紅瞳の秘預言03 対面

「ティアはルークの背後を」
「はい」

 ジェイドの冷静な指示に従い、ルークの背中を守るようにティアが移動した。ルークは……足元にいたミュウをむんずと鷲掴みにすると、自分の肩に乗せる。

「みゅ?」
「ちゃんと捕まってろ、ブタザル。はぐれたら困るからな」
「! ありがとうですの、ご主人様!」

 ぎゅ、と白いコートの襟にしがみついたミュウに、ルークは僅かに顔をしかめたが特に何も言わなかった。
 と、不意に先ほどジェイドが使用していた伝声装置が呼び出し音を奏でた。すぐに繋いだジェイドの耳に、引きつったような声で報告が流れ込んでくる。

『こちら艦橋! 森の中にライガの集団を確認! 本艦と併走しています!』
「保ちそうか?」
『隔壁を下ろしましたが、時間の問題かと』
「了解。機関停止、コントロール封鎖。以下、順次避難せよ」
『了解、ご武運を』

 短い言葉のやりとりが終了すると共に、がくんと艦自体が減速を開始した。ややあってびりびりと、先ほどとは違う衝撃が艦全体を激しく揺らす。ジェイドは眉をひそめ、「隔壁が破られましたかね」と呟いた。

「ど、どういうこった? ライガって、あの女王と同じ奴だよな?」
「はいですの」

 ルークとミュウがひそひそと会話しているのが分かる。ティアはその会話には気づかなかったようで、杖を構えいつでも動けるよう重心を落とす体勢を取っている。ジェイドも気づかなかったふりをして、彼らに声を掛けた。

「ともかく、我々も移動します。遅れないようついてきてください」
「移動って、どこへだよ」
「とりあえずは艦橋へ、ですね。外は包囲されていると考えた方がいいですから。いざとなったら艦ごと自爆を」

 ルークの疑問に分かりやすく答え、ついでに少し冗談を交えてみる。途端に表情が引きつるのが分かり、ふとやりすぎたかとジェイドはひとりごちた。

「すんなよっ!?」
「まあ冗談ですが。行きますよ。マルコ、先へ」

 くすりと微笑んだあと、ちらと部下に鋭い視線を投げる。彼の副官はこくりと頷き、イオンに手を差し伸べた。

「はい。イオン様、こちらへ」
「分かりました。マルコ、アニス、よろしくお願いします」
「了解ですっ!」

 言うが早いか、イオンを中心とした一団は即座に走り始めた。ティアがルークの背を軽く押し、移動を促す。

「ルーク、急いで」
「わ、わぁったよ」

 ばつの悪い顔で答え、ルークが動き始めるのを見てジェイドも走り出そうとした。その瞬間。
 すぐ傍の隔壁の扉が、無造作に開かれた。その音と外界から吹き込む匂いの違う空気の動きに、ジェイドは足を止める。

「!?」
「ひっ!」

 振り向いた目の前で、大鎌が無造作に突き立てられた。弾き飛ばされて壁にもたれるように倒れた、ルークの首元をかすめるように。

「ご主人様ぁっ!」
「ルークっ!」

 ミュウはルークの襟にしがみついたままだったが、鎌の刃から逃れるように身体を縮こまらせていた。その身体を、ルークの手が庇うように包んでいる。
 ティアは……いつの間にか、ジェイドの横にいる。床に倒れている所を見ると……とっさに、ルークがこちらへと突き飛ばしたらしい。
 そのルークに刃を突きつけたのは、隔壁の扉から姿を現した黒衣の巨漢。
 六神将の1人、黒獅子ラルゴ。

 ──やはり、こうなるのか。しかし。

 ぎり、とジェイドが歯を噛みしめる。『記憶』ではライガの襲撃に怯えたルークが1人で逃げようとして囚われたのだが、今回は違った。
 ルークは恐らく、ティアを守ろうとして自分が囚われたのだ。そうして今も、ミュウを守ろうとしている。

 ──世界自体も、少し変わっているのでしょうか。

 どこか奇妙な気分になる。
 自身が未来の『記憶』を持ちそれに沿って行動していることで、少なくとも世界には僅かながら変化が起きている。しかしそれが、エンゲーブで会うまではまったく接触の無かったルークにまで及んでいる可能性は、まるで考えていなかった。
 それでも、結果としては『記憶』と同じ状況になったのは間違いない。

「動くな。『死霊使い』ジェイド」
「死霊使い……あなたが!?」

 二つ名を呼ばれ、動きを止める。同時に、ティアが顔を引きつらせ、ジェイドに意識を向けた。よもや、年齢不詳の優男が『死霊使い』などという禍々しい二つ名の持ち主であるとは思いもしなかったのだろう。もっとも、この反応はよくあるものであったからジェイド自身は平然と対応することが出来た。

