LAVENDER 7.FROZEN EARTH
 バキン。

「何っ!?」
「……っ?」

 『セシル』が愕然とした表情で振り返った。意識が薄れ始めていたエッジも、その鋭い音に呼び覚まされる。
 二本の水晶柱の一部……中に封じられているセシルと『ラベンダー』の額の部分を中心に、放射状にひびが入っていた。
 が、直後に起こった状態変化にいち早く反応したのはエッジの方だった。
 彼から『セシル』の意識が外れたためなのか、エッジの全身を大地に押し付けていた異常重力が消滅していたのだ。

「ん、よっと」

 己の身体が元の身軽さを取り戻した次の瞬間、白毛の青年は跳ね起きた。ほとんど音を立てることなく床を蹴り、倒れ込んだままのリディアのすぐそばへと舞い降りる。空気が動いたことで『セシル』はやっとエッジの動きに気づいたが、その時には既に彼らの距離はかなり離れていた。

「ちっ、しぶとい」
「へへへ。案外しょぼい魔法だったなぁ……つっ」

 強がりを見せながらも、エッジは両膝を床につく。当人が思った以上に、その肉体はダメージを受けていたらしい。それでも青年は、意識を取り戻さない緑の少女を庇うように身をかがめ、両の手に忍び刀を構える。

「そうか? 今一度同じ力……いや、倍の力を与えればその脆い身体を血と肉塊に変えることなど容易いわ」
「んじゃ……やって、みっか?」

 不敵な笑みを浮かべる『セシル』に、まったく同じ表情で返してみせるエッジ。その自信に満ちた表情に聖騎士を写し取った顔が歪む。その歪みは、微かに聞こえた声によってさらに増幅された。

「……ふざ、けるな……二度と、誰かの人形……なんぞに、ならない」

 ひゅん、と風を切る音がした。セシル=ハーヴィを象った淡い色の髪が数本切り裂かれ、ふわりとその風に乗って散らばる。

「何っ!?」

 反射的に足を引き身構える『セシル』の前に、カインがいた。顔は青ざめてはいたが、その瞳には正気の光が取り戻されている。そして、左の手には聖槍ホーリーランスがきらめいていた。

「カイン=ハイウィンド! 貴様までっ!」

 『セシル』の右手が閃くと同時に、カインを狙うように雷が走る。が、それを予見していたかのように竜騎士は身を翻し、膝を突いたままのエッジの前に移動した。背中越しに自分より年上の青年を見下ろした彼の表情は、エッジがよく知っている皮肉げな笑みだ。

「おい王子様、無様な格好はいい加減にしろ。家老の爺さんが見たら嘆くぞ」
「ざけんな。今の今まで呆けた面晒してやがったくせに」

 にい。
 セシルが浮かべるには相応しくない表情を、二人はその顔に形作る。そうして、同時に視線が『それ』から逸れた。

「ごめん。エッジ、ありがと!」
「ケアルガ!」

 刹那、また別の声が弾ける。と共に柔らかく暖かな光が空間を満たし……彼らの傷があっという間に癒えていった。それと同時にカインとエッジの身体に新たな力がわき起こる。

「おう。ローザ、リディア、もう大丈夫か?」
「うん、へーきへーき」

 軽く背後を振り返っているエッジが、ウィンクを投げかけた先。そこには、にっこり笑いながら片手を振っているリディアの姿があった。そうして、緑の彼女に寄り添う、白の聖女。

「な……貴様までっ!」
「ごめんなさい、もう大丈夫」
「おう、そりゃ何より」
「そうか……なら、よかった」

 ローザの魔力は傷を癒しただけではなく、戦士たちにさらなる気力を与える。その声に答えるかのように、白毛の王子は床を踏みしめ、力強く立ち上がった。金髪の竜騎士と肩を並べ、朋友の姿をした邪悪を睨み付ける。

「カイン! エッジ!」

 リディアの凛とした声を合図に、二人は駆け出した。同時に床を蹴り、得物を振りかざす。

「右!」

 カインは、琥珀色の柱に。

「左!」

 エッジは、水の色の柱に。

「砕けろ!」

 刃が、その表面に走ったひびに吸い込まれていく。衝撃でひびは広がり、その中から光があふれ出す。
 ぱん、と音もなく砕けた柱と共に光が空間全体を覆い、『セシル』はあまりの眩しさに思わず目を覆った。


 空間が、音を立てて割れた。ごうごうと時が流れ、無数の星が暗い闇の中に瞬く宇宙空間がそこに現出する。
 その中に、二柱の龍神が姿を現していた。
 一柱は、幻獣を統べる神・バハムート。一柱は、闇の世界に君臨する神・ダークバハムート。
 彼らの背には、一人ずつ青年が立っている。
 バハムートの背には、純白の鎧を纏ったセシルが、封印されし聖剣ラグナロクを携えて。
 ダークバハムートの背には、黒い甲冑を纏った『ラベンダー』がその手の中に魔力の炎を揺らめかせて。

