紅瞳の秘預言02 出発

「ここしばらく、キムラスカとマルクトの国境地帯で小競り合いが頻発しているんです。双方に不満も広がっているようでして、近いうちに大規模な戦闘が起こりかねない状況なんですよ。先ほど上がりましたホド戦争の開戦前よりも、地方によっては状況が悪化しているかもしれません」

 ルークの協力が得られることになったため、情報の出し惜しみはしない。元々キムラスカとマルクトの関係をほとんど知らなかった相手への説明なのだから、出し過ぎることもない。

「そこで、ピオニー陛下は和平条約締結を提案する親書を送ることを決めました。そして、中立の立場からの見届け人として、陛下はイオン様に仲介を要請されたんです」
「ちょっと待った」

 そこまで説明したところでルークが制止した。彼の知る数少ない情報とは、ここで食い違いを見せる。それは真実を切り開くための重要な一点。

「ヴァン師匠は、導師イオンが行方不明だから探しに行くんでダアトに帰る、って言ってたんだ。何かおかしくねえか?」

 ヴァン・グランツがローレライ教団は神託の盾騎士団主席総長であることは、ルークは『初めて』会ったときに知らされている。同じ教団内で、そのような齟齬が起こるものなのだろうかという疑問は、内部を知らない者であれば浮かぶごく当たり前のものだ。

「それには、ローレライ教団の内部事情が関係しています」

 ルークの疑問に答えたのはアニスだった。僅かに顔を伏せ、膝の上でぎゅっと拳を握りしめながら彼女は、ひとつひとつ言葉を紡ぎ出していく。

「現在、ローレライ教団は大きく分けて2つの派閥に分かれています。1つはイオン様を中心とした改革派、今1つは大詠師モースを中心とした保守派です。派閥抗争はかなり激しいんですよ」
「モースは、戦争が起きるのを望んでいるんです。僕はそうではなかった。だからアニスとジェイドの力を借りて、ダアトを出奔してきました」
「イオン様!」

 アニスの言葉を引き取って、イオンが続ける。と、そこでティアが声を張り上げた。

「モース様がそのようなことを、望んでいるはずがありません! モース様はただ、預言の成就を望んでいるだけです!」

 そういえばティアはモース旗下、情報部の所属だと自分で名乗った。そうなると、彼女はどちらかといえば大詠師の派閥ということになる。……今の発言も考え合わせると、そう思われても致し方あるまい。

「えー、ティアさんはモース派なんですか? ちょっとショック〜」
「わ、私は中立です! ユリアの預言は大切ですけれど、イオン様のご意向だって大事です!」

 アニスの芝居がかった非難を、元々の性分なのだろうか真面目に返してしまうティア。

 ──栄光を掴む者、自らの生まれた島を滅ぼす。名をホドと称す。

 ジェイドが『聞いた』預言の一節が脳裏に蘇る。
 あれは『預言の通りに事態が動いた』のか、『預言を知ってその通りに事態を動かした』のか、それとも『ただの偶然』か。
 それは、ついぞ確かめることは出来なかった。起きてしまったことを詮索しても、それは覆りようがない。

「大詠師モースは預言の成就を望んでいる。そう言いましたね、ティア」

 感情を表に出さぬよう低く抑えたジェイドの声は、ティアの耳にはどう届いたのか。

「は、はい」

 少なくとも彼女の肩はびくりと震え、こわばった顔でジェイドを見つめている。恐らくは……威圧してしまうような声だったのだろう。

 ──若者は力を災いとし、キムラスカの兵器となって街と共に消滅す。

「では……例えばの話ですが、その預言の中に『戦争が起きて敵国が滅び、自国が栄える』などという記述があったとしたら……どうしますか?」

 預言に頼り切った者は、預言に支配されてしまう。
 預言がこう言っているから、今夜の食事のメニューはこれだ。
 預言に出ていたから、明日の外出先は変更しなければならない。
 預言で示されているから、子どもを危ないところへ送り出して、殺す。

 ──玉座を最後の皇帝の血で汚し、高々と勝利の雄叫びをあげるだろう。

 預言が示しているから、キムラスカはマルクトを滅ぼさなければならない。
 そのような愚かな思考に支配された者が、いないと言い切れるのか。
 ジェイドは、ティアにそれを理解して欲しかった。

「────え」
「預言って、そんなことまで出てんのか?」

 その過去のせいか、あまり預言に触れることもなかったのであろうルークは、顔色を変えたティアに不思議そうな視線を向ける。イオンとアニスは口を閉じ、ただジェイドの様子を伺うように眉をひそめている。

「まさか……個人の死は詠まれないことになっていますが、けれど」
「私は預言士ではないので、実際にそんな預言があるかどうかは分かりません。ですが、ないとは言い切れないのですよ」

