紅瞳の秘預言03 対面

 ルークたちがアニスとマルコの護衛を受けてタルタロス内部を見学している頃。
 ジェイドは師団長として与えられた自室で1人、椅子に座り込んでいた。

「……結構、厳しいものがありますね。覚悟はしていたんですが」

 組んだ手で額を支え、ぼそりと呟く。長い髪が影となって顔を覆い、視界を薄暗いものとする。

 一度は失った。
 己が持っている『未来の記憶』がただの『預言もどき』なのかそれとも『一度経験した未来』なのか、今でもジェイドには判別出来ない。
 それでも、その未来でルークは失われた。心を壊して、身体も壊れて、最後は存在すら食われて消えた。
 タタル渓谷で再会した『ルーク・フォン・ファブレ』はルークではなく、その存在を食らって蘇ったオリジナルだった。

 ──済まないと、最期にあいつは、そう言っていた。
 ──俺の方が、言わなければならなかったのに。

 還ってきた彼すら、失われた存在を想っていた。その辛そうな顔が、未来の最後の記憶だ。


 遠くなった意識が戻ったとき、ジェイドは自室にいた。ごく当たり前のようにグランコクマにある屋敷の、自室のベッドの中に。

「……夢で、良かった」

 時を確認した当初は柄にもなくそう思った。夢だと思い込みたかったのかも知れない。
 だがその『記憶』は、夢と言うにはあまりに鮮明すぎた。さらに『外殻大地』、『ガルディオス伯爵家の生存者』や『第七譜石の存在場所』など、ジェイドが知り得ないはずの事実がいくつも登場していたのだ。
 ピオニー皇帝に問いただされるまでの2か月間、ジェイドは与えられた仕事の傍ら『記憶』にある事実の確認調査を行っていた。積み重ねられたその結果は、『記憶』の確かさを証明するものばかりで。


 幼馴染みの変化に気づいていたピオニーはジェイドを問い詰め、事情を明かした彼への協力を快諾した。幼馴染みとはいえたかが軍人、それも『死霊使い』と悪評の高い彼が、ついに狂って戯れ言をほざき始めたかと思われても仕方のない話だ。それを、この皇帝はたまたま出されていた意見書の内容とジェイドが語った『記憶』が一致……正確には将来的に一致するであろう状況であったことから、すんなりと信じてくれたのだ。
 無論、ただの好意からだけではない。ジェイドの『記憶』にある異変への対抗策を事前に立てることで、国民の被害を最小限に留めるためだ。もっとも『外殻大地の魔界への下降』などといった大がかりな事業にはキムラスカやダアトの協力が必須であるため、まずは目先の問題となる『障気の噴出』などから掛からざるを得なかったのだが。
 そして、大爆発と音素乖離に関する研究。
 ルークを失わないための重要な研究の開始を、ピオニーは快く許してくれた。本来ならば封印された技術である生体レプリカに関連する問題であり、ジェイド自身が禁忌としたものだ。

「何、お前をそんな風に変えたその『聖なる焔の光』に礼の1つもしないってのはな。それに、もしマルクトの国内でレプリカが生まれてしまってるんならそれも俺の民だ。俺は俺の民を守りたい」

 さらっと言ってのけた若い皇帝は、それ以降前にも増してジェイドを重用するようになった。彼の研究がはかどるように計らい、またオールドラント全土に派遣した情報部隊員の収集した情報を優先的に流した。あからさまではないもののその依怙贔屓とも見える扱いに眉をひそめる者がいないでもなかったが、ジェイドの働きとその研究成果が彼らに反論の隙を与えなかった。


 そうして、2年と少し。
 障気問題は第七音素を利用した予防用のフィルターを開発出来たことで、ほんの僅かながら好転した。障気蝕害についても、フィルターの応用で少しずつではあるが成果が上がり始めているという。
 大爆発と音素乖離については、あまり進んでいない。音素乖離はオリジナルにも起こり得る問題ではあるがその頻度が低く、大爆発に至っては他に例のない『オリジナルと完全同位体であるレプリカ』の間にのみ発生する問題。自然、机上の計算にのみ頼ることになる。『記憶』の中ではディストが完全同位体の再現に成功していたが、今のジェイドにはそれを再現する気はない。
 ルークが『生まれた』時には突発的な事故が起きており、そのためルークはオリジナルの完全同位体として誕生した。その情報を今所持していると推定されるのは……ヴァンの手先であるだろうスピノザ、そしてディスト。いずれもマルクトにはおらず、情報の入手は困難だろう。


