紅瞳の秘預言26 鉱山

「俺は初めてなんだけどさ、どこもこんな感じなのか? 戦争の真っ只中とかだったら、お前危ねーじゃん」

 予期せぬ旅を経験してからルークは、他人に対する思いやりと言った感情を持ち始めたようだ。言葉はまだ乱暴ではあるものの、自分を案ずる内容の台詞に少年の成長を感じつつナタリアは小さく首を横に振った。

「いいえ。私の行き先は前もって安全な所を選ばれていましたから、さほど酷くはありませんでしたわ。私はもっと前線を見たいと何度も申し上げたんですけれども、お父様は首を縦に振ってはくださいませんでした」
「そうなんだ。やっぱ気ぃ使うのかな」

 白い頬を指先でぽりぽりと掻きながら、ルークは少し考え込む顔になる。肩に乗っているミュウがその仕草を真似ながら、大きな耳を軽く動かした。

「ナタリアさん、危ないところに行ったら危ないですの。ナタリアさんのパパさん、心配するですの」
「まあ、それもそっか。王女様が危ない目に会ったら、それこそ大変だもんねぇ」

 アニスは難しい顔をしながら、チーグルの言葉に賛同する。同じようにガイも、訳知り顔で頷いた。

「ナタリアはバチカル市民に絶大な人気を誇ってるからな。怪我でもしようもんなら、城下でデモが起こる」
「そ、そこまではいくら何でも……」

 戸惑った彼女にとどめを刺したのは、振り返った真紅の瞳。

「いえ、起こると思いますよ。ナタリアの人気は本物ですから」

 無意識のうちにそう答えたジェイドの顔を、ナタリアは不思議そうに見上げた。いつ、彼がバチカル市民の自分に対する評価を知ったのだろうか。

 『記憶』の世界……王女ナタリアが実はインゴベルト王の娘では無いと言うことが暴かれ、王とキムラスカを謀った大罪人としてナタリアの処刑が決まったとき。
 バチカルの民はナタリアを救うため立ち上がり、武器を掲げたキムラスカ軍を向こうに回してすら一歩も引かなかった。あの世界ではずっと別行動を取っていたアッシュも、ナタリアが良き王女であったことを知り態度にこそ出さなかったもののその有り様を認めていた。
 市民たちは、恐らくは顔も知らぬであろうナタリアを王女として敬っている。それは彼女が自らを王女としてあれと努力し、苦労を積み重ねた末のことだ。そこに髪の色も、血筋も意味を持つことは無い。意味があるのは彼女の行動と、それが生み出した結果のみ。
 だから、王の血を一滴たりとも引くことが無いとしてもナタリアは、紛う事無きキムラスカの王女殿下。インゴベルト王もそれを認め、最終的には親子として和解を成し遂げた。
 ナタリアの実父はラルゴだが、彼の『理想を目指しまっすぐに進む生き方』は娘であるナタリアにもしっかりと受け継がれている、とジェイドは思う。ただ、目指す理想が異なってしまったがために敵味方に別れ、戦わねばならなかったのだけれど。
 この世界でも、恐らく実の親子の性格に変わりは無い。恐らくラルゴの進む道は自分たちと重なることは無く、ナタリアは自身の実父を討ち果たすことになるだろう。ディストやアリエッタと違い、彼をヴァンの共犯者たらしめた思いは深く強いものであり、ジェイドには自分たちがラルゴの思想を覆すことは出来ないだろうと感じられていた。

 私は道を変えません。ナタリアを貴方と戦わせることになっても。
 貴方もそうでしょう? バダック・オークランド。

 この世界では未だ一度しか顔を合わせていない武人を思い出しながらジェイドは、心の中で呟いた。


 親と子の情愛を利用して、まだ年端も行かぬ娘に諜報活動を強制した愚か者がいる。名を、モースと言う。
 両親の身柄をディストが引き受けてくれたと聞き、アニスはその全てを打ち明けてくれた。

「うちのパパとママね、お人好しって言うか常識無しって言うか……お金に無頓着なの。それでね、いーっぱい人に騙されちゃって、それでもきっと必要だったから、とかってにこにこ笑うんだ」

 地面にへたり込み、俯いたままアニスはぽつり、ぽつりと言葉を紡いでいく。少女の口から語られるのは、貧乏だけど優しくて我が子を愛する両親と、その優しさにつけ込んだ陰謀。

「それで、一生掛かっても返しきれないくらい借金背負っちゃってさ……その借金を、モースが全部肩代わりしてくれて。それで、面倒見てやるからってダアトの教会に住み込むことになって……それで、あたしは士官学校、正確に言ったら幼年学校だけど……そこに入れられた」
「教会に住み込んでの下働きでしたら、最低限の衣食住は保証されます。その代わり、ほぼ四六時中雑務や奉仕に追われることになりますが」

 ティアが答えながら、アニスに手を差し伸べて立たせた。座り込んだときに汚れてしまった服の裾を軽く払いながら、アニスは俯いたまま顔を上げようとしない。

「そんなお人好しの親御さんだったら、信徒のためとか言ってしっかり働いてくれそうだなあ。悪くは無いんだけど」
「オリバー、パメラ、良い人。でも、良い人過ぎる。みんな、笑ってる」