 戸惑ったティアの感情を思いやってか、ジェイドの口調が幾分柔らかくなる。
 だが、彼は知っている。

 ──マルクトの病は勢いを増し、やがて、1人の男によって国内に持ち込まれるであろう。

 滅びを迎えるキムラスカ。

 ──かくしてオールドラントは障気によって破壊され、塵と化すであろう。これがオールドラントの最期である。

 終わる星。

 そういった預言が詠まれることを。

「……気分悪ぃ」

 ぼそり、とルークが呟いた。本気で気分を損ねたらしく、口元を押さえている。ジェイドはちらりと視線だけを向け、軽く頭を振った。
 己だけの感情に流されている場合ではない。時はまだ至っていないのだから。

「まあ、預言については置いておきましょう。ともかくそういった教団の内部事情も絡んでいますので、我々としては出来るだけ早く親書をキムラスカ国王までお届けに上がりたいのですよ。いつ何時保守派……大詠師派の妨害が入らないとも限りませんのでね」

 普段の表情を形作りながら、本来の話題に会話を戻した。イオンに視線を向けると、少年導師はふわりと笑みを浮かべ、頷いて言葉を引き取った。

「僕はダアトの導師ですから、キムラスカに入るのは問題ありません。ですが、ジェイドはマルクトの軍人ですので、キムラスカへの入国時に問題が起きる可能性があるんです。その時に……その、力を貸していただけないでしょうか?」

「力というよりはルーク様、あなたのそのご身分ですね。ファブレ公爵夫人……あなたのお母様はインゴベルト6世陛下の妹君と聞いておりますし」

 イオンの言葉をジェイドがさらに引き継いだ。ここは本心を隠さず、明らかにしておく。隠していても無意味であることははっきりしているからだ。

「ちぇ。やっぱあんたも協力が欲しいのは、俺じゃなくて俺の地位かよ」

 その通りです、と答えるジェイドの声に、ルークの顔はほんの少しこわばる。そうして、ふて腐れた表情でジェイドを睨み付けた。

「何でもいいけどさあ、誰かにものを頼むときは頭下げるのが筋なんじゃねーの? 俺だってそれくらい知ってるぜ」
「ちょっとルーク! あなた……」
「いえ。確かにその通りですね」

 たしなめるティアを、軽く手で制止する。彼の言い分はもっともなものであるし、道理だ。
 ゆっくりとルークの前に進み出る。その表情は穏やかで、優しい。

「礼を失したことを、お許しいただきたく思います」

 ごく自然にジェイドは腰を落とし、跪く。頭を垂れ、言葉を紡いだ。うわべだけではなく、心からの言葉として。

「どうか、我らにお力をお貸しください。ルーク様」

 さすがにそこまでされるとは思っていなかったのか、ルークは目を丸くする。がりがりと赤い髪を掻きながら、どこか嘲るような感情が含まれた言葉を吐き出した。

「あんた、プライドねえなあ」
「何とでも。礼を失したのは事実ですし」

 『この程度で失うような安っぽいプライドは持ち合わせていない』、と以前ならば答えただろう。けれど、今のジェイドにはそう口にする理由はない。
 焔を消さないことが、己のプライドそのものであろうから。

「……分かったよ。伯父上にとりなせばいいんだな?」
「ありがとうございます」

 小さな溜息と共にこぼれた返答に、一度さらに頭を下げてからジェイドは立ち上がった。その場にいる全員の視線が集中したのに、一瞬きょとんとしたのが彼にしては珍しい。……あまりに穏やかな、柔らかい笑みを浮かべていたからなのだが。

「では、私は仕事がありますのでこれで失礼いたします。タルタロスの艦内は、一部の軍事機密に関わる部分以外でしたらご自由にご覧ください。信頼出来る部下に護衛を任せますので、ルーク様はご安心を」
「やめろよ、様なんてつけんの。気持ち悪い、呼び捨てでいい」

 やはり、先ほど同様ルークの言葉には冷たい感情が含まれている。しかし、その冷たさの方向性が異なることに気づきジェイドは、ルークの顔を正面から見返した。
 ルークは、背の高いジェイドの顔を白い目で見上げている。相手を軽蔑している表情だ。

「俺は、俺が貴族だと知って仰々しい態度でおもねる奴は信用しないことにしてるんだ」

 ──誰も、俺を、見てくれない。

 生まれてからまだ7年しか経っていない子どもが、悲鳴を上げている。
 どうか『自分』を見てくださいと、悲鳴を上げている。

 朱の髪の子どもが、金の髪の使用人と剣技の師に依存しきっていた理由はこれだ。
 何の飾りもつけていない、本当の『自分』を見てくれたから。
 少なくとも子どもは、そう信じていたから。

 そうして、信じ切っていた師の手により、子どもは。

 ──これは、軽蔑されて当然ですか。やはり、私には他人の感情は分からないんですね。

 軽く眼鏡を押さえる。普段通りの笑みに切り替えるのは、いつもより少しだけ時間が掛かった。

「はい。ルーク」

 そうして『いつものように』名だけを呼ぶと、碧の目は幾分温度を上げてくれた。それにほっと胸をなで下ろしてジェイドは、心の中だけで呟いた。

 そんなことは、させない。


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