貴方は私の宝物

 ことん、と空になったマグカップをテーブルに置いて、少年はきらきらと眼を輝かせた。

「なあなあ、いっぺん聞いてみたかったんだけどさ」
「はい?」

 ルークが視線を向けたのは、ちょうど休憩時間になったために食堂にやって来たマルコ。超振動によってタタル渓谷に飛ばされるまで屋敷から出たことも無かったと言うこの少年は、様々なことに興味を示す。それを知っている師団長以下マルクト帝国軍第三師団の構成員たちは、同行者たちと共に彼との会話に付き合っていた。
 現在はイオンがあてがわれた部屋で休んでおり、はぐれたアニスに代わりティアがそのそばで守っている。そのため、ルークの隣に座っているのはマルコと共にタルタロスを救ったガイだった。彼はルーク付きの使用人であるらしく、合流してからは甲斐甲斐しくルークの面倒を見ている。

「何でしょう? 自分でよろしければ伺いますが」

 無邪気な少年の笑顔に、副師団長は苦笑を浮かべながらすぐ傍の空席を埋めた。トレイに乗せられた軽食のポテピザをはむ、と口に運ぶ。エンゲーブで仕入れて間もない食材を使ったそれは、師団長お気に入りの一品でもある。
 ルークの膝の上にはミュウがちょこんと座っていて、大きな目を主と同じようにきらきら輝かせている。小さな両手に抱えたレタスをぱりぱりとかじっているさまは、大変に愛らしい光景だ。

「うん。ジェイドってどんな奴なんだ?」
「みゅみゅ。ジェイドさん、不思議な人ですのー。ボクもジェイドさんのこと、知りたいですのー」
「不思議、ですか。どんなと言われましても……」

 唐突な問いかけに、もぐもぐとピザを咀嚼しつつさすがのマルコも戸惑った。
 自分たちにとっては敬愛すべき師団長であり、皇帝陛下にして見れば幼馴染みであり懐刀。そしてルークの母国であるキムラスカ・ランバルディア王国にとって見れば恐るべき譜術士であり、世界から見れば禁忌の技術を組み上げた不世出の天才であるところの、ジェイド・カーティス。
 だが、ルークがそんなことを知りたいのでは無いと言うことはマルコにも無意識のうちに分かっていた。そうなると、さてかの人の何をどう説明すれば良いのやら。

「そうだな。ルークは具体的に、旦那のどう言うところを知りたいんだ?」

 困った顔のマルコを見かねてか、コーヒーを飲み終わったガイが口を挟んで来る。と、今度はルークの方が困った表情になってしまった。どうやらこの少年、そこまで深くは考えていなかったようだ。

「どう言う……ええっと、どうって言われると……うーん」
「……すいません。人となりを教えて貰えると有り難いんだけど」

 悩む少年に苦笑を浮かべ、金の髪の青年はマルコにそう伝えた。結局のところ、ルークもそれを尋ねたかったのだろうと言うガイの独断からだが、少年ははっと顔を上げぽんと手を打った。どうやら、その判断で間違いは無かったらしい。

「人となり、ですか」

 ふむ、とマルコは少し考え込む。国内外で噂されている『死霊使い』の人物像では無い、自分たちだからこそ知っているジェイドの人柄を伝えるには……とそこまで思考を走らせたところで、かの師団長の副官である彼は小さく溜息をついた。
 素直に伝えればそれで良いのだ、と気づいたから。

「まあ、まずはお強い方、ですね」
「それは戦力としてか?」
「そうですね」

 ガイの鋭い指摘に、正直に頷く。2年ほど前から、少しジェイドの人格に変化があったようにマルコには思えたからだ。それ以前であれば精神面も強靱で、些か冷酷に過ぎる面もあったジェイド。だが、現在その性格は僅かながら柔らかいものに変化しており、頼りなげに見える部分が引き出されているとマルコは感じている。
 だが、それで彼……彼らの師団長に対する信頼が損なわれている訳では無い。むしろ、素直に部下を頼るようになった長を全員が盛り立て支えようと一致団結しているのだから。

「上級譜術をあそこまで易々と、しかもその威力を最大限にまで引き出すことが出来るのはオールドラント広しと言えども大佐だけだと思いますよ」
「マルクトは譜術研究が進んでるもんなぁ。まあ、キムラスカはその差をフォローしたくて譜業が発達してる面もあるから、どっちが良いとは一概には言えないけどさ」

 屋敷から出たことが無いために一般的な常識もほとんど知らぬルークの代わりに、マルコはガイと会話を交わす。それは分かりやすい言葉で示され、つまりは2人の横で話を聞いている朱赤の焔に知識を与えると言うことにも繋がっている。もっとも、彼の膝に乗っている聖獣は「みゅみゅ、良く分からないですのー」と首を傾げているのだが。

