紅瞳の秘預言27 崩落

「……さて。その程度の兵力で私を殺せるとお思いですか?」
 彼の呟きが合図であったかのように、がしゃがしゃと金属の擦れ合う音が彼の周囲を取り囲む。神託の盾兵士たちは既に剣を抜き、たった1人の軍人を相手にしているとは思えないほど慎重にその刃を向けていた。その内1人が、引きつった声で言葉を返して来る。

「黙れ、『死霊使い』。貴様が封印術を掛けられていることは既に分かっている」
「まあ、確かに」

 ジェイドは、眼鏡の位置を指先で直しながら頷いた。兵士の言葉を否定はしない。
 ラルゴによって掛けられた封印術は未だ完全には解除されておらず、上級譜術の使用にはもう少し時間が必要だった。だが既に中級譜術までは問題無く使えるようになっており、対多数の戦闘にも特に支障は無くなっている。それを、彼ら神託の盾は知らないだけのこと。

「時間が惜しいのですがね。貴方がたも早く街の外に避難しないと、死にますよ」
「戯れ言をほざくな。この場で貴様には死んで貰う」

 『死霊使い』と呼ばれる男の心からの忠告を、神託の盾は冷たく切り捨てた。小さく溜息をつき、口の中で詠唱を始める。ここでぐずぐずしていては、ルークがパッセージリングを破壊してしまう。自身は死んでも構わないけれど、それでルークを悲しませることだけはしたく無かった。

「ジェイド。こんな輩の血で貴方の手を汚すことはありません」

 聞き慣れた、どこか気取ったような台詞と共に、ふわりとジェイドの身体は宙に浮いた。え、と声を上げる暇も無く彼はすとん、と何かに腰を下ろしそのまま上空へと浮上する。一瞬目標を見失った兵士たちを、機械仕掛けの巨大な腕が一気になぎ払った。

「……サフィール」
「お元気そうで何よりです、ジェイド」

 振り返ると、手入れさえすればきっと自分よりも艶やかな銀の髪が視界に入る。当たり前のように自分を膝の上に座らせた幼馴染みの名を、ジェイドは呆気に取られた表情で呟いた。ディストは上機嫌な笑みを浮かべたまま、片手で器用に小型の音機関を調整している。もう片方の手は、ジェイドが落ちないようにその腰に回されていた。

「ディ、ディスト師団長!? これは一体!」
「あー、言ってませんでした? 私、主席総長の部下やめましたんで。ジェイドの邪魔をするのならその生命、ここで消してあげますよ」

 なぎ倒された衝撃からやっと立ち直った神託の盾兵士が、悲鳴にも似た声を上げる。ディストは白い鎧たちを見下ろして、獰猛な笑みをその顔に乗せた。
 病的に白く細い指先が音機関の一部を撫でると、彼らの背後に立っていた巨大な譜業機械が両腕を威嚇するように振り上げた。そうして兵士たちを無造作に手で掴んでは、頭部に据え付けられているやたら巨大なトレイの上にひょいひょいと置いて行く。
 球形の胴体から長い手足が伸びているこの巨体は、ディストお気に入りの譜業機械──カイザーディスト。『記憶』の中で、ジェイドが何度か戦ったことのある相手だ。だが、何と無く物足りないような気がしてジェイドは軽く眉をひそめた。途端ぐらりと椅子が揺れて、慌ててジェイドは椅子にしがみつく格好になる。

「はいはい邪魔です邪魔! 主が誰でも知ったこっちゃ無いですが、忠誠を尽くしたいのならさっさと撤退しなさい! 死んで花実が咲くものかぁ!」

 楽しそうに笑いながら、音機関の操作を続けるディスト。彼の指の動きに応じ、なおも譜業機械は兵士たちを捕まえて行く。
 暴れているカイザーディストを真紅の目でまじまじと見直して、ジェイドはふと違和感の正体に気がついた。
 この譜業機械は、武器を携行していないのだ。弾丸の発射口も、ドリルも、ハンマーも。
 伸ばされた腕の先に付いているのは人のものを模した指のある手。それで掴まれた兵士たちは、放り込まれたトレイの上でぽかんとしている。一体自分たちに何が起きているのか、理解出来ないのかも知れない。

「サフィール、貴方これは……」
「だって、無闇に殺しちゃったら貴方が悲しみますから」

 呆然と幼馴染みの顔を見つめるジェイドに、ディストは獰猛さを消した無邪気な笑顔で答える。それから、暴れるカイザーディストを他所に坑道の入口へと譜業椅子を接近させ、そこでジェイドを降ろした。

「セフィロトに行くんでしょう? 気をつけてくださいね。主席総長はもう向かっているみたいですよ」
「ええ。……助かりました、サフィール。陛下や皆によろしくお伝えください」

