
「い、イオン様?」

 ジェイドが呼んだ名に、ルークとティアが反応した。2人の反応は良く似ているが、その内容はまるで異なる。だがとりあえずは、目の前の問題が先だとジェイドは瞬時に結論づけた。

「イオン様が、こちらを発見なさいました。大佐、ローズさん、どうぞ」

 アニスが手に持っていたハンカチをそっと差し出す。白いハンカチの上に乗っていたのは、青い毛。あまり長くなく、またその色から人の毛で無いことは一目瞭然だ。

「あら。これはチーグルの毛だねえ」
「チーグルって?」

 ローズ夫人の答えに、ルークがきょとんとする。ちら、と視線を向けたのはジェイドではなく、少しだけ付き合いの長いティア。

「東ルグニカ平野の森に棲んでいる草食獣よ。始祖ユリアと並んで、ローレライ教団の象徴ともいうべき存在ね」
「聖獣でしたか。ここの北の森に棲んでいる、と話には聞いていますが……しかし何故」

 ティアの説明を、軽くジェイドが補足する。うーむ、と顎に手を当てつつルークは頭をひねるが、あらかじめ分かっているならともかく今出揃っている証拠だけで答えが導き出せるはずもない。まとまらない思考を断ち切ったのは、ローズ夫人の言葉だった。

「そういうことを考えるのは、あたしらの仕事だよ。変に巻き込んじまって悪いねえ、許してくれないかい? お2人さん」
「え、いえ……こちらこそ、紛らわしい行動を」
「……今度から気をつける。疑い、晴れたし」

 ティアはまっすぐローズ夫人を見ているが、ルークの視線は地面の方に逸れている。小さな子どもが怒られたときのように。うん、と大きく頷いてローズ夫人は、先ほどルークを引っ立ててきた1人に視線を投げかけた。

「今日はここに泊まっていくんだろ。ケリー、疑った詫びはちゃんとするんだろうね?」
「そりゃもう。今日のお代はこちら持ちということで」
「あ、ありがとうございますっ」

 どうやら宿屋の主人であったらしい、名を呼ばれた男性は肩をすくめつつ髪を掻いた。それに喜んで、ぺこりと勢いよくティアが頭を下げた。一瞬目をしばたたかせ、慌ててルークも少しだけ頭を下げる。長い朱の髪がふわりとなびくのに、ジェイドは僅かながら意識を奪われた。

 そういえば、毛先の金が消えた後、子どもはあまり笑わなくなった。
 自分たちが、笑顔を削り落としてしまったから。

「さて、あたしは大佐と話がある。チーグルに関しては何とか防衛手段を考えてみるから、今日のところはみんな帰っとくれ」

 ぱんぱん、と手を叩きながら大声を張り上げるローズ夫人のおかげで、ジェイドは現実に戻ってきた。


「……あのルークって坊や、キムラスカの子かしらね?」

 淹れたての紅茶を口にしようとして、ジェイドはぴたりと動きを止めた。

「どうしてそう思われます?」
「感じが違いますよ。あの子、純粋培養って感じがするじゃないですか。土の匂いがほとんどしない。マルクトにはあんまりいないタイプですよ」

 ローズ夫人のその言葉は、別に彼の出自を詮索しようとしているものには思えない。どちらかと言えば、迷子になった子どもを預かって心配している、といった雰囲気だ。

「ダアトかもしれませんよ?」
「イオン様がご存じじゃなかったみたいですし。それに、俗っぽいって感じがしますねえ。お洋服は良いモノ着てるんだけど」

 軽く探りを入れてみるが、さらりと返された。この夫人がエンゲーブの代表を務めているのも頷ける。彼女は、人を見る眼は確かだ。

「なるほど。……キムラスカの王族は赤い髪と緑の目が多いそうですから、恐らくその関係かと」
「あらま。何でこんなところまで来たんですかねえ」
「こちらで調べてみますよ。少なくとも悪意はなさそうですし」
「そうだね。ちょっと世間知らずだけど悪い子じゃないようだし。お願いしますよ」

 分かりましたと答え、紅茶を口に含む。穏やかな香りが、ジェイドの鼻孔をくすぐった。


 翌朝。

「失礼します! 大佐」
「敬礼はいい。報告を」

 朝食を摂っていたジェイドのところへ、副官であるマルコが駆け込んできた。
 報告は2つ。
 1つはイオンが置き手紙を残し、アニスと共に姿を消していたこと。これは予測出来ていた。アニスも一緒だという事実に軽く目を見張ったが、かえってその方がイオンは安全だろうと己を納得させる。

「ふむ、疑似超振動ですか」

 そしてもう1つ……報告書に書かれた、超振動の軌跡。キムラスカ王国王都バチカルの上層で発生し、マルクト帝国領タタル渓谷で収束。
 即ち、不法入国。
 戦時でないとはいえ、キムラスカとマルクトは常時睨み合いを続けている。ダアトに中心を置くローレライ教団の取りなしが無ければ、惑星オールドラント全土が戦場と化していてもおかしくはない。

「しょうがないですねえ。……昼過ぎまでに、チーグルの森の入口そばまでタルタロスをつけてください。心当たりがあります。それと、事前の打ち合わせ通りに進めてください」
「はっ!」

 即座に敬礼し走り去っていくマルコの背を、それと悟られぬよう見送る。最後の一口を飲み込んで、ジェイドは立ち上がった。

「では済みません、お世話になりました」
「あら、もう出るのかい? まあ、お届け物は届いたしねえ」
「ええ、皇帝陛下はかなりせっかちでして。その割に妃はまだなんですがね」

 軽く答えてみせると、ローズ夫人はぷっと吹き出した。

「なあに、ご縁ってものがありますよ。行ってらっしゃい、大佐」
「はい、行って参ります。ああ、ごちそうさまでした。またここで料理を味わいたいものです」

 普段はろくに口にすることのない言葉を紡ぎ、ジェイドはエンゲーブを後にした。まっすぐに、北を目指して。


 道に迷うことなく進んでいくジェイドの前方遠くから、人の話し声が流れてくる。1つを除く全ての声を、ジェイドは前日までに耳にしていた。
 除かれた1つも、別の場所で。
「こちらにおられましたか、イオン様」

 だから、何のてらいもなしに名を呼んだ。代表して、森と同じ色を持つ髪の少年を。

「!? ジェイド!」
「あ、ゆうべの」
「大佐!?」
「あー大佐! うわバレちゃった、済みませんっ!」
「みゅみゅ?」

 イオン、ルーク、ティア、アニス。そして最後に発せられた声の主は、ルークの足元で潰れていた青い毛のチーグル。腰回りにつけられた金色のリングを、小さな両手でよいしょと抱え上げる。

「みゅう? 皆さん、お知り合いですの?」
「ジェイドと言います」

 名を名乗り、ひょいとチーグルを持ち上げてみる。どうやらルークに踏まれたらしく汚れている毛並みを軽くはたいて整えてやると、チーグルは嬉しそうに鳴いた。

「ボクはミュウですの。ジェイドさん、よろしくですの」
「はい、よろしく。……さてイオン様、ご説明いただけますね?」

 ミュウと名乗ったチーグルを羨ましそうに見つめていたティアに手渡しつつジェイドは、うつむいているイオンに視線を固定している。……何やらミュウの潰れたような声が聞こえている気もするが、ここは聞き流すことにした。


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