紅瞳の秘預言27 崩落

 真紅の髪が舞い踊ると同時に、白い鎧が2体同時に血を吹きながら倒れた。
 自身の背後にいた兵士が一瞬怯んだ隙を見て取り、ティアは杖でその脇腹を殴りつける。僅かに距離を開け、振り返りざまに太腿から引き抜いたナイフを兜の隙間へと叩き込んだ。
 ゆっくりと兵士が崩れ落ちると、ティアと彼女を助けた青年の他に立っている者はいなくなっていた。ふうと小さく息をつき、ティアは青年の元に歩み寄って行く。

「ヴァンの妹だったな。大丈夫か?」

 剣を振るい、刃に付いた血を落として鞘に収める。そうして振り向いたのはルークと同じ造形の、けれど彼よりも厳しい表情の持ち主だった。
 六神将の1人であり、ルークのオリジナルであり、ティアの友人となったナタリアがずっと焦がれていた許婚……『鮮血のアッシュ』。神託の盾兵士に拘束され、連れ出されかけていたティアの前にふわりと降り立った彼は、瞬く間に兵士たちを斬り伏せ彼女を救い出したのだ。

「え、ええ。ありがとう、アッシュ」
「無事なら良い。てめぇの妹だけは助けるつもりだったか、あの野郎」

 礼を言われてふいとそっぽを向いてしまうのは、旅を始めた頃のルークにもどこか似ている。別々に育った7年間の環境が異なるとは言え大元の育て方は同じなのだから、アッシュもルークのように照れ屋なのだろう……とティアは心の中で結論づけた。

「他の連中は先に行ったのか?」

 そう問われ、ティアは改めてアッシュの顔を見やった。いらいらしているように見えるのは、彼もディストから事情を聞いているせいだろう。ジェイドを通じルークたちに情報を提供してくれた彼が、アッシュにも同じ情報を伝えていないはずが無いから。

「上で見ていないのならそうね、多分」

 共に旅をしてきた仲間たちの中では、恐らく自分が目的地からは一番遠いところにいるはずだ。そう推測してティアは答える。それから、ふと思い出したように直前まで一緒だった軍人の名を出して問い返した。

「途中までカーティス大佐と一緒だったのだけど、見なかったかしら」
「死霊使いか? 見なかったぞ。ディストなら楽しそうに暴れていたが」

 アッシュの碧の目が僅かに見開かれた。譜業機械の巨体がそこら中の兵士たちを次から次へと拾い集めている様子は、グリフィンの背中からでもはっきり確認することが出来る。だが、『死霊使い』の二つ名で呼ばれる軍人が戦闘を行った痕跡は全く見られなかった。無論それはディストがジェイドに戦闘をさせなかったからなのだが、アッシュはそれを知らない。

「……そう。先に行かれたのね。きっと、もうみんな奥だわ」
「分かった。急ぐぞ」
「ええ」

 言葉を交わし合い、駆け出そうとしてふと青年は足を止めた。空を見上げ、軽く手招きをする。

「お前もついて来い。アリエッタも奥だろう?」

 空中で待機していたグリフィンは、自分が呼ばれたことに気づいたのか嬉しそうに唸り声を上げた。


 アクゼリュス最深部……パッセージリングが安置されている部屋とそこまでの通路は、無骨な岩肌が露出していた上部とは違いどこか荘厳で、きらびやかでは無いものの美しい、とルークには感じられた。
 その空間には眩しくは無いけれど明るい光で満たされており、巨大な音叉を取り巻く光の環がルークを待っていたかのようにきら、と一瞬だけ光を強めた。
 人が入れる場所としてはここが最下層かと思われたが、どうやら空間としてはまだ下に続いているようだ。そうしてそのまま、魔界から吹き上げるセフィロトツリーに繋がるのだろう。

「さあ。ルーク、こちらへ来なさい」

 先頭に立ち彼らをここまで導いて来たヴァンが巨大な音叉の傍で振り返り、朱赤の焔を手招く。ルークはこくりと息を飲み、ちらりとイオンたちに視線を向けた。

「済みません……後は、お願い、します」

 ダアト式譜術を使用したことでかなり疲労しているイオンは、入口から何歩も進むこと無くその場にへたり込んだ。彼を包み込むように抱きしめているアニスと、ルークの視線が合う。

「……ルークぅ」
「ああ。大丈夫。あ、ミュウ頼む」

 少女を安心させたくて微笑みを浮かべると、ルークは小さく頷いた。イオンの膝の上に不安そうな表情のミュウを置くとくるりと身を翻し、まっすぐ音叉の元へと歩み寄った。
 巨大な黄金の音叉と、それを包み込むように上下する光の環。これがジェイドたちの言うパッセージリングなのだ、とルークはどこか冷めた意識の中で理解していた。

