紅瞳の秘預言27 崩落

 その瞬間を、見逃さない者がいた。恐らくはジェイドも、彼に全てを託したのだろうが。

「よっと」

 ジェイドがヴァンに攻撃を仕掛けている間に態勢を立て直していた金の髪の青年が、2人の間へと割り込むように飛び込んで来る。ヴァンの腕の中から易々とルークの身体を奪い取り、ガイは素早く飛び退いた。

「悪いな。ルークは返して貰うぜ」

 青い瞳は、自身の『剣』であった男を冷たく見つめる。ヴァンは青年の正体に気づくと眼を細め、どこか嘲るように口を開きかけた。

「……ガイラルディア様。貴方は」
「旦那は俺の正体を知ってる。それに、どうせいつかは話すことだ……脅しにはならない」

 ヴァンの言葉に重ねるように、ガイが吐き捨てた。彼と意識の無いルークを庇う位置に、槍を構えたジェイドが動く。にぃ、と薄い唇が笑みの形に歪められたことが、ガイの言葉が真実であることをヴァンに知らしめた。

 真紅の瞳がちらりと自分から逸れたのに気づき、ヴァンは視線を動かした。その先は部屋の入口に向けられており……そこへ、ちょうどアッシュがティアを連れて駆け込んで来たところだった。2人はヴァンと相対しているジェイドと彼の背後にいるガイ、その腕の中で意識を失っているルークを認めると同時に顔色を変えた。

「ルーク! イオン様、大佐! 大丈夫ですかっ!」
「ヴァン! てめえ、レプリカに何かしやがったか!」
「アッシュ……ティア、お前まで!」

 部下に命じアクゼリュスから脱出させたはずの実妹がこの場にいることに、さすがのヴァンも顔色を僅かながら変化させた。アッシュの黒衣や抜かれている剣の刃に付いた血を見て、状況は把握出来ただろう。
 一方ティアは、イオンを抱きかかえどうにか上体を起こしたアニスを守るように杖を構えた。その瞳は実兄を、まるで仇とでも言わんばかりに強く睨み付けている。

「やっぱり……外殻大地を存続させるなんて嘘だったのね! 兄さんの、嘘つき!」
「メシュティアリカ……お前にも、この世界の構造が如何に醜く愚かなものであるかすぐに分かるはずだ。だから、お前には生きて欲しい」

 風が収まるのを待って、ヴァンは前髪を掻き上げた。鋭い両目はそれでも、妹をいたわる兄の光を失ってはいない。もっともその思いは、ティアに伝わることは無いけれど。

「だからって、こんなやり方は無いわ! ローレライだって、始祖ユリアだって望んで無い!」
「望むと望まざるとに関わらず、既に世界の行く末は決定されているのだ。だが、私はこの世界を変える!」
「決定などされてはいない!」

 兄妹の口論に、ジェイドの叫びが割って入る。はっと視線を向けた2人が見たものは、ヴァンの目前に穂先を突きつけ瞳の色を濃くした『死霊使い』の姿。

「預言は変えられる! 貴方は何も知らないから、そんなことを!」

 ジェイドの言葉は、彼以外の誰にも理解はされないだろうが実体験から出たものだ。『記憶』の世界では少なくとも、第七譜石に刻まれた預言の年までにマルクトが滅びることは無かった。そこから派生するキムラスカの破滅と、最終的に迎えたであろうオールドラントの消滅も恐らくは。
 だが、それをヴァンは知らない。知らないが故に、彼はジェイドの言葉を一笑に付した。

「少なくとも貴公よりは理解している! 戯れ言を抜かすな、『死霊使い』!」

 ルークを回収することは諦めたのか、ヴァンが右手を挙げる。次の瞬間その姿は、アリエッタが使役しているものとは別のグリフィンの背にあった。そうしてもう1頭のグリフィンが、アッシュの両肩を無造作に掴んで空へと舞い上がる。

「放せ!」

 ヴァンに意識を取られていたアッシュは魔物の爪から逃れようと暴れるが、グリフィンは彼を放さない。彼に寄り添うようにヴァンを乗せたグリフィンがふわりと空を滑る。

「お前も来るのだ、アッシュ。イオンを手放すのは惜しいが……」
「渡しませんわ!」

 凛とした声が響くと同時に、ひゅひゅんと風を切る音がした。アッシュを掴んでいるグリフィンの足に、矢が数本突き刺さる。

「ぎゃあああ!」

 悲鳴を上げながらも、魔物はアッシュを放さない。だがそこへ、「フレス、グリフ! 行って!」と幼い声に命じられた2頭の魔物が襲いかかった。リボンを付けたグリフィンと、そしてフレスベルグ。

