紅瞳の秘預言02 出発

 ミュウの案内により、一行はライガの女王が棲んでいる巨木の根元の洞までやってきた。中を覗き込むと、女王は奥の……恐らく巣であろう場所の中央に伏せっている。

「お、いたいた」
「……ふむ。抱卵中のようですね」

 ルークの背後から中を覗き込んだジェイドが、顎に手を当てながら呟く。眼をぱちくりさせながらルーク・ミュウ・アニス・イオンが同時に同じ表情で振り返ったのに、ティアは場にそぐわないと理解しつつも可愛い、と思ってしまった。

「ほうらん?」
「魔物は大概卵で生まれます。その卵を孵すために温めているんですよ」

 代表して尋ねたルークに答えてみせるジェイド。「チーグルも卵で生まれますの」と胸を張ったミュウにふうん、と返したルークは、眉をひそめているティアに気づいた。どうした、と視線で問うルークに、ティアは声をひそめて答える。

「……ライガの仔って、確か人を好んで食べるそうよ。だから……繁殖期前になると、人里近くに棲まうライガを狩り尽くさないといけないのよ。そうしないと……襲われるから」
「げ、マジ?」

 さすがに、そういった事情を聞くとルークの顔色も変化する。ジェイドはちらりと視線を絡ませて、笑顔でのたもうてみせた。

「ええ。他の動物より毛も少ないですし、お手頃サイズで食べやすいのではないでしょうか」
「大佐ぁ、にっこり笑ってそういう台詞は勘弁してくださいよう……」

 冷や汗をかきながらアニスが答える。「冗談ですよ」と答えながらジェイドがルークに視線を戻すと、赤い髪の青年──いや、少年は小さく頷いてみせた。

「冗談きついぜ。……まあともかく、交渉するって言ったもんなあ。おいブタザル、通訳頼むぜ?」
「はいですの」

 ミュウは小さな拳を握りしめて頷くと、ルークの足元をちょこちょこと小走りにライガの女王へと近づいていった。まずイオンとアニス、ルーク、ティア……最後にジェイドが、洞の中に足を踏み込む。

「ミュウ。彼女に、この森から立ち去るように伝えてください」
「分かりましたですの。みゅうう、みゅうみゅうみゅみゅう」
「ぐる……」

 キーの高いチーグルの鳴き声を圧迫するかのように、女王の唸り声は低く地を這う。びくり、と小さな身体を震わせながら、それでもミュウは背後のイオンを振り返り、必死に女王の言葉を伝えた。

「た、たまごが孵るから、さっさと立ち去れ、って言ってるですの……去らねば我が子の餌にする、って……」
「そんな!」

 どうやら女王には、こちらと交渉するつもりはまるでないようだ。むくり、とその巨体を起こし、一歩また一歩と歩み寄ってくるその姿は──まさに、獣の女王。

「イオン様、下がって!」

 守護役であるアニスが両手を広げ、背後にイオンを庇う。ティアが杖を構え、ルークも腰の後ろに下げている剣に手を伸ばした。

 ──何だか、後味悪いよな。

 女王を滅ぼした後、少年は泣きそうな眼をしていた。その生命を断ち切った自分を、憎悪の籠もった視線で睨み付けながら。

 ──ママの仇!

 獣に育てられた少女は、何度もこちらに牙を剥いた。敬愛する導師の声も、彼女にはついに届かずに。

 確かに、後味が悪い。

「ぐおああああああああああああああああっ!」

 女王が一声吠えると同時に、ジェイドは地面を蹴った。右手に融合させてある槍を実体化させ、女王の目の前を一閃させるとくるりと回した柄で思い切り鼻面を叩きつける。

「! 大佐っ!?」
「ぐあう!」

 怯む女王の目の前に着地し、そののど元に槍の穂先を突きつける。「動くな」と普段よりも低い声で告げ、冷たく睨み付けるとさすがの女王も動きを止めた。言葉は理解出来ずとも、己の生命が危機的状況にあるのだということをこの獣は感じ取ったようだ。

「──ミュウ。通訳をお願いします」
「みゅうっ? は、はいですのっ」

 低いままの声が、魔物を含めた全員の背筋を冷却する。それはジェイド自身にも分かっていたことだが、張り詰めた気を抜くことなく彼は女王に対し口を開いた。
 少しでも隙を見せた方が、相手の餌食になるから。

「確かにこの仔は、あなた方の森を焼いて仲間たちに害を加えたかもしれません。ですが、それを笠に着て狼藉を働くのはどうかと思います」

 みゅうみゅう、と必死に通訳するミュウの口調に合わせ、ゆっくりとした口調で言葉を紡ぐ。それがまた、聞いているアニスやルークたちの恐怖を増幅させている、とも気づいているのだが、引くわけにはいかなかった。

