貴方は私の宝物
「……貴方がた、タルタロスでそんなことを話していたんですか」
「あっはっは、そりゃ良いや」
仏頂面のジェイドとは対照的に、ピオニーは腹を抱えて笑った。
長い旅を経て、ジェイドにとってはホームタウンとも言えるグランコクマにやって来たルークたち一行。マルクト皇帝であるピオニーの招きを受け、彼らは城内にある彼の私室に揃っていた。さすがにアリエッタの兄弟や友達は街に入れる訳にも行かず、都のすぐ外にあるテオルの森を休憩場所としていたが。
「んでお前さんたちは、そっから長いことジェイドと付き合っただろ。どう思ったよ」
「うん。マルコや第三師団のみんなの言ってた通りだった、ジェイドは優しいや」
ピオニーの横に許されて腰を下ろしているルークは、満面の笑みで頷いた。ちなみに全員、ピオニーの許しを得て、と言うよりは「良いから座れ。この部屋に呼んだのはお前らにのんびりして貰って話をしたいからだ。皇帝勅命!」とかなり強引なピオニーの言葉によりあちこちに腰を下ろしている。ティアなどはブウサギに囲まれてしまい、どこか上の空だ。
「そうですわねぇ……大佐は、面倒見が大変よろしいですわ」
「あ〜、分かる分かる。特にさぁ、ルークの面倒はこまめに見てるよね〜」
ナタリアとアニスが、互いに顔を見合わせて楽しそうに笑う。イオンはブウサギのアスランの背を撫でつつ、上機嫌で頷いた。
「それは最初からそうでしたよ。だから僕は、ジェイドはルークのお父さんのようだって言ったんです」
「生みの親と言われればそうだろうしそいつに構うのも知ったこっちゃねえが、時折俺まで巻き込むのはどうにかして欲しいもんだな。俺は別に死霊使いの息子じゃねえ」
ナタリアの横に座っているアッシュが、どこか呆れたように腕を組みながら大げさに溜息をついた。些かうんざりした表情をしているのはここにジェイドと、そのジェイドが敵わぬ相手であるピオニーが揃っているからだろうか。
その皇帝本人は、にやにやと楽しそうに笑いながら自身の懐刀にちらりと視線を向けた。
「ま、いいんじゃないか? にしても、部下の面倒見が良いって噂はかねがね聞いていたが、子守も出来るとはな〜」
「ご自身のお仕事をほったらかしにして、抜け穴を使って部下の執務室にサボりに来る大馬鹿者がいますからねえ。面倒見も良くなりますよ」
「ピオニー、貴方そんなことしてるんですか! こっちは忙しくてなかなか会えなかったって言うのに!」
どこかふて腐れたような顔でそれでも平然と言ってのけるジェイドに対し、サフィールはムキーと青筋を立てて怒っている。この男、どう言うわけかお茶と茶菓子の載ったワゴンを押しながら、各人にそれぞれ手渡す役目をするハメになっていた。
ティーポットの横に置いてある細々したメモは、どうやら個人の好みを記してあるものらしい。几帳面に綴られている字は、その筆跡を知っている者ならすぐに分かるジェイドのものだ。つまり、その役目はジェイドが押し付けたと言うことなのだろう。それでも役目自体には不満1つ言わずに作業をこなしているところを見ると、サフィールはジェイドに役目を『頼まれた』のがよほど嬉しいのだろうか。
「何を言う。俺は可愛い俺の懐刀が無理してないかどうか、チェックしに行ってるんだ。それとサフィールがジェイドになかなか会えなかったのは、勝手にダアトに出てったからだろうが。お、ありがとさん」
しれっとした表情で彼なりの正論を並べ立てながら、ピオニーは当たり前のようにサフィールの手から紅茶を受け取る。
「陛下が仕事をサボるから、そのツケが私に回って来るんです。ああサフィール、私にはそちらのクッキーをいただけますか」
「だから、ちゃんとお前の部屋で俺も仕事してるだろ! 俺、そっちのサブレー」
「はいどうぞ、ってピオニー! 仕事は自分の部屋でしなさい! 人に軍事機密漏洩罪とか言っておいて貴方がそれじゃあ、機密もへったくれも無いでしょうが!」
「何を言う。俺のジェイドが機密を外に漏らすはずが無いだろう、口の堅さは天下一品なんだからな!」
「そんなこと分かってますけど、貴方が外で仕事してることが他人にばれたらどうするんですかー! ピオニーが刺客に襲われて怪我するのは勝手ですけどねぇ、私のジェイドを巻き込まないでください!」
「サフィール! お前、ジェイドの譜術と槍の腕を馬鹿にした発言だぞそれは! 俺のジェイドなんだから大丈夫に決まっているだろう!」
「ムキー! 貴方と違って私のジェイドは繊細なんですからね、いくら懐刀とは言え気を使いなさい気を!」
「ですから仕事は自室でおやりなさい! それと貴方がた、勝手に私の所有権を主張しないでください!」
幼馴染み故の気安さからか、3人はぎゃあぎゃあと口論しつつそれぞれ希望の茶菓子をやり取りしている。皇帝の名を呼び捨てにするのは、この中ではサフィールとごくたまにジェイドにのみ許された特権だ。
「ジェイド、困ってるの?」
年長連中が騒がしい中、アリエッタは両手でホットミルクティーの入ったマグカップを持ったまま首を傾げている。それからこくりと一口飲んで、言葉を続けた。
「でもアリエッタ、ジェイドの淹れてくれるお茶、好き。苦くなくて美味しいから」
「そういやジェイド、結構みんなの好み分かってるよな。お茶の時間なんか、ちゃんと俺のはロイヤルミルクティーにしてくれるしさ」
