紅瞳の秘預言02 出発

「……うちのママももうちょっとしっかりしてくれればいいんですけどねえ」

 アニスがどこか羨ましそうに溜息混じりで呟く。イオンはどこかぼんやりとそんなアニスを見ていたが、やがて普段の柔らかな笑顔に戻るとルークを見上げた。

「本当に感謝します。後味の悪い結果にならなかったのは、ルークのおかげですよ」
「えー? いやそんな、俺は思ったこと言っただけだぜ?」

 視線を逸らしたままルークが答えた。こうやって観察していると、視線を合わせないのは恐らく照れているからだろうと簡単に分かる。褒められ慣れていないために、視線を逸らしてしまうのだと。

「ふふ。ルークのお母様は、素敵なご子息をお持ちになりました」
「そうかな? 母上がそう思っててくれれば嬉しいけど。……父上はいいや、全然構ってくれねえから」

 母のことは微笑んだまま口にしていたルークだったが、父上、と口にした途端その表情がこわばる。はは、と笑う声に少し力がないのが丸分かりだったので、ジェイドは小さく溜息をつくと口を挟んだ。

「いけませんよ、ルーク。私は知りませんが、お父上にも事情があるのでしょうから」
「そうかもしんねーけど」

 む、と口を尖らせてから、ルークはふと首をかしげた。不思議そうな顔をして、ジェイドを見つめる。

「って、何であんたが父上のフォローすんの?」
「さて、何故でしょう?」

 その問は、普段使い慣れている仮面を被ってやり過ごさなければならない。薄笑いを浮かべ、本心を表に出さない軍人、という仮面を。
 答えるだけなら簡単だ。

 ──本当は、我が子を愛したかった。17で死す宿命を負わされた我が子を愛することは……あまりにも辛すぎた。

 ──死の宿命を逃れたはずの我が子を、再び死へと送り出さなければならないと知って父親は嘆き悲しんだ。

 その姿を、知っているから。

 けれどそれは、この世界では未だたどり着かぬ時間の話なのだから。
 答えを口にするつもりは、ジェイドにはなかった。


 森の出口……元はここに入っていった入口までたどり着く。ジェイドはちらりと周囲に視線を配り、アニスとイオンを背後に庇うように踏み出すと軽く手招きをした。
 と、草を踏む足音が複数発生し、ティアとルーク、ルークの足元にいたミュウをあっという間に取り囲む。彼らは全て、マルクトの軍服を纏っている。

「な、何だ!?」
「大佐、これは!」
「みゅみゅ? 人がいっぱいお迎えですのー」

 突然包囲された2人は慌てて武器を構えようとする。どこかのんびりとしたミュウの台詞に、ルークは思わず「黙れブタザル」と睨み付けた。
 ジェイドは一度眼鏡の位置を直し、感情のこもらない冷徹な声で命じた。

「その2人を連行せよ。今朝報告があった、第七音素の発生源と推定される」
「へ?」

 第七音素。
 聞き覚えがあるような気がして、ルークは記憶を掘り起こす。
 そうだ、確かバチカルの屋敷から飛ばされて意識を取り戻したすぐ後、ティアがそんなことを言っていたか。

「ジェイド! 彼らは!」
「イオン様、落ち着いてください!」

 身長の高いジェイドの背中越しにイオンが叫ぶ。なだめるアニスの声が背にぶつかるのを無視し、ジェイドは自らの部下たちに取り囲まれているルークたちに告げた。

「抵抗しなければ危害は加えません。ルーク、ティア、申し訳ありませんがご同行を願います」
「……ちぇ」

 大人しく刀の柄を離し、両手を挙げるルーク。ティアも杖を地面に放り出し、同じように手を挙げた。


 武装を解除されることもなく通されたのは、簡素な一室だった。聞いてみれば本来は休憩室なのだという。取調室、もしくは牢に放り込まれると思っていたティアはきょとんと眼を丸くしながら、勧められた椅子に腰を下ろした。ルークは既にどっかりと腰を据えており、その隣にはミュウが一席を与えられてちょこんと座っている。

「ティア・グランツ響長については森で伺いました」

 彼らとテーブルを挟み、ジェイドが立っている。その横にはアニスを従えたイオンが腰を落ち着けていた。それ以外の人物は室内にはいない。この部屋に入るときに入口の両側に兵士が一人ずつ立っていたのは知っているが。
 つまるところ、ライガの女王を一睨みで黙らせるほどの力を持つジェイドがいれば、他の人員は必要ないということなのだろう……とルークは結論づけた。
 正直、まともに戦って勝てる相手とは思っていない。そのくらいはルークにも分かる……あの槍の一撃はそれほどまでに鋭すぎた。

「ではルーク。まだ、きちんと本名を伺っていませんでしたね。名は何と」
「……ルーク・フォン・ファブレ。お前らが誘拐しようとして失敗しただろ、忘れたとは言わせねえぞ」