「ふむ。私も、ずいぶんと有名になったものですね」
「戦の度に骸を漁るお前の噂、世界にあまねく轟いている」
「貴方ほどではありませんよ。神託の盾六神将、『黒獅子ラルゴ』」

 噂は嘘ではない。だが過去のものだ。
 かつてはレプリカ情報を収集するため、戦場の骸を漁ったものだ。自身は人の死に対しろくな感情も持てない人間だが、確かに第三者から見ればおぞましい姿ではあっただろう。
 それに、多分今は、ほんの少しだけでも違うだろうから。

「だが、噂は所詮噂ということか。腰抜け小僧1匹のために勝機を逃すとは」

 ラルゴの物言いに、微かな怒りを覚えた。1人で逃げようとしたルークであれば、そう言われても致し方のないことだ。
 けれど、このルークは違う。ティアを庇い、ミュウを庇っている。バチカルでどう育ったのかは分からないが、少なくとも悪し様に罵られるような少年ではない。……本当ならば『記憶』の中のルークも、初めての戦に戸惑っていただけでそういう子どもだったのかも知れないけれど。

「今の言いぐさは取り消していただきたいものですね。それに──守ると誓ったんです」

 故に、ジェイドの口調には負の感情が交じっていた。だらりと両手を下ろした全くの丸腰でありながらその姿は、彼よりもずっと身体が大きくまた武装しているラルゴをすら威圧している。

「死霊使いが『守る』、か」

 ぎしり、とラルゴの腕が動く。首筋に僅かに触れた刃が冷たくて、ルークは「ひっ」と身体をこわばらせた。表情は怯えた子どもそのものだが、それでもミュウを守っている手を動かそうとはしない。

「この小僧を守りたくば、導師イオンをこちらに渡していただこう。お前の部下を呼び戻せ」
「それも応じかねます」

 ラルゴはジェイドの力量を知っている。故に、例え人質として囚われてはいてもルークの首をそう簡単に落とすことはない。そんな隙を見せれば、譜術の1つくらいは発動させることが出来るのだ。しかも、外しようのない至近距離で。

「……っ!」

 もっとも、ルークがジェイドに怯えたままの視線を向けてきたのは仕方のないことだ。自分を見捨てられた、と思われたかもしれない。ジェイドはラルゴから視線を外さなかったから、視界の隅でそれを確認しただけだ。
 だから、ミュウがちらりとジェイドに視線を向けた後ルークの耳に何事かを囁いたのを、このときジェイドは見逃していた。

「貴方1人で、この私に対抗出来るとでもお思いですか? 不利なのは貴方の方だ」
「こちらに策がないと思ったか」

 ジェイドのあくまでも飄々とした態度に対し、不敵な笑みを浮かべラルゴは懐に手を入れた。取り出された小さな箱が、ジェイド目がけ放り投げられて……発動した。

「……ぐっ」
「封印術!? そんな!」

 ティアの悲鳴が、どこか遠くに聞こえる。これを食らうのは2度目だが、全身を包んだ光に力を封じ込まれていく感覚は慣れるものではない。耐えきれず、ジェイドはがくりと膝をついた。両腕で、自分の身体を抱え込む。

「ん、くぅ……」
「本来ならば導師の譜術を封じるためのものだったが……こんなところで役立つとはな!」

 ルークの首元から鎌を引き抜き、その巨体には似合わぬ速度でジェイドへと突進するラルゴ。だが、その動きはジェイドの予測どおりのものだった。丸腰で、譜術の力すら奪われた自分は格好の獲物なのだから。
 ルークを守り、ラルゴに大きな隙を作らせるには、こうするしかなかった。

「ふっ!」

 右腕に融合させていた槍を具現化させ、振り下ろされる大鎌を受け流す。ラルゴと位置を入れ替えながら、ジェイドはルークの名を呼んだ。

「ルーク! ミュウを天井に!」
「えっ?」

 突然の指示に一瞬あっけにとられたルークだったが、くいと顎で示したジェイドに従いチーグルの身体を上へと差し出す。次は、そのチーグルの子への指示だ。

「ミュウ! 第五音素を、譜石へ!」
「は、はいですのっ!」

 ミュウはまだ幼いが、ソーサラーリングのおかげで第五音素……火を吹くことが出来る。それを天井で明かりとして使用されている譜石にぶつけると、どうなるか。

「うおっ!」

 ジェイドの反撃でバランスを崩しかけ、そこに第五音素に反応した譜石の強烈な光を浴びてラルゴの目が一瞬眩む。その隙を逃さず、ジェイドは槍の穂先を突き出す。が、半ば勘だけでラルゴはその切っ先を交わした。
 が。

「──」

 低い、だが良く通る歌声。
 立ち上がったティアが、譜歌を歌っている。

「な、にっ……!」

 その歌は、ラルゴの動きだけを確実に鈍らせている。

「助かります」

 微かな声で呟いて、ジェイドは己の槍をラルゴの腹に突き通した。


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