紅瞳の秘預言01 預言

 そうして聞かされたのは、ティアの素性──神託の盾騎士団情報部所属、即ち軍人──、ライガの森の焼失、罪を負うたチーグルの子、そして。

「ライガの女王との交渉、ですか」
「はい」

 ちくちくと、ルークの視線が突き刺さるのを感じる。何も知らぬ第三者から見れば、いい大人が子どもを居丈高に怒っているとしか見えないのだから、当然と言えば当然だろう。
 しかし、イオンにはその存在自体に意味があり、その言動には責任が伴う。それを指摘出来るのは、ここにいる人間では自分しかいないとジェイドは理解していた。だから、口調を緩めることはない。

「確かに、聖獣チーグルとの協力関係は分かります。ですが、せめて私に直接一言くださってもよろしいでしょう? それとも、マルクトの軍人は頼りになりませんか?」
「い、いえっ、そういうわけではないんです!」
「ちょっとおっさん、それ言い過ぎだろ?」

 思わず語気を強めてしまったか。
 ルークの割り込みに、はっとジェイドの頭が冷えた。眼鏡を軽く押さえながら「済みません。言葉が過ぎました、お許しを」と低く吐き出す。その視線は、「……いいえ」と項垂れるイオンと彼に寄り添うアニスを離れた。

「……それでルーク、ティア。あなたがたは、何故?」

 たどり着いた先は、ミュウを胸に抱いているティアと、そしてルーク。

「え、あ、えっとチーグルが……」
「じゃないだろ、ティア!」

 可愛かったから、というティアの声は聞こえていないことにして、ジェイドの視線はルークに固定される。ルークは眉をひそめている。かなり怒っているのがはっきりと分かる表情だ。
 これで前髪を上げれば、──とても良く似ている。
 髪の色を除く造形はまったく同じなのだから、似ていて当然なのだけれど。

「さすがに泥棒呼ばわりされて頭に来てるっつの。真犯人引っ張りださなきゃこっちとしては気が済まねえんだ」
「なるほど。それでイオン様やアニスと鉢合わせして、意気投合したということですね」
「違うんです、ジェイド。僕は戻って欲しいって言ったんです」
「だから、言っただろ! おめーみたいな弱っちいのほっとけねえって! あと術絶対使うなよ、お前めちゃくちゃ疲れるんだからな。いいな!」

 イオンが一歩踏み出して両手を広げる。その緑の髪をくしゃりと掴んで、ルークが語気を荒げる。

 付き合いの浅い、素性もはっきりしていないルークを気遣うイオン。
 自分も訳の分からない状況に放り込まれたのに、イオンを気遣うルーク。

 ああ、確かに貴方の言ったとおりだ。
 この子は優しい。
 優しさの表し方を知らないだけで。

 良かった、と胸の中で呟いて、ジェイドは表情を和らげた。

「……分かりました。気の済むようにおやりなさい。ただし、私もついていきますよ」
「え? ジェイド」
「いいのか? おっさん」

 ぽかんとするイオンとルーク。アニスはどこかほっとした表情を浮かべ、ティアはミュウを抱きしめたままにこっと微笑んだ。

「ええ、今更帰れとも言えませんし。民間人もおられますから、軍に属する者としてその護衛をするのは当然の義務と承知しております」

 ちらりと、ジェイドの赤い瞳の焦点がルークに定められる。びくっとルークの肩が震えるのに反応して、その目は薄く細められた。

「ですからご安心を、ルーク、イオン様。──守ります」

 かすれる声で、ジェイドは己が心臓に手を置いて、呪を課した。


「……なるほど」

 あの日、ピオニーはジェイドの話を口を挟むことなく、最後まで真面目に聞き終えた。そうしてソファの背もたれに身体を預け、しばし目を閉じる。

「狂った死霊使いの戯れ言、と思ってくださって結構ですよ。陛下」
「いや、信じる」

 苦笑しながらジェイドが発した一言に、目を閉じたままのピオニーはそう返した。え、と思わず身じろいだジェイドに反応したかのように瞼を開き、その青い眼でまっすぐに幼馴染みを見つめる。

「他の誰かから聞いた話だというなら、確かに信じられないさ。けれどお前なら、信じる」
「──自分でも未だに信じ切れない話、なのにですか」

 眼鏡を軽く押さえたことで光の反射角が変化し、ピオニーからはジェイドの表情を伺うことが出来なくなった。というよりは、自らの表情を悟られたくなかったのだろう。そうピオニーは判断して、手に持ったままの紙を軽く持ち上げた。

「さっきの意見書だがな。アクゼリュス近郊で微量ながら障気の噴出が認められたそうだ。それだけでなく、ここんところあちこちで同じように噴き出しているらしい」
「……!」
「アクゼリュスは重要な鉱山だ。障気が湧いてるからといって簡単に作業を止めさせるわけにはいかない。そのための対策予算を組んでほしい、とそっちに利権を持ってる議員からな」

