紅瞳の秘預言26 鉱山

 マルコに案内されて来た村長の家。「こちらです」とマルコが扉を開けたすぐ先で、気配に気づいたのか黒衣の詠師が振り返った。
 他に人はいない。確かこの頃には、既に村長は倒れていたとジェイドは『記憶』しているから、奥で臥せっているか先んじて脱出したかのどちらかだろう。

「ん……おう、来たかい。主席総長なら、第十四坑道の見回りに行ってるよ」
「カンタビレ!」
「よしよし、親子喧嘩は終わったみたいだねえ。良かった良かった」

 にい、と悪戯っ子のような笑みを浮かべ、カンタビレはとことこと駆け寄ったルークの赤い髪をくしゃりと掻いた。「親子って言うな!」と言い返すルークも、子ども扱いされて本気で怒っている訳では無いようだ。
 と、隻眼が自分を見つめていることに気づいてジェイドは眼鏡の位置を軽く直した。どこか見透かされるようなその瞳に見られるのが、照れくさいのだろうか。

「仲直りは出来たんだね。少しは楽になったかい?」
「……恐らくは。あまり自覚は無いんですが」
「何、そのうち嫌でも分かってくるさ」

 ふっと柔らかい光を見せたカンタビレの瞳は、次の瞬間鋭いものに切り替わった。全員の顔を見渡し、扉をマルコが閉じたのを確認して口を開く。

「総長にはうちとあんたんとこの部下、それに先遣隊の一部を警護名目で張り付かせてる。リグレットの部隊は何やら途中で獣にでも襲われたらしくてね、まだ到着して無い」
「獣?」

 その単語に、全員の視線が思わず集中したのは桜色の髪の少女。アリエッタは垂れ気味の目をぱちっと大きく見開いて、それからぶんぶんと些か大げさに首を振って見せた。

「アリエッタ、お兄ちゃんたちにそんなお願いしてないもん。リグレット、怖い」

 ぬいぐるみをしっかりと抱きしめて、ぶるりと肩を震わせる少女の表情に嘘は見えない。もっとも、幼い頃を魔物の懐で過ごした彼女が『嘘をつく』ことはまず無いだろうが。そのことを思い起こし、ジェイドは頷いた。

「そうですか……まあ、良いでしょう。確かに彼女は譜業銃を扱えますし、アリエッタのお友達に襲われたのであれば面会に来たときにクレームの1つも付けてくるはずですからね」

 ジェイドの思考の中には人知れず神託の盾を襲った黒白の女は入っていないため、今の彼にはリグレットの部隊が誰に襲撃されたのか知る由も無い。故にジェイドは、その推測を途中で打ち切った。自身が『記憶』を持つことが、未だ触れることの無い世界にも何らかの影響を及ぼしているのかととりとめも無く考えながら。
 青の軍人が思考を打ち切ったことを察したのか、カンタビレが言葉を続ける。彼らが知らぬであろう情報は、ヴァンに悟られぬ今のうちに渡しておかなければならない。

「ラルゴの部隊はダアトに戻ったみたいだね。シンクの方はバチカルらしい。導師がいないうちに、キムラスカ内での主導権を握っておきたいようだね」
「なるほど。了解しました、お手数をお掛けします」

 カンタビレに軽く目礼し、ジェイドは僅かに足を進めた。一瞬だけ窓の外に視線を向けた後、低い声で囁く。

「全員脱出の目処が立ちましたら、彼の監視を解いてください。我々の方はどうにかなりますので」
「了解、適当に用事を言いつけて目を離す」

 そう答え、隻眼の詠師は扉のすぐ傍に立っている軍人に視線を向けて言葉を飛ばした。

「マルコ、責任者呼んできな。話があるそうだ」
「はい、しばらくお待ちください」

 ジェイド譲りの完璧な敬礼をぴしりと決めて、マルコは家の外へと飛び出して行った。

「臨時責任者のパイロープと言います。こいつは息子のジョンです……ほれ、ちゃんと挨拶せんかい」
「あ、うん……こ、こんにちは」

 少しの時間を置いて家に入って来た親子は、ジェイドの『記憶』にあったそのままの姿だった。
 アクゼリュスの崩落に巻き込まれ、息子を庇い衝撃と障気で死した父親。
 父の捨て身の努力も叶わず、自分の目の前で液状化した地核の泥へと飲み込まれて行った息子。
 おぞましい『記憶』をジェイドは、軽く頭を振って追い払った。肩に掛かったくすんだ金髪を掻き上げて、改めて彼らに向き直る。