 やがて、時は至る。
 ダアトの導師を伴いキムラスカへ和平の使者として向かうことになったジェイドに、ピオニーは笑って言った。

「『焔』によろしくな。ああ、お前も無茶するんじゃないぞ」
「誰が無茶などしますか」

 溜息をつきつつ答えたとき、ジェイドは本当にそう思っていた。


「……無茶をしてしまいそうですね。我ながら信じられない」

 意識を表層に浮かび上がらせ、額を軽く拳で叩く。それから頭を振って己の思考を現実に引き戻すとジェイドは立ち上がった。そろそろ、時間だろう。


「あ、大佐ー」

 部屋を出たところで、ちょうどやってきたアニスに呼びかけられた。イオン、ティア、ルークとミュウ、そして最後尾にマルコ。それを確認して、ジェイドはいつものように眼鏡の位置を直す。確かに、顔色を伺われたくないときに出る癖だなと認識出来た。

「やあ、皆さん。どうです、楽しめていますか?」
「いや全然。ガイじゃあるまいし、見てもさっぱりわかんねーのばっかでさ」

 今はまだ自分は知らないはずの名を聞いて、眼を細める。確かにあの金髪の青年にとっては、タルタロスは宝の山だ。『記憶』では魔界に落ちたこの艦の機能修復を手伝ってくれた。『記憶』のままならば、もう少しで会うことになるだろう。

「まあ、譜業兵器の塊ですからね。その筋に詳しい者でもない限り、ちょっと難しかったでしょうか」
「あれがちょっとかよ。機密じゃねーところでもマジわかんねっつーの」

 頭の後ろで腕を組みながら不機嫌な顔をするルークに、小さく吹き出した。ジェイド自身、僅かながらタルタロスの譜業には理解出来ぬ部分が存在する。ディスト──サフィールならば理解出来るのだろうが。

「そう言えば大佐。艦の大きさにしては兵士の数が少なすぎるように感じたんですけれど、気のせいでしょうか?」

 首を軽くひねりながら、ティアが尋ねてきた。ティアの着眼点は、ルークとは違うところにあったようだ。……民間人であるルークと、軍属であるティアの違いだろうか。

「まあ、10人足らずで最低限の稼働は出来るように設計されていますしね。こちらにもいろいろ事情というものがありますから」

 だからそう説明すると、ティアはなるほどと頷いた。彼らがタルタロスに乗艦する前はもっと人数がいたのだが……これはまた、別の話だ。
 突然、タルタロス艦内にけたたましい人工音が鳴り響いた。人に警戒心を抱かせるため意図的に耳障りに作られているそれは、警報の音。

「な、なんだっ!?」

 聞き慣れない音にルークたちは思わず耳を手で塞いだ。マルコは素早くイオンの傍に駆け寄り、周囲の様子を伺う。ジェイドは壁に寄り、手近な伝声装置のスイッチを入れた。

「敵襲か……艦橋、状況を」
『前方20キロ上空にグリフィンの集団を確認! 約10分で接敵します!』
「了解。攻撃は艦長に一任、側面の警戒を怠るな。ここは森の魔物にとってはホームグラウンドだ」
『了解! 総員、第一戦闘配置につけ! 繰り返す! ──』

 必要な情報と命令の受け渡しだけを済ませ、スイッチを切る。それから、背後にいるルークたちを振り返った。『記憶』によれば──いや、それに頼らずともこの状況が異常だというのはすぐ分かった。

「あなた方は部屋に入って……いえ、離れないでください」

 素早く指示を出したジェイドにティア、アニス、イオン、そしてマルコはすぐさま頷いた。1人状況を把握出来ていないのは、こういった状況に陥ったことのないルーク。

 ──人を襲う魔物の特性も知ることがないまま、この子は育てられたのだ。温室という名の牢獄で。
 ──知る必要がない、知る意味もないという、それだけの理由で。

「何でだよ? たかが魔物で、マルクト軍が大げさな」
「グリフィンは単独行動を好む種類なの。集団行動をしているのはおかしいのよ……裏に何かあるんだわ」

 不思議そうな顔をして肩をすくめるルークに、ティアが状況の異常さを指摘する。そこまで言ってしまえば、ルークにも朧気ながら今の状況がおかしいらしいことは理解出来た。知識さえあれば、本当にこの少年は賢い。

「裏?」
「つまり、操っている黒幕がいるということですよ」

 端的に指摘するジェイド。次の瞬間ドォンという音と共に艦体が鈍く振動し、やや間を置いて遠くで爆発音が響いた。微かに聞こえる魔物の悲鳴のような声に、ルークは一瞬身体をびくりと震わせた。
 ジェイドは慌てる風もなくその場にいる全員の顔を確認し、ツインテールの少女と己の部下に指示を下す。

「アニス、マルコ、イオン様から離れないように。万が一のときは、落ち合う場所は分かっていますね?」
「は、はい。もちろんです」
「了解です」

 ダアト式の敬礼をするアニス、マルクト式の敬礼をするマルコ。2人はイオンを挟むように立ち──アニスが前、マルコが背後──、油断無く周囲の状況を伺っている。


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