紅瞳の秘預言26 鉱山

「……おい、イオン」
「何ですか? ルーク」

 朱赤の髪の少年が、ふて腐れたようにイオンを見下ろして来る。見上げた少年の表情はいつものように穏やかな笑顔で、ルークは一瞬見とれたあと慌てて視線を明後日の方向に向けた。

「お前、いつあんな預言詠んだんだよ」
「預言? ……ああ、はったりですよ」
『は?』

 しれっと返された答えに、イオン本人を除く全員の目が丸くなった。『未来』を知るジェイドですら、自分の知らぬ預言が詠まれたかと考えていたのだ。

「ど、導師イオン? それは、どう言う……」
「オールドラントで人を動かすには、預言を持ち出すのが一番手っ取り早いんです。本当なら、こんな使い方するために詠まれたものじゃ無いんでしょうけど」

 ナタリアの声に振り返りながら、イオンはぺろりと舌を出した。くすりと浮かべる笑みは年齢相応の悪戯っ子のようで、悪意は全く感じられない。

「少なくとも、この地を災害が襲うと言う預言は存在します。だから問題は無いですよ」
「な、なるほど……預言の中にここの住民の被害が詠まれていないのも、確かに事実ですしね……」
「それもそっか。俺が消える、だけだもんなあ」

 眉間を抑えながらティアが、がりがりと髪を掻きながらルークが溜息をつく。ぽかーんとしている空色のチーグルの毛並みを撫でながらイオンは、眼を細めて青の軍人に視線を向けた。

「ま、その後の預言を僕は知らないんですけれど、きっとろくなもんじゃ無いんでしょうね。ねえジェイド?」
「そうですね。第七譜石が見つかれば分かるかも知れませんが……無理に詠んでは駄目ですよ? イオン様」
「分かっています。僕の身体は惑星預言の詠み出しには耐えられませんからね」

 イオンの答えに、一瞬ジェイドは言葉を失った。果たしてこの少年は、一体どこまで知っているのだろうか。ひょっとしたら、自分が『未来の記憶』を持つことなどとうにお見通しなのかも知れない。
 一度眼鏡の位置を指先で直して、ジェイドは気を取り直した。

「では、各自手分けして坑道の方々の脱出に手を貸してあげてください。事前に説明した通り、ペアリングを組んで行動をお願いします。ティアは私とでしたね」
「はい。よろしくお願いします、大佐」

 『記憶』では様々な要因によって同行者たちはバラバラに引き離され、セフィロトに集結した。だが今回は、わざと少人数に別れセフィロトを目指すと言う方法を取ることになった。その道すがら、坑道の奥にいるであろう兵士たちを撤退させて人的被害を更に減少させるつもりだ。
 ティアのところには、彼女を保護するためにヴァン配下の神託の盾兵士が迎えに来るだろう。『記憶』の中で彼女はアッシュに救われたが、今回がどうなるかは分からない。だから自分が近くにいて、どういう展開になろうと状況に応じて判断すれば良い。

「わ、分かりました。イオン様、行きますよう」
「はい、アニス」

 イオンはヴァンにとって、ダアト式封咒を解放するのに必要な人材。彼を連れて行かなければ、ヴァンはパッセージリングまでたどり着くことは出来ない。アニスは導師守護役でありモースのスパイであった人物であるから、イオンに同行するのに問題は無いはずだ。

「アリエッタ。参りますわよ」
「うん、アリエッタ頑張る!」

 『記憶』とは異なり、父王の許可の元に送り出されたナタリア。彼女はここで生命を落とすことを期待されている可能性が高く、故に護りでは最強であろうライガやフレスベルグを使役することの出来るアリエッタを付けた。ナタリアの守護だけで無く、魔物の速度と五感を持ってすれば坑道の最奥部に向かうイオンやルークの後を追うことはそう難しくは無い。

「行くぞ、ルーク」
「おっけ。おらブタザル、大人しくしてろよ」
「はいですの♪」

 そうしてミュウを連れたルークは、当たり前のようにガイと組む。ルークは知らないことだが、ガイはヴァンの生家フェンデの主家であるガルディオスの遺児。ならば、ヴァンがルークを連れて行く時にガイがいたところで、彼が危害を加えられる可能性は低い。それにガイがルークと共にいるのが一番自然であり、ヴァンに警戒心を抱かせることも無いだろう。