「ええ。ですが、我々第三師団が大佐の下団結しているのは、大佐がお優しい方でもあるからですね」
「優しい? どこがぁ?」

 マルコの言葉に、ルークが驚いたように目を見張った。もっとも、この中で一番その優しさの恩恵を受けているのは当のルーク自身なのだが、本人にはいまいち自覚が無いようだ。

「そうですねぇ。師団員全員の誕生日を把握していて、ちょっとした贈り物をしてくださったりとか。実用品がほとんどですから、我々は大概大佐から戴いたものをなにがしか身につけているんですよ」

 自分はこれです、とマルコが懐から取り出したのは、シンプルな大判のハンカチだった。厚手の布地で作られているそれをしげしげと眺め、ルークは不思議そうに首を傾げる。

「何でぇ、何処にでもあるようなもんじゃねえのか?」
「ええ、まあ。ですが、我々最前線で戦う軍人にとっては結構便利なんですよ。負傷したときの応急処置として包帯代わりに使えますし、印を付ける必要がある時にその場に結んでおくとかね」

 と言うよりは、噂の人物がそう凝った贈り物を選べる目が無い、と言うことらしい。
 皇帝陛下ならばそれなりに気取ったものを選んだりするのだろうが、ジェイドはその性格上どうしても選択が実用本位になりがちである。本人に飾り気が無いのは、単純にそう言った趣味を持たないからなのだと言う。

「はー、そう言うもんなのか」

 そう言った話を聞かされて、納得したのかしていないのか良く分からない顔をしてルークは椅子に座り直す。と、そこへマルコと同じように休憩時間を迎えた兵士たちがぞろぞろと食堂にやって来た。その内の1人がルークたちと会話しているマルコに気づき、興味津々の表情で口を挟んで来る。

「どうしたんですか、副官?」
「ああ。彼らがカーティス大佐の人となりを知りたい、とね」
「なるほどー」

 その会話を聞きつけて、皆がわらわら集まって来た。それぞれがそれぞれに、ジェイドに関する話はしっかり持っているようだ。

「酷く負傷して入院した自分のところに、お忙しい任務の合間を縫って見舞いに来てくださったことがありますよ。『きちんと怪我を治してから戻りなさい、籍は残してあります』と言いつけられました。で、その時にお見舞いの品としていただいたのがこれで」

 そう言った偵察担当の兵士が見せてくれたのは、小さな手帳だった。インク内蔵式のペンが添えられており、出先で使用するためのものであることは一目瞭然だ。
 彼と一緒にいたトニーと言う兵士も、譜術に関する書物を譲り受けたらしい。

「自分は師団長のような譜術士を目指しているのですが、初歩的な譜術も未だ上手く扱えないのです。ですがこの前、師団長直々に音素の操り方を教えていただきました。これがなかなか難しかったのですが、一度理解出来るとその後はすっと頭に入ってくるんですよ」

 譲られた書物にも、こまごまとした注釈の走り書きがあった。そして最後のページには、『他に同様の悩みを持つ者がいれば、この書を参考にしてください』と記されている。ジェイドの自筆署名の入ったそれは、今や第三師団のみならずマルクト軍のほとんどの譜術士が参考にしているのだそうだ。

「じ、自分は負傷された師団長を、その、背に負って撤退したことがあります。外見は細身なのですが、その実筋肉は無駄なく付いていてあれが歴戦の勇士の身体なのだと実感いたしました」
「自分なんか、師団長に背中を預けていただいたことがありますよー!」
「それはお前、恐れ多くも師団長に背中を守っていただいたって言うんだよ。第一その時お前、ほとんど師団長に敵倒して貰ったそうじゃないか?」
「あ、あれは師団長の槍使いがあまりに素晴らしいものですから、自分は愚か敵兵まで見とれてしまったんですよー! いやほんと、あの無駄が無くて流れるような身のこなしはさすが師団長だと!」

 わいのわいの。既にルークたちに教えるためでは無く、自分が自慢したいための会話になってしまっている。ガイはルークと顔を見合わせると、やれやれと肩をすくめた。マルコが「済みません」と苦笑して、ふと1つ思い出した話を口にする。

「捕虜の尋問時にですね。対面に座ってにっこり微笑まれた途端、相手が勝手にしゃべり出したことがあったそうですよ」
「……それは、ジェイドの笑顔が怖いんじゃね?」
「だな」
「みゅ?」

 真剣な表情で顔を見合わせたルークとガイを見上げながら、ミュウは不思議そうに首を傾げた。さすがのマルコも、彼らの意見を否定するつもりは無いようだ。
 その後も話は続き、ルークたちは彼らの休憩時間が終わるまで解放されることは無かった。


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