「──やっと、全てを思い出したよ。自分の名前も、罪も」

 じっと炎を見つめながら、『ラベンダー』が呟いた。魔力をゆっくりと注ぎ込むと、炎はすうっとその光を強くしていく。

「貴様により刻まれた我が名はゴルベーザ……父と母より授かりし我が名はセオドール。月の民クルーヤの子、そして……セシルの兄」

 差し伸べられた掌から、炎が弾ける。聖騎士の姿を模した敵に襲いかかり、その偽りの姿を焼き尽くしていく。続けてセシルが、ラグナロクを頭上に振りかざした。

「真の姿を現せ、ゼロムス! 今一度、最奥に封じる!」

 まっすぐに振り下ろされた刃が、『セシル』の姿を縦一文字に切り裂く。と、その中から内臓のような塊が弾け、あふれ出した。
 二年前、セシルたち五人が月の中心角で倒したはずのゼロムス。
 邪悪なる月の民ゼムスの怨念が実体化した、忌むべき存在。
 それこそがセシルを封印し、クリスタルの力を奪った張本人であった。

「……ってーか、てめえどこに隠れてやがった! あん時俺らがぶっ飛ばしてやったはずだろが!」

 『ラベンダー』──セオドールの背後にカインと共に姿を現したエッジが、怒りの声を上げた。セシルの傍に出現したローザとリディアも、そしてカインも口には出さないものの全員が同じ疑問を抱いている。
 ゼロムスは醜く蠢きながら言葉……思念を直接彼らの脳裏に送り込んでくる。くつくつと低く笑いながら。

「隠れていたわけではない。人なれば誰もが持つ邪なる精神、その波動を食らって復活したまでのこと」
「……僕だって、正義ってわけじゃない。これまで積み重ねた罪が消えるわけがない……それも、こいつに狙われたんだ。そして、僕の殻をかぶって具現化した」

 セシルが微かに目を伏せて呟く。聖剣の柄をしっかりと握りしめ、きっと顔を上げてかつては人間であったはずの成れの果てをじっと見据えた。
 弟の眼差しを視界に認め、セオドールはふっと目元を和らげた。

「私とて同じこと。兄として、弟には何もしなかった……一方的に憎み、恨み、捨て去り……挙げ句の果てに、殺そうとした」
「もう済んだことじゃない。セシルもちゃんと生きてるし」

 リディアが無邪気に微笑む。ローザも無言で頷いて、木々がそよ風にざわめくような柔らかい笑みを浮かべた。
 エッジが、二つの刃を逆手に持ち替える。その瞳から普段の明るさが消え、冷徹な戦士の眼差しが目前の敵を見据えた。カインは左の手に携えた聖槍の穂先をもたげ、深い海のごとき青の瞳でゼロムスを射抜く。

「んじゃ、行きますか」
「先行する。ローザ、リディア、バックアップを頼む」
「了解」
「OK。みんな、行くよっ!」

 リディアの声を合図に、全員の力がゼロムスへと殺到する。
 そして、宇宙は二年前と同じように戦場となった。


「しゅっ!」

 動きの素早いエッジの、両手の刃が閃いた。にゅうと伸ばされてきた臓物にも似た触手が次々と切り裂かれ、深遠の闇へと消えていく。

「バハムート! ダークバハムート、お願いね」

 リディアが微笑みながら、二柱の竜神に語りかける。異なる色を持ちながら鏡写しのような存在は、互いを視界の中に置くとゆったりと眼を細めた。それは、この場には相応しくない穏やかな笑み。

「竜王、お前と共闘する時が来るとはな」
「それはこちらの台詞ぞ、闇竜王」
「は、これは召喚士の姫君に感謝すべきか」
「まったくであるの。まあ、我らは我らの任を果たそうぞ」

 ばさりと巨大な翼を広げ、その背に二人の月の民を乗せたまま竜神はゼロムスを見下ろす。くわっと広げられた口腔から吐き出される力が、彼らの目前で見る間に目映い光と化した。

『受けよ──メガフレア』

 光の柱が、憎悪の権化へと降り注いだ。槍のように刺さる光に、そのあちこちから肉汁があふれ出す。
 そこに、さらに追い打ちを掛けるようにセオドールの低く、しかし良く通る詠唱が響いた。宇宙の彼方より、流星を呼び込む究極呪文。

「空の彼方より来たる星々よ、我が敵に降り注ぎ滅ぼせ! メテオ!」

 閃く右手に導かれるように、流れ落ちてきた星の欠片たちは勢いのままに肉塊を貫き消えていく。欠片の雨が消え失せる刹那、続けざまにカインが聖槍を振りかざす。空高く舞い上がった竜騎士の牙が、ゼロムス目がけて振り下ろされた。

「はああっ!」

 ずぶ、と食い込んだ刃はその勢いを失わず、上から下まで肉を切り裂いた。何もない空間、と見えたその最奥部にとんとカインの足がつく。如何なる作用かは分からないが、少なくとも精霊に守られし戦士たちが空間の最果てへと引きずり込まれていく心配はなさそうだ。もっとも、彼らが敗北してしまえばその限りではないのだろうが。
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