マジカルリンリン16
『先輩の為にお料理をして、お掃除をして、お買い物に行って、それでどうして姉さんに先輩を持って行かれなくちゃいけないんですか? 先輩はわたしのものでしょう、サクラ』

 確かにそうかもしれない。でも、わたしは『わたし』に流されない。アゾットをお守り代わりに握って、『わたし』に向けて構えながら、反論する。

「……お料理も、お掃除も、お買い物も、わたしが先輩にしてあげたくてしたことです! 先輩が姉さんを好きなのは、仕方のない事じゃないですか!」
『ほんとうにそうですか? わたしに振り向いて欲しい、わたしの恋人になって欲しい……わたしのこのいやらしい身体を抱いて欲しい、わたしの中にたっぷりと流し込んで欲しい。そう思わなかったことがないと、言い切れますか?』

 『わたし』はうっすらと微笑みながら、自分の身体を抱きしめた。うーむ、客観的に見てもわたし、大きいですね。先輩を挟んであげられたら気持ち良いと言ってくれるかな……って、違いますー!

「……あ、えーと……なかった、とは言い切れませんけど」
『でしょう? うふふ、姉さんよりわたしの方が絶対に先輩を満足させてあげられるんですから。その一点だけでも、先輩にわたしを選ばせる理由にはなるはずですよ?』

 そう言いながら、『わたし』はなおも自分の胸を強調するようにむにっと寄せて上げた。ふ、ふんだ、胸の大きさならわたしも負けませんって、相手もわたしだしなぁ。だけど――

「……確かに、先輩にわたしの恋人になって欲しい、って思ったことあります。今でも、できればなって欲しいなぁって思ってます。だけど」

 ――だけど、わたしの感情だけで先輩を壊したくない。先輩の笑顔を失いたくない。「桜」とわたしを呼んでくれる、あの声を失いたくない。
 先輩は姉さんのことが好きで、姉さんは先輩のことが好きで。姉さんと並んで立っている先輩はとても幸せそうで、幸せそうな先輩を見ているとわたしも幸せで。

「わたしは、先輩に幸せになって欲しいんです! そんなこと言わないで下さい!!」
『ああ、そういうこと言うんですね。良い子ぶっちゃって、汚い』

 腐りかけた生ゴミでも見るような目で、『わたし』はわたしを見た。そんなの分かってる。良い子ぶってて汚い、それがわたしだ。否定はしない。

『それならそれでいいです。マトウサクラ』

 そうかと思えば、『わたし』はくすっと笑ってみせる。ああ、何て意地悪そうな笑顔。同じ顔なだけに、余計に嫌だ。わたしも、あんな顔をして誰かを嘲笑ったことが……あるんだろうな、きっと。

『無理矢理にでも、先輩をわたしのものにしておけばよかった。そう思わせてあげます。その時になって後悔しても、遅いですよ』

 そう、一方的に言い置いて。
 『わたし』は、唐突にわたしの視界から消え失せた。まるで、この空間にはわたししかいませんでしたよってくらい、何の痕跡もなく。
 それに、そう言えば、わたしは聖杯戦士としての名乗りも上げなかった。相手が敵だったと、わたしは思わなかったんだろうか。


「あれ、桜嬢ちゃん?」
「はい?」

 急に、背後から名前を呼ばれた。慌てて振り返ると、青い犬耳をぴこぴこさせたランサーさんが、赤い槍を肩に担いでそこに立っている。

「ランサー、さん」
「何だ、1人1人別の場所に持って行かれるかと思ったんだがな。ま、無事そうで良かった」

 全く無防備な態度ですたすた歩いてきたランサーさんは、わたしの頭をくしゃくしゃ撫でた。悪戯っ子みたいな笑顔に、わたしはちょっとだけほっとした。よかった、わたしは1人じゃないんだ。

「はい、わたしもランサーさんと合流できてよかったです。正直、1人だと心細くて」
「だよなー。で、誰かいたか?」
「――いえ」

 ランサーさんの当然の問いに、わたしは嘘を付いた。いや、ほんとに嘘なんだろうか。ひょっとしたら黒い服のわたしは、わたしがひとりで寂しかったから見た妄想だったのかもしれないし。

「そうか――こそこそ隠れてねぇで、出てきな」

 わたしの答えを聞いたランサーさんはうんと頷いてくれて、それからじろりとあらぬ方向を睨み付ける。……わたしは本当に、誰もいないと思っていたのだ。それなのに、誰かがここにいる――?