 椅子を浮上させ、ほんの少し自分より目の位置を高くしたディストにジェイドは、穏やかな笑みで答える。それは世辞でも何でも無く、本心から出た感謝の言葉であることをディストは感じ取った。
 だから、少し照れたようにそっぽを向いてしまった。正面から感謝されることに、彼は慣れていないから。

「はいはい。貴方も、無理しちゃ駄目ですよ」
「ええ。では、また」

 ディストの心境を朧気ながらも理解していたのか、ジェイドは苦笑を浮かべると手を振りながら身を翻した。坑道の最奥部、パッセージリングのある部屋へ一刻も早く向かわねばならない。
 坑道の奥へと消えて行く青い背中を見送り、ディストは再び譜業椅子をぐんと上昇させた。両手で音機関を細かく操作しながら、テンション高く叫ぶ。

「ほうら、貴方たち! 死にたく無ければとっとと、この『カイザーディスト・レスキュー』の元に集まりなさぁい! あっはっは、集まらなくても勝手に回収しちゃいますけどねぇ!」

 ずし、ずしと足音を響かせながら譜業機械が動き回る。その振動に、トレイの上に乗せられた兵士たちは悲鳴を上げながら必死に手すりや床にしがみついていた。これでは、戦闘意欲など既に霧散しているだろう。
 足元にいた兵士たちを全て拾い終えた後、更なる犠牲者を探しながらカイザーディストとその開発者は、ジェイドが向かった坑道に背を向けた。譜業機械の頭上のトレイでは、兵士たちがすっかり腰を抜かしてへたり込んでいる。まだまだその容量には余裕がありそうだ。


 坑道を奥へ、奥へと向かっていたアリエッタとナタリアは、周囲を取り囲んだ白い鎧の兵士たちによって足止めされていた。アリエッタと背中合わせになりながら、ナタリアが顔を引きつらせる。

「貴方たち……そこを退きなさいませ! 私どもには向かわねばならない場所があるのです!」
「ナタリア王女、アリエッタ師団長。貴方がたにはこの場で、死んでいただこう」

 兵士の1人が冷たい言葉を吐き出した。それと共に、兵士たちは剣を抜き2人の少女に向けて構える。
 ふわり、と風が舞った。2人を庇うように出現したのは1頭のライガ。アリエッタに影のように付き従う、彼女の兄弟である。ぐるる、と地を這うような唸り声に一瞬兵士たちは足を引きかけるが、慌てて剣を構え直した。どうやら、こちらの話を聞く気はまるで無いようだ。
 それでもナタリアは、毅然とした態度で声を張り上げた。例え無駄だと分かっていても、警告を発せずにはいられない。このままだと、生命を落とすのは彼らも同じなのだから。

「何をおっしゃっているのか分かりませんわ。早く脱出しなければ、貴方たちも死んでしまいますのよ。命を疎かにしてはなりません」
「それが主席総長の意図ならば、一兵卒たる我らはそれに従うのみ」

 少女の言葉に、兵士たちは本当に耳を貸そうともしない。ライガの唸り声を聞き取ったアリエッタが露骨に嫌な顔をして、声を低く落としナタリアに告げた。

「……ヴァン総長の匂いがするって。こいつら、ヴァン総長の、直属」
「……グランツ謡将……部下を捨て駒にするなんて、何と愚かな」

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、ナタリアはぼそりと言葉を吐き出した。彼女とて一国の王女であり、戦において犠牲者を0にすることなど到底無理であることは分かっている。だが、この兵士たちは今すぐ撤退すれば少なくとも生命は救われる。ナタリアとアリエッタの殺害が、己の死を以てまで遂行せねばならない任務であるなどとはナタリア自身にはとても思えなかった。
 ぬいぐるみを抱きしめたままじっと黙り込んでいたアリエッタが、そのぬいぐるみを片手にぶら下げた。きっと前方を睨み付け、幼いながらも凛とした声で指示を下す。

「フレス、ナタリアお願い。お兄ちゃん、手伝って」
「アリエッタ!」

 はっと気づいたナタリアの身体を、青い鳥の魔物が下からすくい上げるように己の背に乗せて空へと舞い上がった。ライガは自分の背に飛び乗ったアリエッタに小さく唸ると、いつでも敵に飛びかかれるよう姿勢を低くする。

「大丈夫。ナタリアも、上から手伝って」
「……分かりましたわ」

 仕方が無い、と言うように小さく溜息をついて、ナタリアは背負っている矢筒から矢を1本取り出した。弓に番え、引き絞る。ここで戦わねば、未来は無いのだから。
 一斉に兵士たちが斬りかかってくる。ライガはその頭上を易々と飛び越え、鎧ごと彼らの肉体を切り裂いた。それが、戦闘開始の合図。

「分からず屋のお馬鹿さんたちには、少々痛い目を見て貰わないといけませんわね!」

 涼やかな声と共に放たれた一矢は、狙い過たず兵士の首筋に突き立った。


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