紅瞳の秘預言03 対面
「この私が、譜術のみで恐れられたとお思いか」
低く囁きながら、筋肉に阻まれ引き抜くことのままならない槍を空に消す。それと共に、ゆっくりとラルゴは床に倒れ伏した。腹の傷からどくどくと赤い血があふれ出す。
ルークが流れ出る血を避けるように立ち上がったのに気づいたジェイドが振り返る。その表情は既に、いつもの笑顔に戻っていた。
「大丈夫ですか? ルーク。ミュウ、ティア、ありがとうございました」
「はいですのっ。ボク、お役に立てて嬉しいですのー」
「いえ、お役に立てて幸いです」
ミュウは、恐らく敬愛するルークを守れたことに無邪気に喜んでいる。ティアも自らの譜歌が功を奏したことに胸をなで下ろしていた。
だがルークは顔を青ざめさせ、小刻みに身体を震わせている。ティアがそっと寄り添い、「ルーク?」と小さく名を呼んだことでやっと少年は伏せていた顔を上げた。
「う、ぁ……あいつ、し、死んだの……か?」
「この程度で死んでしまっては、六神将も形無しですね。重傷と失血で意識が飛んでいるだけですよ。お望みなら、とどめを刺しておきますが」
震えが止まらないままのルークの問いに、きちんと答える。答えてしまってから彼の首筋に、一筋赤い血がうっすらと浮かび上がっているのに気づいた。ティアに視線を向け、「お願いします」とだけ告げる。
「……やめてくれ。襲ってきた敵だって分かってるけど、こんなこと言えた義理じゃないんだろうけど、俺は」
美しい声で紡がれる譜歌が、ルークの傷を癒す。大人しくその治療を受けながら、ルークはジェイドの言葉に否を唱えた。そこが変わっていないことに、ジェイドは安堵する。
「そう言うと思っていました。今回だけは放っておきましょう。そのうち仲間が拾いに来ると思いますよ」
「大佐、それは甘いと思います」
ティアが反論の声を上げた。顔をしかめたルークの肩を軽く叩いてからジェイドは頷く。彼女の言いたいことも、軍人である自分は分かるのだから。
「そうですね。軍人の考え方としては確かに甘い。認めます……けれど、彼は違いますから」
「ですが……はい」
軍属になってまだ日の浅いであろうティアはそれでも納得しかねる様子であったが、渋々首を縦に振った。それを確認して、ジェイドはルークに向き直る。
「とはいえ、ルーク。貴方にも覚悟して貰わないといけない事態であることは確かです。ラルゴはしばらく動けないと思いますが、敵は彼1人ではない。場合によっては、貴方が剣を振るわなければならなくなる」
「剣を……人を、殺せって?」
告げられた言葉の意味を、数度瞬く間にルークは理解した。ジェイドを見返す表情は先ほどの、怯えた子どものまま。
「そういうことです。……出来るだけ私とティアで排除するようにはしますが、向こうはこちらを殺すつもりで襲ってきますよ」
「…………俺は……」
泣きそうな目。ジェイドはまっすぐにルークのその目を見つめ返しながら、そっと祈りを捧げた。
──あなたは、そのままでいてください。人の生命を断つことへの痛みを、忘れないで。
「ここは既に戦場です。相手の生命を気遣う余裕はありません」
そして、祈りとは正反対の言葉を口にする。びくりと震えるルークの肩を掴み、目を逸らさずさらに言い募った。
「怖いのでしょうけれど、貴方は貴方自身を守ることを一番に考えてください。分かりましたね?」
「………………ああ」
かすれるような返答は、やっとのことでジェイドの耳に届く。「ありがとうございます」とこちらも小さく囁いて、ジェイドはルークの肩に乗っかったままのミュウに視線を向けた。
「ミュウ。先ほどの第五音素はさすがでした。その力で、ルークを守ってください」
「お任せですの! ミュウはご主人様をお守りするために一緒にいるですの!」
褒められ、主の守りを任され、さらにふわふわと撫でられてミュウはご機嫌だ。にこにこっと緊張感のない笑顔になるチーグルを見て、ずっとこわばっていたルークの表情が心なしか和らいだ。
「さて、少し行動が遅れましたね。イオン様はアニスとマルコにお任せするとして、我々も動きましょう」
それを見て取ったのか、この話はここまで、とジェイドが手を叩く。ぱふ、という少し間の抜けた音に顔を上げたティアは、ふと気がついた。
ジェイドはいつの間にか、倒れているラルゴがルークから見えないように、その視界を塞ぐ位置に立っていたのだ。
もしかして、一番甘いのは大佐ご自身じゃないのかしら。
ティアがそんなことを思ったとしても、否定は出来ないだろう。もっとも、面と向かってジェイドにそんなことを言う度胸はティアにはないのだけれど。
既にタルタロスは走行を停止しており、戦闘の音なども聞こえなくなっていた。敵の手による中枢部占拠が終了していると見たジェイドは、重要部分である艦橋の奪還を狙うと言う。巨大陸艦のことをほとんど知らないルークとティアは、特に反対する理由もないため同行することにした。