 今から俺は、これを壊す。

 まっすぐに音叉を見つめ、そっと手を伸ばす。掌を向けると、ほのかに暖かくなったような気がした。

「そうだ。そのまま集中して……パッセージリングに力を注ぎ込め」

 ヴァンの低い声が、どこか遠くで響いているように感じる。その声に導かれるようにルークは、全身の力を掌へと集中させて行く。
 これは命じられてやるのでは無い。自分の意志で行うのだと、少年は自分に言い聞かせながらゆっくりと息を吸い、吐く。初めて超振動の力を発動したときと同じ空気の震えが、手の中に生じた。

「『愚かなレプリカルーク』。お前には、まだまだ使い道があるようだな」

 それまでとはがらりと変化した、師の冷たい声がルークの意識を支配する。少年の頭の中でくわんくわんと響く声が、バチカル城の地下で注ぎ込まれた同じ人物の声を再生するスイッチとなって作動した。

 私の声に、心を委ねろ。
 私が合言葉を口にしたならば、お前は全力を以て超振動を放つのだ。
 合言葉は、『愚かなレプリカルーク』。

「──え」

 少年の意識とは関係無く、全ての力が掌へと流れ込む。それはキャツベルトの甲板で強制的に超振動を引き出されたときよりも強くルークを、音素の流れを支配していた。

「………………──っ!」

 声にならない悲鳴が上がる。ルークはジェイドに教えられた記憶を必死に思い出し、体内の音素の流れを元に戻そうと試みるが適わない。それどころか掌の中に生まれた光は、ルークの全身から吹き出す力をどんどん吸い込んで行く。

「ルークっ!? 謡将、止めさせろ!」

 少年の表情に気づき、ガイが駆け寄ろうとした。が、数歩進んだところでその足は止まってしまう。その足元の地面には、いつの間にか裂け目が生じている。抜刀していたヴァンは眼を細め、口の端を歪めた。

「これで良いのですよ。世界を救うためには、犠牲が必要だ」

 何で……何で、何でっ!?
 俺は、自分で、セフィロトを壊すって決めたのに……何で!

「その犠牲にルークを差し出す気か!」
「これは元より、そのために造られたモノ。その役目を果たして貰うだけです」

 ヴァンがガイに対し敬語を使っているのは、金の髪の青年が己の主であったことを隠す必要が無いと判断したからだろう。つまり、この場に存在する全ては自分の手の内にあると判断したから。
 だが、自身の体内で暴れ回る音素に翻弄されているルークには彼らの会話が届くことは無い。全身がバラバラになりそうな衝撃に耐えながら少年は、声にならない声で名前を呼んだ。

 助けて……助けて、ジェイド!

「ルーク!」

 聞き慣れた声で名を呼ばれたその瞬間、少年の掌から力が放たれた。

 超振動の力は光の環をかすめ、一瞬間を置いて空中で爆発を起こした。その衝撃が伝わったのか、音叉がぶるぶると震える。光の環は収束するようにしぼんで行き、やがて消え失せた。と同時に、大地が低い音を立てながら震え始めた。パッセージリングの機能が停止したために、柱が消滅したのだろう。

「うわあっ!」
「あっ!」
「ご主人様っ!? みゅうううううっ!」
「きゃ、い、イオン様っ!」
「くっ……!」

 爆風はガイを軽々と吹き飛ばし、イオンとミュウを庇って地に伏せたアニスの癖のある髪を激しく弄ぶ。ジェイドの長いくすんだ金髪も風に煽られ、その勢いに彼は思わず腕で顔を覆った。

「おっと」

 風に押し付けられるように崩れ落ちたルークの腕を、爆風をものともせずに立ち尽くしていたヴァンが無造作に掴み取った。ルークの意識は今の衝撃に耐えられなかったのか既にブラックアウトしており、無抵抗のまま男の腕に抱え込まれる。それだけは耐えきれなかったのか髪をまとめていた紐が解け、ティアと良く似た色の髪がばさばさと風に煽られ彼の表情を隠す。
 と、ヴァンの右腕が無意識に剣を抜き、構えた。ぎぃんと言う金属音と共に刃が受け止めたのは、長い距離を一気に跳躍してきたジェイドが振り下ろした槍の穂先。

「その子を放しなさい、ヴァンデスデルカ!」
「なるほど、貴公もこれの超振動を利用したいか」

 右腕一本の力だけでジェイドの一撃を受け止めきって、ヴァンは剣を大きく振り回す。それより一瞬早く槍を消して飛び退いたジェイドは、着地の反動を利用して再び彼の懐へと飛び込んで行った。

「誰が利用など!」
「力不足の駒だが、せいぜい利用するに限る。このようにな」

 槍の具現化を読んだのか、ヴァンはぐったりしたままのルークをジェイドに向けて突き出す。はっと目を見開き、武器を出さないままジェイドはヴァンの目の前に停止する形になった。

「マルクトの兵器には申し分無いだろう。使い捨てのつもりだったが、再利用出来そうだ」
「それ以上……ふざけた口を叩くな!」

 跪いた格好のままヴァンを見上げるジェイドの手の中に、再び槍が具現化した。足元を払った一撃にバランスを崩し、一瞬だけヴァンの意識がルークとジェイドから逸れる。


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