紅瞳の秘預言 Epilogue 未来

 預言を以て世界を導くことをやめ、始祖ユリアへの信仰を軸にした組織へと切り替わりつつあるローレライ教団。その中心地は相変わらずダアトにあり、イオンはシンクや導師守護役たちの力を借り今なお導師として人々を導いている。ジェイドやサフィールが進めているレプリカ研究の成果もあり、彼の身体は少しずつ丈夫にもなってきているらしい。

「あれから、もう2年になるんだねえ」

 読んでいた本から顔を上げ、フローリアンはふと思い出したように呟いた。
 ファブレ邸と言う檻から解き放たれた後のルークと同じようにいろいろなことを知りたがったこの少年はトリトハイムやライナー、そして自分の兄弟たちに勉強を見て貰っている。将来自身が何をしたいのかはまだ見つからないようだが、それを見つけるためにもまずは自身の中に知識を積み上げていきたいのだと言う。

「うん。ルークとアッシュ、やっと大人」

 彼の隣に並んで座り、別の本に目を通していたアリエッタがにこっと笑った。彼女はずっとイオンのそばにいて彼の力になることを選び、今も師団長の地位にあった。シンクと、そしてカンタビレの協力の下に教団は新しい世界になじむよう、イオンの力になれるようその形を変えつつある。

「そうですね。成人の儀にはジェイドも出席するそうですよ」
「国の外に出られるようになったんだよね。良かった」
「リハビリ、大変だったってアリエッタ、聞いた」

 イオンの言葉に、フローリアンとアリエッタはお互いの顔を見合わせた。そうして無邪気に微笑み合い、嬉しそうに頷く。
 ここにいる3人の中で、実は最年少であるイオン。民への影響が大きいからとシンクに止められ、自身がレプリカであることは今も公表されていない。けれど、恐らくはそのおかげでローレライ教団は激しく瓦解することも無く、今なお一大宗教団体としてその力を失ってはいなかった。
 ならば、レプリカであることを公表するのは人生を終える時で良いかと今イオンは考えている。そう早く死ぬつもりは無いし、きっとアリエッタやアニスが守ってくれるから。
 そうして自分は自分を世界に産み出してくれたジェイドの心を守り、世界を守っていくのだ。

「1年以上眠っていましたからね。筋力がかなり落ちたそうですから」

 だからイオンはふんわりと落ち着いた、けれどどこか子どもっぽい笑みを浮かべた。


「あ、なあなあガイ。ジョゼットさん元気か?」
「ん? ああ、元気だよ。予定日は来年早々って言ってたな」

 ルークに突然問われ、ガイは一瞬だけ思考を巡らせた。彼の従姉であるジョゼット・セシルはあの戦いから1年足らずの間にアスラン・フリングスと愛を育み、今は彼と同じ姓を名乗りマルクトに居を構えている。そしてどうやら、間も無く母になるようで。
 これもまた、『記憶』とは異なる未来。

「そっかあ。早いなあ」
「フリングス少将……じゃなくて中将だったっけ。結婚式良かったよね」

 楽しそうに頬を緩めるルークを見ながら、シンクも少しだけ表情を崩す。子どもたちの顔を見比べつつジェイドは、ほんの僅か首を傾げた。

「私は出席していませんでしたが、話はいろいろ聞かせて貰いましたよ。主にサフィールとガイから」
「ははは。旦那が起きたときのためにって、記録結構残してたしな」

 決戦の直後に意識を落としたジェイドは、それから1年と少しの間昏睡状態にあった。その間の世話はサフィールと彼の補佐役になったタルロウ、そしてガイが中心になって務めていた。もっとも、焔を初めとする他の子どもたちも公務やプライベートなどでグランコクマを訪れた機会には顔を見せ、率先して手伝っていたらしい。

「ルークとアッシュの成人の儀には間に合って良かったですね。リハビリもありましたし」
「すみません。皆さんにはお手数をお掛けして」
「ううん、俺たちの方が今まで手間掛けてたし。だからジェイドが謝ることは無いんだぞ」