「ふむ、さすがはマジカルランサー殿。ワタシの気配も消し切れませなんだか」
「!」

 薄明るくなったとはいえ、洞窟の隅々まで見える訳じゃない。その隅にわだかまる暗闇の中から、ぼそりと声が響いてきた。その声を聞いた瞬間、わたしとランサーさんは――あー、ギアスって怖いですね。こんな時でも発動しちゃうんですから。

「冬木の平和を守る為!」
「大事な人を守る為!」
「聖杯戦士――マジカルランサー!」
「マジカルチェリー!」
「只今参上!」

 ……ランサーさんと2人での名乗りは初めてだけど、結構うまくいったみたいです。口上もぴしっと決まったし。って、やっぱり何か違いますよね。

「……ランサー殿、桜殿。そなたらのお相手はワタシにございます」
「ヘ、やっぱりてめぇか……洞窟内の癖に、乾いた砂の匂いが立ち込めてやがったからな。そうじゃねぇかと思ったが」

 闇の中からぬぅと現れたのは、黒衣に白い髑髏の面をかぶった背の高い人。お祖父様直属のコマンダー、アサシンさんだった。そうか、だからわたしには気配を感じ取れなかったんだ。ランサーさんは犬っぽい人だからきっと鼻が利いて、それで分かったんだ……あれ?

「嬢ちゃん、先に進むにはやるしかねぇぜ。覚悟はできてるよな?」

 わたしの背中に自分のそれをぴったりと着けるようにして、ランサーさんが囁いてきた。わたしは大きく頷いて答える。

「大丈夫です。お祖父様や兄さんに逆らって聖杯戦士になった時から、覚悟はできてます」

 ――先輩を守る。ただそのためだけに、わたしは聖杯戦士になった。だから、何も怖いことなんてない。

『無理矢理にでも、先輩をわたしのものにしておけばよかった。そう思わせてあげます。その時になって後悔しても、遅いですよ』

 黒い服の『わたし』だって、怖くない。
 怖いのは、先輩を守れないこと。
 先輩が、いなくなってしまうこと。


  - interlude out -


「■■■■■■■■――!」
「ぐ……ぅあ!」

 バーサーカーの上段からの大振りを、セイバーが足首まで地面にめり込ませながら受け止める。そこへ、わたしが宝石を叩き込む。

「――!」
「行けっ!」

 同時に士郎が、鋭い剣を矢として射る。うん、わたしの魔術がぶつかったぴったり同じ箇所に命中。士郎が『アーチャー』の過去だって言うの、何となく分かる気がした。

「――壊れろ!」

 士郎の叫びと共に、黒い身体に突き刺さった剣がぐにゃりと曲がったような気がした。次の瞬間、それはぼぅんと小さな爆発を起こし幻想に戻る。……士郎、今何やったのよ?

「どゆこと?」
「無理やりに、投影のイメージをねじ曲げたんだ。本来の姿とねじ曲がったイメージのギャップが、消える瞬間に爆発的なエネルギーの放出を起こす……アーチャーと同じことをやっただけさ」

「着弾と同時に小規模爆発させる。それに紛れろ」

 なるほど、アーチャーがやったのもそう言うことか。投影魔術も士郎クラスになるとそんな芸当ができるんだ。って、士郎はそれしかできないんだけど。で、そう言ってる間にもバーサーカーの猛攻は止まらない。セイバーと切り結び、離れ、力任せに空間を薙ぐ。……その背後でニヤニヤ笑ってるギルガメッシュが目に入った。ちっ、バーサーカーの後はあいつの相手もしなくちゃいけないんだ。うー、むかつく。

「くくく……セイバーよ。その巨人は滅多なことでは倒れぬぞ?」
「黙りなさい! 滅多なことで倒れないのならば、倒れるほどの攻撃を加えるまでです!」

 含み笑いながらの金ぴかの台詞にがおーと吠えてから強く大地を蹴り、黒く染まったバーサーカーから距離を離したセイバー。彼女の剣が纏っていた風を吹き飛ばし、その金色の剣身を露わにする。

「あああああ――――!」

 閉鎖空間の中を、ごおっと腹の底に響くような音を立てて暴風が吹き荒れる。
 ――ん? セイバーの位置からだと、まっすぐぶち抜けば、金ぴかにも当てられそう……ははーん、そういうことか。彼女の意図を悟ったわたしは、士郎と顔を見合わせた。ポケットから取っておきの宝石を引っ張り出しながら短く問う。

「士郎、いける!?」
「大丈夫だ。任せろ」
「おっけい!」

 任せろ、と言ってくれた士郎の右手には、刃のねじくれた長剣。黒い弓につがえ、狙いを定めてきりきりと弦を引き絞る。わたしは宝石に魔力を通し、いつでも発動できる状態に持っていく。

「――約束された――勝利の剣!!」

 セイバーの長剣が、金色の光を放つ。まっすぐに伸びたその光は、影のせいでどす黒く染まったバーサーカーの身体を貫いた。と同時に士郎が弦から指を放す。狙うは、エクスカリバーの光を避ける為に僅かにサイドステップした、ギルガメッシュ!

「Kristall des Bodens, unseren Feind eindringend.」

 そしてわたしも、とっておきの宝石を光の矢に変えて射出する。セイバーのエクスカリバーがコロニーレーザーで、士郎の捻れた剣がクラスター爆弾で、わたしの魔術が……えーっと散弾バズーカ? うーん、微妙だな。

「■■■■、■■■■――!」

 バーサーカーが、熱線を浴びて悶え苦しむ。ごめんね、あの時、わたしたちを守る為の盾になってくれたあなたなのに。だけど、イリヤスフィールはきっと助け出してみせるから。アンリ=マユの思い通りになんて、させないから。
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