 住民の健康被害も問題だし、何しろ今度はどこから噴きだしてくるかも分からない。そこまで言い切り、ピオニーは手に持った紙の中から1枚を選んでジェイドの前に差し出した。

「お前の話だと、2年後にはマルクト側からアクゼリュスに入れなくなるんだろ? 現時点で判明している噴出点のデータがこれだ。話が合う」
「……確か、に」

 その紙に記された地図、そこに描かれた点。ジェイドはその並びから、恐らく今後障気が噴出するであろう地点を即座に割り出していた。
 結果。
 マルクト領とアクゼリュスを繋ぐ道は……封じられる。マルクト領への脱出は困難となり、住民救出のためにはキムラスカ領デオ峠から通じる道を使わねばならなくなる。
 ジェイドが『見た』通りに。

 大地が崩れ落ちる。
 その中で、子どもがひとり、心を壊す。
 泣きそうな笑顔しか浮かべられなくなった子どもが、消えていく。

 ──それで、世界は護られた。

 くしゃ。
 思わず力を込めてしまったために、地図の一部が歪む。軽く引っ張って形を戻そうとするジェイドに、ピオニーは冷徹な表情で命じる。

「障気蝕害になってしまったら、治療は困難なんだよな。だったら防げ。俺が研究者としてのお前に求める意見は、その方法だ。出来ないとは言わせん」
「──はい」
「良い返事だ」

 普段よりも一段階低い声で返された答えに満足し、若き皇帝は普段の──人なつこいながらも威厳のある笑みを浮かべた。一瞬垣間見えたジェイドの赤い眼が、どこか泣きそうにも見えたから。

「後は……フォミクリーについて、なのですが」
「大爆発と音素乖離か。大爆発はともかく、音素乖離はオリジナルでも起こり得る問題だしな。研究する価値はある」

 2人の会話から、感情は意図的に排除されている。
 そもそもフォミクリーの基礎を構築したのはジェイドであり、暴走しかけた彼を諫めたのはピオニーだ。
 その2人が、封印したはずの技術の扉を再度開こうとしている。
 感情など持ち込んでいては、話にならない。

「さすがにほとんどの情報は親父がホドごと吹っ飛ばしたからなあ」

 極秘扱いになっているその事実を、当たり前のように口に出す。ちら、とジェイドの顔に視線をやると、既に普段通りの薄笑いを浮かべていた。感情は、落ち着いたらしい。

「やはりお前が頼りか。記録と記憶はあるんだろ?」
「ええ、まあ。手元の資料は残してありますし……あれが研究を進めている部分は分かりかねますが」

 既に、朱の髪の子は生まれてしまっている。導師も、恐らくは既にレプリカと入れ替わっているだろう。
 時間は、どれだけあっても足りないかもしれない。

「それは仕方ない。お前はお前の記憶してる分で進めろ。後はどうにかしてサフィール捕まえる」

 ここにはいない、もう1人のフォミクリー開発者の名を出すピオニー。ジェイドがぎょっとしてその顔を見るが、皇帝はいつもの顔で平然と構えていた。

「……役に立ちますかね」
「立たせてみせる。譜業ならお前よりサフィールのが上だし、お前がそんな顔してちゃあいつだって気が気じゃないだろう」

 伸ばされた手でくしゃりと前髪を掻き上げられて、ジェイドは自分がどのような表情を浮かべていたのかといぶかった。鏡を見れば、あの朱赤の焔が髪を切った後よく見せていた、同じ表情だと分かるのだけれど。
 泣き虫でいつもジェイドの後を追いかけていた洟垂れ坊主が、いつの間にか先を進んでいた彼と肩を並べるほどの天才と呼ばれるようになっていた。人間、取り柄はあるものだとジェイドも、そしてピオニーも口には出さないが感心している。
 もっとも、これまたいつの間にやら──ローレライ教団の幹部などという、とてもではないが似合わない地位についてしまっているこの相手には、ほとほと困り果てていた。

 いや、サフィールとして帰ってきてくれりゃ俺も何とかするんだけどな。あの頭脳は牢で腐らせるにはもったいない。

 2人きりでいるときなどにたまにこぼすピオニーの本音を、ジェイドは冗談半分で聞き流していたのだが。
 こと状況が状況だ。最初から真剣に聞いていれば良かったかも知れない。
 そんなジェイドの内心を知ってか知らずか、ピオニーは悪戯っ子のような笑みを浮かべるとその肩をぽんと叩く。

「んで、その『聖なる焔の光』はそんなに良い子なのか。ちゃんと紹介しろよ?」
「ええ、それはもちろん」

 ブウサギに名前をつけるほど気に入りますよ、とはジェイドは言わなかった。いずれ逢うことになれば嫌でも分かる。

 かつては守れなかった、朱赤の髪。
 それを、全てを賭けて守り通す。

 理由すら分からないままに5年の月日を遡ってきた。
 それを『記憶』として自覚したあの日に、紅瞳の譜術士は決めていた。


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