紅瞳の秘預言26 鉱山

「それじゃ、行くか。足元と障気に気をつけろよ」

 先頭に立っているガイが振り返り、同行者たちに注意を促した。全員が頷くのを確認し、まっすぐ街に向かって進み始める。続いて足を進めながら、ルークはちらりと道の脇に視線を向けた。
 すぐ傍の岩の影から、僅かながら紫色のガスが漂い出して来ているのがぼんやりと見えた。その色と光景に、ルークは障気の存在を初めて知ったときのことを思い出した。

「障気ってあれだよな……フーブラス川渡った後、吹き出して来たやつ。ジェイドが毒だから吸うなって言ってたあれ」

 ぽつりと呟かれた少年の言葉に、ティアははっと口元を押さえた。その光景を見ていないナタリア以外は一様に記憶を脳裏に浮かべ、僅かに眉をひそめる。
 思い出すのは倒れ臥した神託の盾騎士たちと、ルークの腕の中にいた血まみれの身体。
 あの姿をもう見たく無くて、ルークは自ら剣を取ることを選んだ。そうして、多くは無いだろうが少なくも無い生命を斬り伏せて来た。ごめんなさい、と心の中で詫びながら。
 その時血を流していた青の軍人は、一瞬眼を眇めてから小さく頷く。左の腕を抱え込んだ右手にぐっと力がこもり、袖にしわを形作った。

「ええ、そうですね。あれも、地下から吹き出していました」
「フーブラス川だと、ここから近いと言えば近いですね。地震が起きていたって話がありましたっけ」
「あのときは何とも思わなかったけど、事情が分かるとあれだな……つまり、ここ以外もバランスは崩れて来てるってことか。全部のセフィロトツリーが同じ時期に造られたんなら、耐久限界も同じくらいだろうしな」

 ルークと同じように当時のことを思い出したイオンが表情を強張らせながら頷き、鼻の下を軽く指で擦りつつガイが思考を巡らせた。
 障気が存在するのは外殻大地の下に広がる空間であり、これまではディバイディングラインと呼ばれる力場の圧力により外殻大地に吹き出してくることは無かった。それが近年頻出していると言うことはつまり、恐らくはホドの崩落以来外殻大地のバランスが崩れ始めているだろうと言うことが推測出来る。力場のバランスも狂い始めたために、抑えきることの出来なかった障気が吹き出して来ているのだ。
 だが、星の構造を考えている余裕は今の彼らには無い。それを分かっているのか、ティアが毅然と声を張り上げた。

「そうね。でもまずは、ここを何とかしないと。障気のことは後で考えましょう」
「そうですわ。一刻も早く、皆さんを安全なところへお連れしないといけません。お話は、後で伺いますから」

 1人だけいまいち事情の分かっていないナタリアが、それでも力強く皆を促した。その声に頷いて、全員が速度の落ちていた足を再び進めて行く。
 アニスは不安げな視線で、きょろきょろと周囲を見回していた。胸元に添えた手が小刻みに震えているのを、無理に抑えようとして顔が引きつっている。
 その肩を、ぽんと同僚である少女の手が軽く叩いた。

「アニス、大丈夫。みんな一緒、心配無い」

 普段とは逆にアニスよりも落ち着いているアリエッタが、きゅっと手を握った。肩を並べ、にこっと無邪気に微笑んで見せる。彼女の表情に釣られたのか、アニスもほんの少しだけ笑みを浮かべた。

「……うん。ありがと、アリエッタ」

 『記憶』の世界とは異なり仲の良い友人関係になっている2人を最後尾から眺め、ジェイドは真紅の瞳を薄く細めた。
 預言が語る未来が全てでは無いことを、彼は知っている。
 その証拠が、今目の前に存在している。
 だからジェイドは、声に出さずにそっと呟いた。

 ローレライ、そしてユリア・ジュエ。
 貴方たちの見た未来を、そして私の見た未来を、きっと覆して見せますよ。


 街の中に入ると、僅かながら息苦しさが場を支配しているのが分かった。どんよりと重い空気は薄い紫に色づき、所々濃い色のもやが澱んだ風に乗って漂っている。

「! 大佐、皆さんも!」

 その中で動き回る青の軍服の1人から聞き慣れた声で階級を呼ばれ、ジェイドはそちらに視線を投げた。一行に駆け寄ってくるのは、長らく彼の副官を務めているマルコ。ナタリア以外の全員が、顔を合わせたことのある相手だった。