「無論、あなた方にも言い分があることは分かっています。ですが、もし怒りに任せてチーグルや人を襲うのであれば、私は容赦しませんよ。──私と貴方、どちらが強いか分かるでしょう?」

 そこまで言い切って、ジェイドは口を閉ざした。赤い瞳は揺れることなく女王をその視界に捉えている。みゅうう、と弱々しいチーグルの声も途切れ、通訳が終了したことを知る。
 ほんの僅か間があって、女王が低く唸った。ミュウが素早く人の言葉に訳し、ジェイドに伝える。

「愚かな人の子よ、この女王を脅すか。って言ってるですの」
「そうとっていただいて構いません」

 事も無げに答えを返すジェイドを、イオンはじっと見つめている。
 あまり長いとは言えないが、この場に存在する人間の中で一番彼と長く向き合ってきたのは自分だ。
 だが、この男はここまで生命を守ろうとしたことがあっただろうか。
 女王とその仔を守るため、というよりは、何か、別の。

「ですが、あなた方が棲まうことが出来、かつ人に危害を加えることの少ない森は他にもある。そちらへ移っていただけるなら、貴方やその仔の命まで奪うつもりはありません」

 ジェイドの視線が、ここで初めて女王から逸れる。向けられた先にいるのは、呆然と立ちすくんでいたルークだった。
 赤い瞳で見つめられ、ルークはどこかに飛ばしていた意識を取り戻す。開かれた口からあふれ出したのは、ルーク自身とジェイド以外の全員を唖然とさせる言葉だった。

「そ、そうだぞ! お前、お母さんなんだろ!? 子ども死んじゃったら悲しいだろ! この森からもっと違うところに行って、そんでもって、人間から追っかけられないように大事に育ててやれよ!」

 みゅうみゅうう。
 ミュウは、ルークのその言葉を1つも漏らすことなくライガの女王へと伝える。ぐる、と喉を鳴らした女王は、やがて少しばかり緊張を緩めた。それに反応するかのように、ジェイドも槍を引く。

「……此度は、焔の子に免じて引こう。って言ってるですの。……森を焼いたチーグルを罰すると約するならば、我らは奥の森に移る、ですの」

 女王は、ミュウの通訳を通じてそう答えてくれた。
 焔の子。
 即ち、朱赤の髪を持つルーク。
 彼に免じ、女王は森を焼かれた怒りをミュウを罰することで収める、と言ってくれたのだ。

「う、うそみたい……」
「……ほんとに説得しちゃった……」

 ティアとアニスは唖然とした表情のままライガの女王とルークを見比べ、その後互いに視線を交わして肩をすくめた。

「チーグルの長老にお伝えします。ローレライとユリア・ジュエの名にかけて、必ず」

 ほっとしたイオンは深く頭を下げ、ミュウを通じて女王に約束した。
 そうして。

「ありがとう!」

 ルークは満面の笑みを浮かべていた。

 ああ。
 この子は、ちゃんとお礼を言える子じゃないですか。
 何故、気づかなかったんでしょう。

 ──あの子が素直にお礼を言ってくれるような事を、私は何かしましたか?


 ライガの移動を見届け、その後チーグルの長老への報告を済ませて一行は森の出口を目指して歩いていた。
 結局のところ、ミュウの罰はチーグルの森からの追放ということになった。季節が一巡りする間、ルークの傍について仕えよ、という命が下されている。

『我らチーグル族にとりルーク様は、ライガの女王を説得して一族を救った恩人である。故によく仕え、その優しきお心をお守りせよ』

 長老にそう言い聞かされ、言葉や能力を増幅するソーサラーリングを託されてミュウは、嬉しそうにルークの足元をちょこちょことついてきている。

「しかしまあ……よく説得してくださいました。正直、あのまま女王の喉を突き破るしかないかと思っていましたからね」

 飄々と言ってのけるジェイドを見上げ、ルークは照れくさそうに自分の白い頬を指先で掻いた。それから視線を逸らし、ぼそぼそと言葉を紡ぐ。

「……母上、俺がいなくなったりするとすっげえ悲しんでたって、ラムダスやガイからよく聞かされててさ。あのライガも母上と同じ思いすることになったら、辛いだろうなって」
「……そう、ね」

 ティアが口の中だけで「優しいのね」と呟いたのには、ルークは気づかなかった。
 10歳でさらわれて、全てを失って帰ってきた子ども。
 ジェイドが『知って』いるルークの母・シュザンヌは、そういった過去もあってかルークには大層甘く、優しい母親だった。
 それは、ルークがさらわれた『ルーク』ではない、と判明してからもずっとそのままで。
 2人の『ルーク』を同じく我が子として慈しむことの出来る母親の愛は、ルークを優しい子に育て上げていたのだ。


PREV BACK NEXT