ルークもサフィールから渡されたカップに口を付け、にこっと微笑む。たった今彼自身が口にした通り、そのカップを満たしているのは彼の口に合うロイヤルミルクティーだ。
「ジェイドは記憶力が良いですからね、一度知れば大体覚えちゃいます。私もちゃんとしてますよ、ジェイドから言いつけられていますからね」
「うん。ありがとー」
即座に気分を切り替えてえっへんと胸を張ったサフィールにも、素直にルークは礼を言う。タタル渓谷に吹き飛ばされた時はわがまま坊ちゃんだったルークだが、旅の中でかなり性格は改善されていた。これももちろん、『面倒見の良い』ジェイドの教育の賜物であろう。
何も知らない子どもを何も知らないまま放置していたからこそ、鉱山の街は住人諸共破壊されたのだから。
「面倒見が良いって言えば、大佐はミュウとも仲が良いんですよ」
両手で『ゲルダ』と『サフィール』の頭を撫でてやりながら、ティアが楽しそうにジェイドの膝の上に視線を移した。そこには空色のチーグルが、ちょこんと自分の席を占めている。
「みゅみゅ! ボク、ジェイドさん大好きですのー! ふわふわ撫でてくれるお手々は優しいですの、にっこり笑ってくれるとお目々が綺麗ですの、とっても気持ちが良いですのー!」
「おや、それは光栄ですね」
膝の上で小さな手を精一杯に広げ、無邪気に好意の言葉を放つミュウ。その頭を優しく撫でながら、ジェイドはふんわりと笑みを浮かべる。その表情を見て、ピオニーとサフィールは同時に眼を細めた。
この笑顔は、5年の時を遡って来たが故のもの。その5年の間……正確には今過ごしているのと同じND2018の1年間の経験が、彼の感情を育んだ。それと同時に心身を傷つける経験も数多くその身に受けて来たはずだが、今のところその反動は表には出て来ていないようだ。
「……ま、悪かねえよな」
「頑張りましょうね」
ちらりと視線だけを絡め、2人は頷く。
ここにいる中でジェイド当人以外にそのことを知るのは彼ら2人だけであり、ジェイドは同行者である年若い仲間たちに自身の『記憶』を知られることを望んでいない。
特に、『記憶』の世界で生き延びることの出来なかったルークには。
ピオニーもサフィールも、そんなことでジェイドの笑顔が消えることは望まない。
だから頑張ろう、とその点で2人の思いは一致している。
もっとも、そんなことは当然彼ら以外は知らない訳で。
「ミュウと遊んでいる大佐、無邪気で可愛いんですよ……はぁ」
「そ、そっか……そりゃ良かったな」
頬を染め、うっとりと潤んだ視線でジェイドとミュウを見つめているティアのある意味異常さに、さすがのピオニーも僅かに身を引いた。
書類の処理を終えて、ネフリーはふと飾り棚に視線を向けた。ちょこんと座っている人形をじっと見つめていた彼女は、椅子から立ち上がってゆっくりと歩み寄る。
ぱたぱたと、表面に積もっていた埃を軽くはたいて落とす。それからブラシで丁寧に表面を拭うと、人形は少し色あせてこそいたものの昔と同じ姿に戻った。
昔。
この人形は、店で買ったものでも誰かの手作りでも無い。幼い頃、壊れたオリジナルを元に兄が譜術の力で複製してこの世界に誕生した、レプリカの人形。
彼の譜術の力を目の当たりにして、ネフリーは真紅の目を持った兄を恐れるようになってしまった。
その兄が生み出した人形も何かそら恐ろしいモノのように思えて、それから彼女はその人形ではあまり遊ばなくなってしまった。かと言って捨てることも出来ず、気づけば結婚して子爵夫人と呼ばれる身になった今ですらずっと手元に置いている。
だが、レプリカとて、音素と元素の結合で生まれたモノには違いない。幼い姿で生まれた生体レプリカが時と共に成長するように、人形にも経年劣化が現れるのは至極当然のことだ。
「ごめんなさいね、埃まみれにしちゃってて」
頭を撫でると、少しだけ人形が笑ったようにネフリーには思えた。そこに、不器用に微笑む幼い日の兄の顔が重なって見える。感情の薄すぎる兄であったけれど、それでもちゃんと笑ってくれることはあった。
今の兄が常時浮かべている作り笑顔とは違う、心の底からの笑み。
それはネビリム先生の死後すっかり失われていたけれど、つい先日再会した兄はその穏やかな笑みを取り戻していた。それは多分、この人形と同じように複製として世界に生み出された朱赤の髪の少年がもたらしてくれたもの。
ネフリーはまじまじと、手の中にいる人形を見つめ直す。
「……お兄さん、私のために作ってくれたのよね」
ぽつりと呟いて、そこでやっとネフリーは気づいた。何も、怖がることは無かったのだ。
たった1人の妹が、大事な人形が壊れて泣いていた。
兄は、どうにかして妹に泣きやんで欲しかった。
だから兄は、自分に出来る方法で人形を直しただけなのだ。妹がもう、泣かないようにと。
世界にたったひとつの、兄が自分のために作ってくれた人形。
──なんだ。
作り方はともかく、あの兄が自分のためだけに作ってくれたのだ。
これは、誇りに思って良いはずではないか。
「もう。お互い、変なところで鈍いんだから」
何でも出来るけれど、どこか不器用な実の兄。青い軍服を身に纏い、この国を飄々と治める皇帝の側近として働いているその姿を脳裏に描きながら、ネフリーはそっと人形を抱きしめた。
「ふふ、元気にしているかしら? 私の素敵なお兄さん」
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