 サフィールの言葉は柔らかい口調だったけれど、ジェイドは困ったように眉尻を下げる。慌てて手を振りながらルークは、彼の認識を訂正するように言葉を紡いだ。
 だって、ジェイドが『未来の記憶』を持っていなければ自分は、今この世界に生きていなかった。
 シンクやアリエッタたちと笑い合うことも無ければ、アッシュの弟として受け入れられることも無かった。
 その代わりジェイドは疲れきってしまって、だから1年以上もの間心と身体を休めていたのだ。

「だから、僕たちがあんたの面倒見るのは当然なの。親孝行なんだから、素直に受け取ってよね」

 シンクのどこかふてくされたような言葉は、ルークたち全員の思いを代弁したものであった。


「カーティス大佐! ネイス博士もガイも、良く来てくれましたわね!」
「よく来てくれた。ありがとう」

 昇降機を降りたところで、ナタリアとアッシュが待ち構えていた。ルークと同じように真紅の長い髪を背で編んでいるアッシュは、だがやはりと言うかルークよりも大人っぽく見える。この辺りは、当人の性格にもよるのだろうと大人たちは分析していた。

「お招きいただきありがとうございます。アッシュ、成人の儀おめでとう」
「おめでとうございます、アッシュ」
「……あ、ああ。ありがとう」

 ガイとジェイドに祝いの言葉を受けて、真紅の焔は一瞬目を見張った。すぐ常態を取り戻して答えたものの、僅かに耳が赤くなっている。そこに、サフィールの言葉が追い打ちを掛けた。

「そう言えばアッシュは、この後正式にナタリア王女との婚約も発表されるのでしたっけね」
「ええ。私はすぐにでもと望んだのですけれど、こう言ったことはやはり成人してからが良いと父やファブレ公爵に言われまして」

 ナタリアはにこにこと満面の笑みを浮かべ、堂々と答える。対して頬まで赤く染めてしまったアッシュに、ジェイドが素直な言葉を掛けた。

「それは、重ねておめでとうございます」
「……これも、てめえのおかげだ。感謝している」

 ぼそぼそと、口の中だけで答えるアッシュ。と、その背中をばんと力強く平手が叩いた。

「あれー、アッシュ照れてるー?」
「アニス、貴方ねえ」
「いてえな、てめえ!」

 けらけら笑いながらアッシュの拳をひらりと避けたのは、相変わらず導師守護役の制服を纏っているアニスだった。その彼女を追うように、ローレライ教団の制服を着用しているティアが駆け寄って来る。
 2人の姿を見て、今度はナタリアが目を丸くした。口元を手で抑え、不思議そうに問いかける。

「ティア、アニス。屋敷で待っているのではありませんでしたの?」
「そのつもりだったんだけど、やっぱり大佐がおいでになるのですからお迎えに上がりたいなあ、って……」
「大佐がバチカルに来るの、あの旅終わってから初めてなんだよ?」

 問われて照れくさそうに頬を染めるティアと、平然と笑って答えるアニス。特にアニスは成長期であることもあってか、旅路を共にした頃よりすっかり背も伸びて女らしくなりつつある。

「そう言えば、そうでしたね」

 共に旅をした仲間の内で、ジェイドを軍の階級で呼ぶのはこの2人の少女とナタリアだけだった。それを思い出し、ジェイドは真紅の瞳を僅かに細める。
 あれから2年経っているが、ジェイドは未だに大佐の地位にある。所属自体はグランコクマの研究所付きとなっており、前線からは一線を引いているのだが。

「それどころか、マルクトから出るのもあれ以来だろうが。まあ、仕方ねえんだが」
「あまりジェイドには無理をさせたく無かったんですよう」

 がりと前髪を掻きながら溜息をつくアッシュに、サフィールが大人気なく頬を膨らませた。この男は40を手前にしても、相変わらずジェイドを中心に世界を回している。
 けれど、それで良いのかも知れない。何故なら世界は、小競り合いこそあれ何事も無く回っているのだから。

「な。ジェイド、幸せ?」
「はい、とても」

 ルークに尋ねられ、満面の笑顔でジェイドは答えた。
 空は青く澄んで、2人の焔たちが成人の儀を迎える日を祝っている。
 確かに少なくない犠牲を出しはしたものの、オールドラントは滅びの日を遠い、遠い未来へと設定し直した。
 旅を共にした子どもたちは皆、それぞれの人生をしっかりと進んで行けるだろう。
 だから、幸せ。

 子どもたちと共に、紅瞳の譜術士は未来へと向かって行けるから。


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