紅瞳の秘預言27 崩落

 第十四坑道へ通じる道を、ナタリアはアリエッタの先導で進んでいた。フレスベルグとライガが彼女たちの後方、少し離れて付いて来ているとアリエッタが教えてくれたためか、ナタリアは時折ちらちらと後方を振り返るように視線を向ける。その度ごとにくいと手を引かれ、王女は苦笑しながら次の入口を潜った。
 少し開けた場所まで降りて来ると、赤の武装を纏うキムラスカ軍兵士が坑道の中を走り回っている様子が見える。そのうちの1人がナタリアの姿を認め、大慌てで駆け寄って来た。並んで立っているアリエッタに軽く視線を向けた後、ぴしりと敬礼をして出迎える。

「これは……ナタリア様!」
「任務ご苦労様です。撤退命令は届いていますか?」
「は、はい。先ほど」

 毅然とした態度で問うた王女に、兵士はこくりと頷いて答えた。ナタリアは眼を細め、周囲に目を配りながら腕を横に振る。

「では急ぎなさい。導師イオンより、間も無くこの地を大災害が襲うと言う預言が下されました。被害までは詠まれていないそうですから、即座に街を離れれば被害は及びません」
「何と……!」

 『導師イオン』、『預言』と言う単語に、兵士がびくりと反応する。狼狽えかけた彼を見て、ナタリアに同行している桜色の髪の少女が覗き込むように言葉を掛けた。彼女のことは纏っている制服から、神託の盾であることは兵士にも理解されているだろうとナタリアは思う。

「イオン様、預言詠んでくれた。みんな心配、早く逃げて」
「アリエッタ師団長もこうおっしゃってくださっています。神託の盾、及びマルクト軍と共に協力して撤退なさい。無論、住民の方々を置いていくことは許しません。出来ますね?」

 ぬいぐるみを抱えながら、たどたどしい言葉で口添えをしてくれたアリエッタ。彼女に心の中で感謝を述べながらナタリアは、自分よりずっと年長であろう兵士に対して命を下す。

「は、はっ。ナタリア様と導師イオンの寛大なる愛に感謝いたします」
「お気になさらず。さあ、急いで!」
「はっ!」

 敬愛する王女の言葉に背中を押されるように、兵士は振り返ると駆け出した。やがて、兵士たちが数名ずつのグループごとに撤退を始める様子が彼女たちの視界に映る。恐らくは逃げ遅れた兵士がいないように相互確認をしているのだろう。
 兵士たちの動きを確認して、2人は視線を交わした。これで、この一帯の兵士たちはアクゼリュスの地が消える前に脱出が叶うはずだ。

「行こう、ナタリア。きっと、みんな待ってる」
「そうですわね。急ぎましょう」

 ナタリアとアリエッタは互いに頷き合い、坑道の入口に向かって駆け出す。その後ろ姿をじっと見ていた神託の盾兵士の1人が兜の奥の目を細めると、友軍とは別の方向に走り去って行った。


 行き会った兵士たちに撤退を促しながら、いつの間にかルークとガイ、そしてミュウは第十四坑道の奥へと入り込んでいた。この辺りまで来ると兵士たちの姿もほとんど見ることは無く、ルークはきょろきょろと周囲を見回している。腕の中にいるミュウをぎゅっと抱きしめている様子が、少年の不安げな心境を表していた。普段なら空色のチーグルは高い声を張り上げて主を励ますところなのだろうが、「お前黙ってろ」とルークにきつく言い含められていたためか両手で口元を押さえ、じっと声を出さずにいる。

「うっわ……えらく奥まで来ちまったなあ」
「鉱石を掘るのに、結構深くまで掘ったんだな。……ヴァン謡将はこの辺か?」

 ガイは鋭い視線を周囲に走らせながら、慎重に奥へと道を辿って行く。と、視界の端に見慣れた深緑色の髪が入り込んで来た。そのすぐ横に並んでいる、ツーテールにまとめられた癖のある黒髪も。

「イオン様、アニス」
「あ。ルークにガイ、来ちゃった?」

 青年が名を呼ぶと、2人はくるりと振り返った。いつもの笑顔では無く真剣な表情のイオンと、緊張でか顔を強張らせているアニス。僅かに青ざめた表情で声をひそめ問うて来た少女に、ガイは溜息混じりに「ああ」と答える。

「どっちみち来なくちゃなんねーしな。で、師匠は?」

 そろそろと足音を立てないように歩み寄って来たルークが、先行していた2人に問いを投げかけた。イオンは「奥みたいですね」と渋い顔で答え、音叉を象った杖を両手でぐっと握りしめる。

「どうします? 行きますか?」
「……行かなくちゃ、始まらないんだよな」
「ええ」

 朱赤の髪を掻きながら口の中でぶつぶつ呟いていたルークだったが、イオンの答えを聞き覚悟を決めたように顔を上げた。ガイに視線を向けると、青年も決意の表情で頷く。

「上の方は撤退もだいぶ進んでいるみたいだ。何とかなるだろう……無理するなよ、ルーク」
「ルークぅ、やばいと思ったら逃げてね。フォローすっからさ」
「分かってる。……ありがとな」