 首を捻るガイに、アリエッタが少ない言葉で事情を伝えようとする。青い眼を軽く瞬かせ、しばらく少女の言葉の意味を考えていたガイは「……なるほど」と納得したように頷いた。

「お人好し過ぎて利用される嫌いがあるから、それを知ってる奴が笑うんだな。下働きの人なら、自分たちも世話になってるだろうに」
「マルクトの士官学校と同じでしたら、それなりに給与が出るはずですよね。それはどうしたんです?」

 溜息をつき、肩をすくめたガイからアニスに視線を移し、ジェイドが口を開いた。アニスは小さく肩を震わせた後、聞き取りにくいほど小さな声で答える。

「……全部、借金の返済にってモースに取られてる。あたしが手に出来るのは、自分の任務に必要な最低限のお小遣いだけ」
「なるほど。それで、少しでも借金の返済を進めるためと、そしてご両親の身柄を盾にスパイ活動を強制されていたんですね?」

 尋問は自分の役割だろうと感じたジェイドは、意図的に感情を抑えた言葉でアニスに語りかける。アニスもそれを察したのか、必死で涙を堪えながらその問いに答えた。

「うん……ごめんなさい。タルタロスが六神将に襲撃されたのは、あたしが位置を知らせてたからなの」
「……でしょうね。かなり正確に位置を捉えられていたようですから」
「アリエッタ、モースやヴァン総長から大体の場所教えて貰った。だからタルタロスに行けた。マルクト広くて探すの大変、でもモースはちゃんと場所知ってた」

 アニスの返答、ジェイドの言葉、そして襲撃の当事者であったアリエッタの証言から、全員がその状況はほぼ把握出来た。もっとも物的証拠などが存在しないため、モースを糾弾することは無理だろうとジェイドは推測する。まあ、そのうち自滅への道を辿るであろうことは『記憶』から予測出来ることだが。

「アニス、大丈夫?」

 いつも泣きそうな形を作っている瞳が、そっとアニスの顔を覗き込む。視線に気づき、アニスは一度ぐっと瞼を閉じるとぶるりと頭を振るった。

「うん、へーきへーき。ありがとね、アリエッタ」

 無理をしているのが分かる笑みを浮かべ、アニスがアリエッタに答える。アリエッタもその表情の意味は分かっていたのだろうが、小さく口元に笑みを乗せて「……うん」と頷くに留めた。

「なあ、ジェイド」

 腕を組み、しばらく考え事をしていたらしいルークがジェイドに顔を向けた。気配を察知して視線を向けたジェイドに、少年は軽く首を傾げながら問うて来る。

「アニスの両親が一生掛かっても返せない額ってどんくらいなのか、俺良く分かんないんだけどさ……ディスト、そんなに金あるのか?」
「あれは、音機関弄りくらいしか趣味はありません。ダアトに行ったのは教団の資金で自身の研究が続けられるからですし、給与を頂いているのであればそれなりに貯まっているのでは無いでしょうか。師団長ですから、そこそこ高額でしょうし」

 考えを巡らせながら、ジェイドは出来るだけ分かりやすくルークの問いに答える。推測に利用する対象は違う軍とは言え同じ師団長である自分自身だが、実際の神託の盾兵士たちの収入を知らないことに今更気づいて苦笑した。
 ディストと同じく、ジェイド自身さして趣味があるわけでは無い。休暇はほとんど無いも同然だし、稀に休日があったとしても行きつけの店で酒を飲むかカレーを食べるか、そうで無ければ家に持ち帰った仕事の続きくらいしかやることは無い。おかげで貯蓄だけはそれなりに貯まっており、軍からの年金を受け取れないとしても老後の生活には全く問題が無いようなのだが。
 そこまで思考を巡らせてからジェイドは、自分と良く似た青の軍服を纏っている少将に視線を向けた。これだけは、自分から働きかけておかなければならないだろう。自分の笑顔を見たいから、と必死になってくれている幼馴染みのためにも。

「私の知る限り、サフィールはキムラスカには全くと言って良いほど縁はありません。頼るならネフリーか陛下ですから……彼らのことを、お願い出来ますか。必要であれば私が身元引受人になります」
「お任せください、大佐。陛下より、ネイス博士の身柄は出来ればマルクト側で保護するようにとの勅命を受けております」

 アスランは頷くとゆっくり歩み寄り、黒髪の少女の顔をじっと見つめた。柔らかな瞳には、真摯な光が宿っている。

「タトリン奏長、ご両親はマルクトが責任を持って身柄をお預かりいたします。グランコクマの教会に派遣されている教団員は導師派のはずですし、どうぞご安心を」
「おねがい、します。あと、アニスって呼んでください。神託の盾の階級で呼ばれるの、慣れて無いんです」

 はっと涙で潤んだ瞳を見開いて、アニスはかすれた声で呟いた。それから……安堵したのか、わんわんと大声を上げて泣き始めた。


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