 むすっとした顔で、それでもルークは素直に自分の名を答える。その後に付け足された文句を、ジェイドはまず切り捨てた。
 事実は異なる、ということはまだ知られていない。そもそもマルクト軍人である自分が真実を告げたところで、ヴァン・グランツに全般の信頼を置いているであろう今のルークは信じないだろう。
 急いては事をし損じる。心の中でその一言を呟いてジェイドは、話を進めることにした。

「ファブレ。なるほど、ファブレ公爵のご子息ですか。確かキムラスカ王家の姻族でしたね。これは失礼を致しました。お許しを、ルーク様」
「こ、公爵子息〜?」

 アニスが眼を丸くする。その声に媚びが露骨に含まれるのに、イオンとジェイドは互いの顔を見ることもなく同時に苦笑した。ちらと視線を投げただけで、ジェイドはさらに話を続ける。

「はい、アニスは落ち着いてください。さて、まずはその公爵家子息が何の目的で、神託の盾と共にマルクトに不法侵入されたのか、それをご説明いただけますか」
「そ、それはえーと」

 ルークは困った顔でティアに視線を向ける。ちらりとルークに向けられたティアの瞳はどこか冷たくて、ルークの顔がしかめられた。

「……私と彼の第七音素が、超振動を引き起こしたことによる不可抗力です。ファブレ公爵家及び神託の盾騎士団によるマルクトへの敵対行動ではありません」

 まっすぐジェイドに眼を向けながらティアが説明する。ルークは横でふんふんと聞いていたが、ティアの言葉が終わると共にジトっとした目をジェイドに向けてきた。

「よくわかんねーけど、そういうことらしいぜ。正直、いきなり吹っ飛ばされて迷惑だってーの」
「……ごめんなさい」

 誰に文句をつけるわけでもなかったはずのルークの言葉は、結果的にティアが受け止める形となる。ファブレ邸にいるヴァンをティアが襲撃したのがきっかけではあるから、確かにティアが悪いのだが。

「ティア。貴族の邸宅への不法侵入と襲撃、とは穏やかではない話ですね。事情は知りませんが」

 嘘をつけ、とジェイドは胸の中だけで吐き捨てる。
 お前は全て知っているだろう。『見て』きたのだから。

「やり方を間違えてはいけませんね。客観的に見た限り、悪いのは一方的に貴方です」
「は、はい……それに関しては、申し開きのしようもありません」
「そこまで言ってやるなよなー」

 何故かティアに説教する形になってしまったジェイドを止めるように、ルークが割り込んできた。もっとも、発端は彼自身の言葉なのだけれど。

「ティアが侵入したのはマルクトじゃなくてバチカルのうちの屋敷だし、それに顔とかすっかり隠してたからな。多分侵入者が誰だか分かってんのは俺くらいだと思うぞ」
「ほう」

 それはジェイドの『記憶』にはない事実だった。譜歌を歌っていたのならばあるいはヴァンも気づいているかも知れないが、それは些細なことだろう。あの男は、何かと妹には甘かった。
 そこまで考えて、ジェイドはぱんと手を打った。この話はここで切り上げる、という合図として。

「そうですね。ではティアの処分はルーク様、あなたに一任してよろしいでしょうか。我々は、この話は聞かなかったことと致します」
「それでいいんなら。俺はバチカルまでちゃんと送り届けて貰えりゃそれでいいんだ」

 うん、と頷いたルークの顔に負の表情は浮かんでいない。どうやらそれで本人も納得したということであろう。ティアの方もほっとした表情になり、年齢相応の柔らかい笑みを浮かべていた。

「……ありがとうございます。大佐」

 ぺこりと小さく頭を下げられて、ジェイドは苦笑した。軽く肩をすくめ、ルークを手で示す。その言葉を向けられるのは、自分ではないのだから。

「いえ、礼ならルーク様にどうぞ」
「そ、そうですね。……ありがとう、ルーク」
「え、あ、いやその、礼言われるほどでも……あ、でもちゃんと事情は説明してもらうからな? 今が無理なら後ででも」
「ええ、分かったわ」

 お互いにどこか照れたように視線を逸らしつつ会話を交わすルークとティア。あまりに穏やかな2人の会話をじっと見ていたイオンが、ふわりと笑みを浮かべてジェイドの袖を引いた。

「ジェイド、僕は彼らを信じて良いと思います。敵意はまったく感じられません」
「ええ、そのようですね」

 無論、ジェイド自身もそれは知っている。が、己の立場上……そして知っている理由を考えると、こうやって当たり前の対応を取った方が問題は起こらない。
 起こすわけにはいかない。こちらが何かを察知しているという、それだけでもヴァンに漏れたとしたら──どんな手を打って来られるか分からないのだから。

「どうもルーク様は世界情勢に疎いようですしね。でなければ、暢気に敵国の懐で林檎の盗み食いなどしませんよ」

 だから、せめて少しくらい弄るのは許されるだろう。これは生来の性格だから、そう簡単に治るものではないのだし。


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