 ガイとアニスの忠告に、少しだけ顔を綻ばせてルークは答える。それから表情を引き締めて、仲間たちの先頭に立って踏み出した。
 坑道としては最奥部に当たるその場所に、やはりヴァンはいた。柔らかな光を放っている扉の前に立ち、まるでルークが来るのを知っていたかのように振り返ると少年の顔を見て微笑む。

「ルークか」
「師匠……どうしたんです?」
「ヴァン! 何をしているのですか。脱出した方が……」

 ミュウを抱きしめたルーク、イオン、アニス、そして最後尾にガイ。4人がぞろぞろと出て来る光景にも、ヴァンが顔色を変えることは無い。彼としてはイオンとルークがこの場に来れば良いのであり、アニスとガイそしてミュウはその2人に付き添うのが当たり前の顔ぶれであるからだろう。この辺り、ジェイドのペアリングはさすがだなとガイは顔には出さずに感心していた。

「主席総長? ここ危ないですよぉ、全軍に撤退命令が出てますぅ」

 アニスが、普段通りの口調でヴァンの顔を覗き込むように言葉を掛ける。ふっと口元を緩め、白い詠師服を纏う主席総長は軽く首を振って見せた。

「いや、大丈夫だ。それより導師、ちょうど良いところに来られた」

 眼を薄く細めながらヴァンは、光る扉に手を添えた。浮かび上がっている紋様をしげしげと眺め、イオンは眉をひそめる。

「……これは、ダアト式封咒ですね。するとつまり、ここもセフィロトなのですか」
「セフィロトか……」

 ガイが溜息をつきながら扉を見上げる。同じように子どもたちが扉に浮かび上がる紋様を見上げる中、ヴァンはイオンに視線を向けた。気づいて彼を視界に入れた導師に、彼は頼みと言う名の指示を下す。

「導師。この扉を開けていただきたい」
「扉を……セフィロトに、何の用があるのですか?」
「この下にある音機関……パッセージリングで、ルークに障気を中和して貰う」
「障気中和……そんなことが出来るのですか?」
「出来るんだってさ。俺の超振動を使えば」

 不思議そうに首を傾げながら問うイオン、そして以前ヴァンに言われたことを再生するように口にしているルークが芝居を打っていることを、恐らくヴァンは知らないだろう。
 ルークもガイもアニスも、ヴァンがアクゼリュスを崩壊させるためにダアト式封咒を解かせるのだと言うことは知っている。ルークは既に、自分がアッシュの身代わりにされるために生まれたことを知っている。
 それでも、ルークは心のどこかでヴァンを信じたかった。ヴァンは、師匠は、世界を救うために自分にその任務を任せてくれるのだと、そう思いたかった。障気中和は嘘だけれど、それでも。
 だって、アクゼリュスを壊さないと世界は壊れてしまうのだから。

「な、イオン。俺からも頼むよ、師匠の言う通りにしてくれ」
「……分かりました」

 だからルークは、心からの言葉でそうイオンに頼んだ。イオンも分かっていたのだろう、仕方が無いとでも言うように笑みを浮かべて頷いてくれた。朱赤の焔の胸元で、チーグルの大きな耳が不安げにぺたりと下がっているのが心配と言えば心配なのだけど。


 連れ立って坑道の入口を目指していたジェイドとティアの前に、白い鎧の兵士が駆け寄って来た。兵士はティアにまっすぐ視線を向けていたため、ジェイドが周囲に視線を素早く巡らせたことには気づかなかったようだ。

「ティア・グランツ響長ですね?」
「え、ええ。どうしたんですか?」

 自身の名を呼ばれ、一瞬動揺したティアを驚かせたのは、兵士が続けて口にした言葉だった。

「こちらの奥に、第七譜石らしき譜石が発見されました。確認をお願いしたいのですが」
「第七譜石!? まさか……大佐」

 数瞬狼狽え、意図的に深く呼吸をして意識を落ち着ける。それでも不安げに自分を見つめるティアに、ジェイドは小さく頷いて見せた。
 本来、第七譜石はホドに存在していた。ホド崩落時に大地諸共魔界へ落下し、泥の中へと沈んで行った第七譜石がこのアクゼリュスに存在する訳が無い。
 『記憶』のときはそのようなことは知らなかったけれど、既に知っている今ならば分かる。これは自分たちからティアを引き離し、理由はどうあれ彼女だけでも救おうとしたヴァンの策略なのだ、と。
 だが、本来この時点で自分がそのようなことを知るはずは無い。だから、彼女を引き留める理由もジェイドには存在しない。第七譜石の探索は彼女に命ぜられた任務なのだから、むしろ素直に送り出してやる方が自然だ。

「そうですね。任務なのでしょう? 行ってください、ティア」

 故にジェイドはティアを、そう言って送り出した。少なくとも彼女が害されることは無く、『記憶』の通りであればアッシュが彼女を救い共に最奥部へとやって来るはずだから。

「分かりました。参ります、案内してください。大佐、済みませんが失礼します」
「ええ、行ってらっしゃい」

 軽く頭を下げながら、兵士に付いて去っていくティアをジェイドはのんびりと見送った。1人になったところで、くるりと周囲を見渡すと不敵な笑みを浮かべる。軽く動かした右手の指が、長い髪を掻き上げた。


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