「なあ、ジェイド。イオンたち、大丈夫なのか?」
足音をあまり立てないように気をつけながら先頭に立ち進んでいくジェイドに、ルークが小さな声で尋ねた。ちなみに、ミュウはずっとルークの肩の上に乗りっぱなしである。ぱたぱたと時折振られる長い袋状の耳がうっとうしいが、ルークはそれをはたき落とす気にはなれなかった。
「マルコは私の副官ですし、アニスは導師守護役ですからね。信じましょう」
微笑みながらジェイドは答える。ミュウも「そうですの。マルコさんとアニスさんがいますから、イオンさんも大丈夫ですの」と力づけてくれて、ルークは少し泣きそうになった。が、ティアが背後から見ていることを思い出してついそっぽを向く。
「そ、そっか。なら大丈夫だよな、きっと」
最後尾を歩いているティアは、そんなルークの様子には気づかなかった。平然と歩いているジェイドの背中に向け、声を掛ける。
「大佐、封印術の影響は大丈夫ですか?」
「ええ、大したことはありませんよ。何より、生きていますから」
「そうですか……」
己の問いに答えた声も、それ以前のジェイドそのものだ。影響はそれほどでもないのか、とほっとしかけたティアに、今度はジェイドの方から声が掛けられた。
「……ティア。ラルゴを含む六神将は、大詠師モースの部下ですよね。何しろ神託の盾の幹部なんですから」
「え、ええ」
六神将は、神託の盾騎士団の師団長を務める6人──実際には7人だが、1人は大詠師派ではないため除外される──の総称だ。神託の盾はローレライ教団の内部組織であり、指令系統としては大詠師モースの下につくことになる。それを確認して……実際にはルークに教えて、ジェイドは続ける。
「その六神将が、こうやってタルタロスを襲撃した。恐らくはグリフィンもライガも、六神将の手によるものでしょう。そして目的は導師イオン。……これでも、モースが平和を望んでいると思えますか?」
そう指摘され、ティアはぴたりと足を止めた。グリフィンとライガが本当に六神将によって呼ばれたものなのかはともかく、それ以外はジェイドの指摘通りなのだ。
「モース様に限ってそんなことは……ろ、六神将が独自に動いているかもしれません!」
しかしティアは、モースを否定することは出来ないようだ。まだ、兄であるヴァンを否定する方が容易であるらしい。
「それでは……彼らの直接の上司はどなたです?」
「……それは……兄、ヴァン・グランツ謡将……です」
神託の盾騎士団主席総長。その地位は即ち、師団長を従える長であることを示す。つまりヴァンは、ラルゴを初めとする六神将を統べる立場にあることになる。
部下である六神将が、もしヴァンの指示により動いていると推定するならば。
「な! 師匠が和平交渉の邪魔してるっていうのか!?」
だが、その意見にはルークが異議を唱えた。仕方ない、とジェイドは声に出さずに呟く。
現在のルークが心を開いている相手は、ヴァンとガイの2人くらいのものであろう。ティアとは微妙な温度差が見られるし、ジェイド自身はそう簡単に人から好かれるような人間ではないことを自覚している。バチカルに住まう両親とはある程度の問題が解決するまで壁を作っていたようだし、ナタリアも同様であろう。
だから、今のルークにはヴァンを極度に否定する言葉を告げることは出来ない。ルークにとってヴァンは心の底から敬愛する師匠であり、疑うなど微塵も浮かばない相手であり、目標だ。それを一方的に否定するということは即ち、ルークに敵と見なされるということなのだ。
──よくぞ、ここまで洗脳してくれたものですね……ヴァンデスデルカ。
「そうとは言い切れません。……済みません、ルーク。あらゆる可能性を考えないと、事態の解決には結びつかないんです。ですから、本当に六神将が独自に動いているのかも知れませんし、モースが命じているのかもしれない。私はグランツ……ヴァン謡将のことはよく知りませんから、判断材料がないんです」
だから、現時点でジェイドはこう言うことしか出来ない。はっきりと事実を伝えることは出来ないのだ。
信じて貰えないから。例え証拠があったとしても、朱赤の少年はきっとヴァンを選ぶから。
それが、『記憶』の中でほんの僅かであってもルークと心を交わしたジェイドには辛くてならなかった。
そもそも、現時点で誰が和平交渉を妨害しようとしているのか判断材料がないのは事実だ。
しかし、ジェイドは『記憶』を持っている。
大詠師モースも、ヴァン・グランツ謡将も、グルであることを知っている。
それぞれの思惑は、まったく違ったところにあるということも。
ルークは、ヴァンにとってただの使い捨ての道具でしかないということも。
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