「アリエッタ! ……ナタリア王女か!」
「返して貰いますわよ、グランツ謡将! やっと見つけた、私の大切な人を!」

 入口から駆け込んで来たのは、1頭のライガ。その背に跨り、アリエッタに腰を保持された状態でナタリアが弓を構えていた。既に次の矢は番えられており、いつでもヴァンを乗せたグリフィンを撃ち落とせるように狙いを定めている。彼女のランバルディア流弓術免許皆伝と言う弓の腕は、ヴァンも良く知っていた。
 ちっと舌を打つと、ヴァンは自分が乗っているグリフィンの首筋を軽く叩いた。その指示に従い、魔物はぐんと高度を取りやがて消える。もう1頭のグリフィンはアリエッタの『友達』に容赦無い攻撃を受け、フレスベルグにアッシュを奪われるとぎゃあぎゃあと鳴きながら逃げ去ってしまった。

「アニス、イオン様はっ!?」

 ライガの背からナタリアが飛び降りると、アリエッタはそのままイオンの元まで『兄』を駆け寄らせた。ティアの手を借りてその背から降り、アニスの腕に抱え込まれている導師の顔を心配そうに覗き込む。

「だ、だいじょぶ……ダアト式譜術使って、疲れてるだけだから」
「ああ、アリエッタ、僕は……大丈夫、です……それより、ルークを」
「アリエッタは、イオン様と一緒にいるの。ルークには、ティアが行って?」
「みゅうう……ボクも連れて行ってくださいですの」

 少女と少年の言葉に軽く首を振り、アリエッタが見つめたのはティアの顔だった。しばし目を瞬かせてから、彼女は素直に頷く。

「……え、ええ、分かったわ。イオン様をお願い」

 恐る恐る手を伸ばしたミュウを胸に抱きしめ、慌てて駆け出したティアを見送って、桜色の髪を持つ少女はイオンの手を取る。きゅっと握り返された少年の手の力に、ほっとしたのかアリエッタはふわりと優しい笑みを浮かべた。

「ルークは、どうですか?」

 少年を抱えているのがガイと言うこともあり、ティアは彼らから少し距離を置いてそう尋ねた。ガイは済まなさそうに眉を下げて、眠っている少年の顔をティアの方に向けてやった。

「ああ。だいぶ息が乱れてるけど、見たところ問題は無さそうだ」
「みゅみゅ……ご主人様、大丈夫ですの?」

 地面に降ろされたミュウが、ちょこちょことルークの元まで走り寄って来る。はあはあと苦しそうに呼吸をしてはいるが、ルークの全身にこれと言った傷は見られない。

「強引に超振動を引き出されたので、体内音素のコントロールに乱れが出ているんでしょう。しばらく休ませれば、回復すると思います」

 やっと槍を納めたジェイドが、意図的に感情を抑えた声で少年の状態を口にした。眼鏡のブリッジを指先で押さえているのは、今の表情を他人には見られたくないためだろう。そんなジェイドの様子をちらりと横目で伺って、ガイは苦笑を浮かべつつ肩をすくめた。

 全く、心配なら心配って言えっての。看病くらい誰がしたって一緒じゃ無いか? なあ、旦那。

「つまり、大丈夫だってさ。良かったな、ミュウ」
「はいですの!」

 こちらは意図的に明るい声を発する。ミュウは無邪気な笑顔で大きく頷くと、主の胸元にすりすりと擦り寄った。ルークの呼吸が少し楽になったように見えたのは、果たして気のせいだろうか。

 アッシュを大切に抱きかかえ、フレスベルグが地に舞い降りた。降ろされた青年の元に、ナタリアが弓を仕舞いながら駆け寄って来る。

「アッシュ! ……いえ、ルーク!」
「ナタリア……」

 ぎゅっと腕にしがみつかれ、一瞬身を引きかけたもののアッシュは彼女の為すがままにさせた。ナタリアがこれほどまでの至近距離にいるのは恐らく7年ぶりで……懐かしさと喜びとそして照れ臭さが青年の動きを押し止めたのだろう。

「……ぐっ!」

 だが、無粋な頭痛が青年を襲った。こめかみを押さえ、アッシュはその場に屈み込んでしまう。慌ててナタリアも身を屈め、心配そうに青年の顔を覗き込んだ。

「ルーク、大丈夫……」
「くっ……ヴァンの妹っ! 譜歌を歌え……っ!」

 唐突に、アッシュが叫んだ。呼ばれた当人であるティアがはっと顔を上げたが、何故自分が呼ばれたのか分からないと言う表情でアッシュに視線を向ける。
 青年は端正な顔を苦痛に歪めながら、それでもティアを見つめていた。真紅の髪を指先で掻き回しながら、どうにか痛みを逃そうとしているようだ。

「え、どういうこと?」
「……っの野郎……てめえの譜歌を頼りに、セフィロトツリーを……一時的に再構築、する、とさ!」
「セフィロトツリーを、再構築?」
「魔界、落着まで、は、保たせる……ってよ! あのくそったれが!」
「なるほど、ローレライ……ですか」

 ティアには、アッシュの口にした言葉の意味がいまいち理解出来なかった。だが、ジェイドがその名を呼んだ存在に思い当たって口元を手で抑える。歌われる譜歌を標とする存在など、確かにその他には無いであろう。


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