「キムラスカのナタリアです」
「……ルーク、です」

 キムラスカの親善大使に指名された2人が、名乗りを上げる。それに引き続いて軍人もまた、自身の名を名乗った。

「マルクトのジェイドと申します。早速ですが、避難状況はどうなっていますか?」
「住民の避難は8割がた済んでます。重症者を優先して街の外へ運んで貰ってまして、昨日陸艦が到着したとのことで、キムラスカ側とマルクト側に分かれて順次送り出してます」

 ジェイドの問いに、パイロープはすらすらと答えた。その内容にジェイドは心の中でほっと一息をつく。
 『記憶』とは違い無事であった先遣隊やカンタビレ、アスランたちの努力は、確かに実っていた。ほとんど脱出すること無く崩落した『前回』の悲劇を繰り返すことだけはしない、とジェイドは心の中で誓う。
 自分は預言と異なる未来を描くためにここにいる。その預言にだって街の民が滅びるなどと言うことは詠まれてはいない……だから、彼らを救うことはずっと簡単に出来るはずなのだ。

「残るはどうにか自分で動けそうな者ばかりです。こちらは徒歩でキムラスカ側へ避難する予定ですわ」
「障気の濃度はどうですか?」
「ここしばらくはだいぶ薄いような気がしますねえ。とは言え、いつまた吹き出して来るか分からんのですが」

 ティアの短い問いにもパイロープは首を捻りながら答えてくれた。今のところ、街の下に存在するはずのディバイディングラインはまだ安定しているようである。これなら、街の崩落により穴が開いたとてしばらくは障気の異常噴出は無いだろう。

「それと、最近地震が多いんですわ。まだそれほどの被害は出てないんですが、やっぱり不安なものでして」

 が、すぐ後に付け加えられた報告に一同は眉をひそめた。理由が分かっているだけに、この状況がやはり深刻なものであることは理解出来た。
 時間はあまり残されていない。このまま放っておいても近い将来セフィロトは耐久限界を越え、自然崩落を起こす。いずれにせよ、この街は消えるのだ。

「やはり……そうでしたか」

 難しい表情をしたジェイドの顔を伺ってから、イオンが一歩足を踏み出した。その姿や胸に掲げられた護符からローレライ教団の人間であることはパイロープたちにも一目で分かっただろう。

「残っている方々は、皆さん助けを受ければ自分で歩けますね?」
「はい」

 緑髪の少年の真剣な眼差しに、鉱山の現場監督を務める男は小さく息を飲み、そして頷いた。イオンは凛とした表情で、彼に頼みと言う形を取った命令を下す。

「では、申し訳無いのですが、急いで脱出を開始してください。間もなく、この街を大きな地震が襲うと言う預言がありました。被害までは詠まれていませんから街はともかく、全員の脱出には何ら問題は無いはずです」
「ほんとですか!」

 預言と言う単語に、パイロープの顔色が劇的に変化した。ジョンも不安げに、父親の顔を見つめている。

「大丈夫です。これは隠されることの無い預言ですから、人的被害はほとんど無くて済むはずです」
「分かりました、残っている皆に伝令を出します。行くぞジョン、みんなを助けるんだ」
「う、うん、分かった!」

 イオンの瞳は真摯な光を宿し、その言葉には説得力がある。パイロープは頷いて、息子の手を引き扉から外へ飛び出して行く。それを見送ったジェイドが、ずっと口を閉ざし場の状況を観察していたカンタビレに視線を向けた。

「カンタビレ。フリングス少将やキムラスカ軍にも連絡を入れて、誘導をお願いします」
「あいよ、任せときな。総長は責任者だから最後に逃げる、とでも言っとくよ」

 状況を把握しているらしいカンタビレは、からからと明るく笑いながらジェイドの言葉に頷いた。一瞬、漆黒の瞳がぎらりと鋭く光る。

「で、あんたたちは?」
「セフィロトに向かいます。上手く逃げてくださいね」
「分かった。みんなも頑張りな」

 思わず後ずさったガイを除く全員の頭に、カンタビレの手がぽんぽんと乗せられて行く。最後に辿り着いた深緑の髪をくしゃりと軽く掴んで彼女は、少年の顔を覗き込んだ。

「……導師イオン、あんた良い指導者になるよ」
「ふふ、ありがとうございます。カンタビレ」

 黒衣の彼女に負けない不敵な笑みを浮かべたイオンに満足したかのように、カンタビレは音も無く扉の向こうに消えた。


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