LAVENDER 7.FROZEN EARTH
「聖なる光、護りの光、我が友を悪しき力より守りたまえ! シェル、プロテス!」

 ローザの多重詠唱。魔法を極めた者にのみ許される奥義を以て、二色の淡い光が仲間の身体を包み込んでいく。だがその光はゼロムスには眩しすぎたらしく、ごおおと地響きのような唸り声をあげながら巨大な肉塊がたじろいだ。

「ま……負けるものか! 我は、人には抗えぬ暗黒よ!」

 身体……と呼べるものかどうかはよく分からないが、ともかくゼロムスを形作っている実体のあちこちから液体がぶしゅ、ぶしゅと吹き出される。のたうちながらも、ゼロムスはなおも己の優位を疑おうともせず高らかに嗤った。

「くはははは! メテオとはこう使うものぞ……我が敵を滅ぼせ、メテオ!」

 恐らくは口であろう、空洞がぽかりと開いて咆哮を放った。と同時に、セオドールが呼び寄せたものと同等……いや、それ以上の数を以て流星が降り注ぐ。
 ひとつひとつはそれこそ塵芥のような欠片たちが易々と光の守りをくぐり抜け、さくさくと戦士たちの肌を切り刻んで行くのが分かる。純白だったはずのセシルの鎧はあっという間に血にまみれ、竜王の鱗にすらそれらは傷を付けていった。
 だが、その程度で怯むような戦士たちであれば、そもそも二年前に世界は救われなかったであろう。

「我が友の傷は癒える! ケアルガ!」

 凛としたローザの詠唱が響き渡った。刻まれた傷はその跡形すらも消え去り、戦士たちの身体には再び活力がわき起こる。
 リディアは己の持つ全ての魔力を二柱の神に注ぎ込み、その存在を空間の中に固定させる。そして、柔らかく微笑んで叫んだ。

「セシル、エッジ、カイン!」
「はあっ!」
「任しとけ!」
「ふっ!」

 名を呼ばれた三人が一斉に刃の雨を降らせた。のたうつ触手を切り裂き、胴を打たれながらも返す刀で傷を与える。
 そして、さらにその背後から目映い光が解き放たれた。暗黒存在であるゼロムスには直視することの出来ない、聖別された神々しい光。

「……聖なる光よ、我が敵を照らしその罪改めさせよ! ホーリー!」
「ごぁ、あああああああっ!?」

 光の圧力に押されるように、ぐずぐずと融けていく肉塊。苦しみから逃れるように無数の触手が伸びて暴れるが、溶解が止まることはない。かえって身体だったものが溶けた液が剥がれ落ち、ゼロムスにさらなる痛みを与えるだけだ。

「ば、かな……愚かな虫けらどもに、この我が……っ!」

 ぐぼっという排水音に紛れるように、苦しい声が吐き出される。その間にも竜神たちがメガフレアを浴びせ、ゼロムスの動きが弱まっていく。
 それを見て取り、セオドールは弟に微笑みかけた。

「セシル。行けるな?」
「はい、もちろん」

 力強く頷いて、セシルは手を前方に差し伸べた。同じように差し伸べられた兄の手には琥珀色の、弟の手には水の色の結晶が姿を現す。
 光の司セシルには、光のクリスタル。
 闇の司セオドールには、闇のクリスタル。
 二人が操ることの出来る結晶が、実体化した。

「みんな、力を! みんなに宿る精霊たちの力を、僕たちに!」
「はい!」

 セシルの願いに一番に応えたのは、やはりというか妻のローザ。その身体からは大地のごとく優しい思いが溢れ出し、母親のように二人の兄弟を包み込む。

「あ、先越されちゃった! 負けないもんねっ!」

 続けてリディアの身体から、涼しげな力が解き放たれた。それはさざ波のように打ち寄せ、逸る心をそうっと宥め落ち着かせてくれる。

「行け!」

 短く呟いたカインの周りを、春のごとき風が取り巻いた。クリスタルをかすめるように舞い踊るそれは、二人の淡い色の髪を漆黒の空間の中に乱れさせる。

「は、主役は最後にやってくるってな! 行こうぜ!」

 エッジの威勢の良い声と共に、その身体から燃えさかる炎が飛び出した。大きく、しかし恐怖感を伴わないその炎が二つのクリスタルに流れ込むと同時に、精霊たちの声が空間全体に響き渡る。

『土のスカルミリョーネ、及ばずながら助力いたします』
『水のカイナッツォ! 僕も頑張るよっ!』
『風のバルバリシア、参ります』
『火のルビカンテ……力の全てを、お二人に!』

 彼らの声に共鳴するように、多くの映像がどっと流れ込んできた。セオドール……『ラベンダー』がこれまでに出会ってきた、多くの人々の姿が。

 ジオット王がルカを伴い、クリスタルルームに駆け込んでいく。

 トロイア城で祈りを捧げていた姉妹神官たちが、ふと祈りを止め宙を仰いだ。

 エブラーナの家老の話を止め、ギルバートがリュートを取り出す。

 パロムとポロムにあやされていたセオドアが、急に幸せそうな笑い声を上げた。

 館で瞑想していたミンウが、ゆっくりと瞼を開く。

 数多くの思いを受け止めて、光と闇のクリスタルは共鳴を起こし虹のようにきらめく。それらを掲げ、セシルとセオドールはゼロムスと向かい合った。二人の……否、人の思いが高まっていくと共に、クリスタルの光はさらに強まっていく。