「では各自、お気を付けて。集合地点は第十四坑道最奥部、セフィロトです」

 全員の顔を見渡してジェイドがそう告げると、仲間たちは一斉に頷いた。


 マルクト側から上がって来ていた陸艦が、重症者たちを詰め込みゆっくりと街を離れて行った。その後、神託の盾とマルクト軍、キムラスカ軍の連合部隊が自力で歩ける住民たちを護りながら街の外へと脱出して行く。
 空を舞うグリフィンの背からその光景を見下ろして、アッシュは薄く笑みを浮かべた。真紅の髪が、風にふわりとなびく。

「ふん、まだ落ちてはいないようだな」
「ジェイドが上手く時間稼ぎをしたみたいですね。カンタビレもちゃんと主席総長の動きを牽制してくれたようですし、おかげさまで救援活動もはかどっているようで何より」

 その隣に、ぷかりと浮かぶ椅子は見慣れたディストのもの。膝の上にある小型の音機関を弄びながら、彼もまた下界を見下ろしている。

「レプリカが来なければアクゼリュスは落とせないから、か。全く馬鹿らしい、自力で出来ない癖に偉そうに」
「普通は自力で出来てもやりません。と言うか、この場合の自力ってやっぱりああ言う陸艦とか……あ」

 言葉を吐き捨てるアッシュに笑みを浮かべながら、ディストはくるりと街の周囲を見回した。一基だけ動いていない陸艦を細い指で差して……ふと、細い眼がレンズの奥で見開かれる。

「あー、あれジェイドのタルタロスですねえ。第三師団もちゃんと到着しているようで良かった」

 興味の無い者には判別が付かないのだろうが、ディストはその様式や紋章などから放棄されているように見える陸艦がタルタロスであることを見抜いたようだ。だが、その後に続いた言葉の意味をアッシュは理解出来ないようで首を捻る。

「それがどうしたんだ?」
「複数の監視者がいれば、主席総長も先遣隊や住民においそれと手は出せないでしょう。人的被害はほとんど無しに、街ひとつ消えるだけで済みそうですよ」

 良かった良かった、と両手を叩いて喜ぶディストの顔を見つつ、アッシュの形のいい眉が歪められる。彼の言葉が意味するものを、回転の速い思考で読み取ったから。

「先遣隊や住民? はっ、多くの血を以て悲劇を演出か。反吐が出る」
「悲劇にかこつけて開戦するのが目的ですから、規模が大きければ大きいほど良いんですよ。その方が国民が乗り気になりますから」

 白い顔から笑みを消し、低い声で答えるディスト。ふんと荒い鼻息は、不満の感情を持った時に彼が見せる癖だ。この場合はやはり、そのような悲劇が展開されればジェイドが悲しむから、だろう。
 もう1人、今すぐ横にいる同僚が悲しむだろう事情を、敢えてディストは口にした。これもまた、ジェイドが望まないことだから。

「もっとも、ナタリア王女はキムラスカの国民には人気があるようですから、彼女がマルクトの陰謀で死んだと伝えられればそれで開戦への気運が高まるでしょうねえ……民のことを思う、良い姫君だそうですよ」
「……そうか」

 ちらりと横目で伺うと、アッシュはこちらから顔を背けていた。風になぶられる真紅の髪が邪魔して良く見えないが、僅かに見えた耳は赤く染まっている。
 眼を細め、ちょいと眼鏡の位置を直してからディストは視線を空に向けた。そうして、何でも無いような口調で言葉を投げてやる。

「アッシュは第十四坑道へ向かってください。その奥にセフィロトがあります。主席総長とルークがいるなら、多分そこでしょう。導師も一緒にいるはずです……まあ、最終的には皆さん揃うんじゃないですかね」
「あ、ああ」

 唐突に呼ばれた名前と指示に思わず頷いてから、ふとアッシュが顔をしかめた。視線を向けた先で、銀髪の譜業博士は平然と風に揺られている。

「お前はどうするんだ?」
「私は兵士たちの避難を手伝いますよ。マルクト軍には他にも用事がありますし」

 手の中にある音機関を示して、ディストは穏やかな笑みを浮かべた。アッシュにはそれが何かは分からなかったが、ディストのことだから何やらあるのだろうと心中納得する。

「分かった。無理をするな」
「貴方もね。ナタリア王女が一番だと思いますが、ジェイドのこともお願いします」
「はっ、『死霊使い』の心配か。一応気にしてやるよ」

 互いに笑みを交わす。アッシュがグリフィンの首筋を軽く叩くと、魔物は彼の意図を読み取ったかのようにすーっと高度を落として行った。程なく真紅の髪と黒の詠師服は、下界の光景と一体化する。
 彼を見送って、ディストは軽く椅子の上で姿勢を正した。

「さて、行きますよ」

 かちり、と音機関のスイッチが入れられる。程なく、彼の背後の空間に巨大な影が出現した。


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