「マルコ。済みません、遅くなりました」
「いえ、カンタビレ師団長とフリングス少将より大まかな事情は伺っております。お気になさらず」

 素早く敬礼した後、本来の上司と部下である2人は短く言葉を交わす。が、アリエッタの顔を見たマルコが一瞬表情を歪めた。

「……彼女は」
「我がしもべのアリエッタです」

 マルコの表情の変化に気づき、イオンが一歩踏み出した。当のアリエッタは思わずぬいぐるみで顔を半ばまで隠し、僅かに目を伏せている。どうやら彼女も、マルコがタルタロスの乗員であったことに気づいたようだ。

「アリエッタは、僕の護衛として来てくれています。敵対の意志はありません」

 毅然としたイオンの態度に、だがマルコはどこか納得の行かないような表情でジェイドに目を向けた。
 タルタロスを襲撃した六神将の1人。部下13名の生命を奪った敵対集団の構成員であったアリエッタが、今こうやってルークやジェイドと共に自分の前に立っていると言う事実に戸惑っているのだろう。
 ジェイドは口を閉ざしたまま、小さく頷くことでマルコに答えを示した。マルコがアリエッタに拒否感を抱く理由は理解出来るが、それを言うならばジェイドを長とする第三師団はキムラスカにとって大敵なのだから。
 敬愛する師団長がたしなめるように眼を細めたせいか、渋々マルコは頷いて答えた。

「……承知いたしました。ご協力に、感謝いたします」
「……はい」

 イオンの背に隠れるように身をちぢこめて、アリエッタはほんの少しだけ頭を下げた。そのタイミングを待っていたかのようにナタリアが足を踏み出し、桜色の髪を軽く撫でてからマルコに向き直る。その仕草は優雅で、警戒心を抱いていたマルコすら一瞬見とれてしまったようだ。

「キムラスカのナタリアと申します。ピオニー陛下よりご依頼を受け、救援に参りました」

 彼女が名乗ると、その名が意味することに気づいたマルコは慌てて敬礼した。アスランたちから事情は聞いていたはずだが、本当にインゴベルト王の1人娘がこの鉱山の街までやって来るなどとは思わなかったのかも知れない。

「はっ。王女殿下直々のお越しに感謝いたします。自分はマルクト帝国軍第三師団副官のマルコであります」
「お噂はカーティス大佐より伺っておりますわ。堅苦しい挨拶はやめに致しましょう。ここに必要なのは礼儀では無く、救助の手です」

 自分より年かさの軍人に対して、ナタリアはあくまで優雅に言葉を述べる。その内容にマルコは、「おっしゃる通りです」と深く頷いた。確かに今のアクゼリュスには礼儀作法よりも、住民を救うための手段の方が必要不可欠なものであることに間違いは無い。

「村長の家にご案内いたします。そちらが臨時の対策本部になっておりまして、グランツ謡将とカンタビレ師団長のどちらかが常時詰めておられます」
「分かりました。皆さん、参りましょう」
「先導をお願いします」

 行くべき方向へ手を差し伸べたマルコに、ナタリアとジェイドが相次いで頷いた。彼ら2人の後に続き、同行者たちもマルコに従い移動を開始する。
 ルークは小走りにナタリアの傍に近寄ると、そっと従姉に声を掛けた。

「なあ、ナタリア」
「何ですの? ルーク」

 ごく当たり前に名を呼んで答えるナタリア。自分でもそれに気づいて、少女はふわりと微笑んだ。
 自分は既にルークとアッシュの区別も、ルークが自分にとってどう言う存在であるかも認識しているのだと言うことが理解出来たから。

「お前、良く最前線に視察とか行ってたよな。いろいろ話してくれたもん」

 そんなナタリアの内心には気づかず、ルークは語りかけて来る。「ええ」と短く答えながらナタリアは、7年を共に過ごして来た幼馴染みの顔に視線を合わせた。
 そう。7年と言う決して短くは無い時間を共に過ごして来たこの少年も、ナタリアにとっては間違い無く『幼馴染みのルーク』なのだ。そこにオリジナルだのレプリカだのと言う問題の介在する余地は無い。


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