「ゼロムスよ……今一度、眠りにつくがいい!」
「願わくば……再びの目覚めのないことを!」

 言葉と共に、光は目映い白となり空間を支配した。強すぎる白はゼロムスの実体をじゅうじゅうと音を立てて蒸発させていく。耐えきれずにゼロムスが放った怨嗟の叫びをも、その呪詛を戦士たちに届けることなく消し去っていた。

「オォオオオ……また、あの中へ帰らねばならぬかぁっ……おのれ……!」
「消えろ。この世界に、貴様のいる場所はない!」
「おぉ……者ども、覚えておけ……! 我は必ず戻るぞ……幾千、幾万の時が流れようとも……!」

 セシルとセオドール、クルーヤが青き星に残した二人の兄弟の意思が、憎悪の塊を貫いた。そうしてそのまま、深い闇の奥底へと落とし込んでいく。
 宇宙空間に亀裂が走り、ブラックホールが発生した。ゼロムスは……暗黒の存在は、その名にふさわしい深奥へと吸い込まれていき……そして、虚空に消えた。


 ふと気がつくと、そこはバロン城の王の間だった。二柱の竜神たちはいつの間にか姿を消しており、その場に居並ぶのは六人の青年たちだけ。
 ローザが、やっと会えた夫を前に目を潤ませている。その視線に気づいたセシルが、ふわりと笑みを浮かべて妻を見つめ返した。

「……ローザ、ごめん。心配かけちゃったね」
「……ほんとよ。馬鹿」

 ぽつりと呟いて、ローザはセシルの胸にすがりついた。少し離れたところで見ていたエッジが、頬を微かに赤らめてそっぽを向く。

「あー、相変わらずお熱いでやんの」

 呆れながらもどこか羨ましい感の漂うエッジの言葉を聞いて、リディアがくすっと笑った。ひょいとエッジの肩に自分の体重を重ねてみると、途端に彼の心拍数が跳ね上がるのが感じられる。この青年は、いつまでたっても純情なのだ。

「んぁ? ちょ、おいリディア!?」
「んもーエッジってば。人のこと羨ましいなんて言わなくても、あたしがいるじゃないの」
「へ?」

 リディアが耳元で囁いた言葉に、エッジの薄い色の肌がインクを流したように真っ赤に染まる。少女が大きく頷いてみせると、青年は耳までも赤く染めながらそれでも小さく首を縦に振ることで返事に代えた。
 二組の男女の様子を一歩引いて見つめていたカインだったが、同じように穏やかな表情で彼らを見つめているセオドールに視線を移した。と、程なく顔をカインに向けたセオドールと視線が絡み合う。

「……久しぶり。……セオドール、だったな」
「呼びやすい方で構わないさ。彼らは、相変わらずのようだな」

 苦笑を浮かべるセオドールの顔は、記憶を失っていた『ラベンダー』の頃と変わらず穏やかな表情だ。ただ、過去を取り戻したせいか貫禄が漂っているような気もする、とカインには思える。

「セシルか? 俺もミシディアで会ったのが久しぶりだが、確かに相変わらずだ」

 こうやって、何でもない会話を交わすのは初めてのような記憶がある。カインがセオドール……ゴルベーザの傍にいるとき、そのほとんどはセシルへの憎悪をかき立てられて正常な精神状態では無かったから。
 青い眼を眇め、カインはセオドールの背中をぽんと軽く押し出した。ローザと離れたセシルが、兄をじっと見つめているのに気づいたから。

「ほら、行けよ」
「あ、ああ」

 セオドールもセシルの視線には気づいていたのだが、どうも最初の一歩を踏み出す勇気が無かったらしい。カインに押されたことでその一歩を踏み出し、ややあって二人の兄弟は正面から向かい合った。

「お帰りなさい。長旅お疲れ様でした、兄さん」

 二年前に兄が見ることのできなかった、柔らかな笑顔で弟は再会を喜ぶ。だが兄は、一瞬口ごもってしまった。

「……セシル……だが、私は……」

 自分がもう少し早く過去を取り戻していたら、それだけセシルを早く救うことができたのに。
 そもそも……ゼロムスが蘇った責任の一環は自身にあるのだ。

 うつむいた兄の、どこか泣きそうな顔を弟はじっと見つめていた。

 ──もし、お前の本当の家族が生きていて、これから先会うことになったとしたら……相手を責めてはいけないよ。

 先王の言葉が、セシルの脳裏に蘇る。
 責められるわけがない。
 記憶を失ってしまっていたのに、それでもこうやって来てくれたのだから。
 だから、セシルは足を踏み出した。そうして、兄の手を取る。

「助けに来てくれてありがとう。嬉しかった」
「……」

 はっと顔を上げたセオドールの目に、満面の笑みを浮かべたセシルが映り込む。二十年前に捨て去ってしまった弟の、幼い頃の笑顔そのままの表情を浮かべているセシルは、思うままに言葉を続けた。

「僕のこと、ちゃんと迎えに来てくれたじゃないか。そりゃ、ちょっと時間はかかったけど」
「二十年がちょっと、か」
「うん。ちょっと」

 セオドールも、どこか救われたように薄く笑みを浮かべた。セシルが小さく頷いでくれるのが、それだけで嬉しい。

「…………ただいま、セシル」
「お帰りなさい、兄さん」

 旅は、終わった。
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