紅瞳の秘預言03 対面

 いつの間にか、甲板の手前までたどり着いていた。ここから見える艦橋までの通路には、見張りの兵士が1人いる。殺すことも出来るが……ジェイドとしては、今のルークの目前でそれは抑えておきたかった。

「……さて。ティア、譜歌をお願いします」
「はい」

 ジェイドの指示に従い、ティアの声が旋律を奏でる。ほどなく、白い鎧で全身を覆った兵士は膝をつき、そのまま床に身体を投げ出してしまった。まずジェイドが先に立って兵士の様子を伺い、その手招きに応じてルークとティアも後に続く。

「うわ、よく寝てんなー」

 兵士の顔を兜越しに覗き込んだルークが、感心したように声を上げる。ミュウも同じように覗き込んでいたが、肩から落ちそうになって慌ててしがみつき直していた。肩越しにその様子を伺って、ジェイドが声を掛ける。

「コントロールを奪還します。ティア、手伝ってください」
「分かりました、大佐」

 ルークの背後を離れ、ティアはジェイドの傍に立った。腰をかがめた姿勢のままのルークがくるりと振り返る。

「なあ。俺は何すりゃいいんだ?」
「そこで見張りをお願いします。新手が来たら呼んでください。そいつは大人しくしていれば起きないと思いますよ」

 何かを忘れているような気がしたが、それを振り払ってジェイドは指示を出した。ミュウもいることだし、まず問題は無いだろう。

「そっか。分かった」
「よろしく。手早く終わらせますから」

 軽く頭を下げつつ、ジェイドは扉を開く。見張りが1人しかいないということは、まず中に誰かがいる可能性はないだろう。そうであれば、内部はもっと騒がしいだろうから。

「ティア、そちらの画面をチェックして赤い表示が出たら教えてください」
「はい」

 手早く指を滑らせ、艦体の復旧に取りかかる。いざというときの非常停止機構はジェイド自身にしか発動させることが出来ず、艦橋からでは機関部の緊急停止がせいぜいだ。
 ──即ち、艦長が他に存在しているのも関わらず、タルタロスの事実上の支配者はジェイド・カーティスだということだ。それを乗組員の全員が理解し納得しているからこそ、彼の命に従う。

「大佐。出ました」
「はい、終了ですね」

 ティアの声にぽん、と操作盤を叩く。ほとんど乗員のいない今のタルタロスが、神託の盾の思うままに操られることのないよう最低限の能力のみを残した復旧だったため、さほど時間も掛からずに作業は終わった。現在の陸艦は、動くだけで戦闘能力はほとんど皆無のただの移動手段でしかない。
 さてルークはどうしたろうか、と入口に視線をやった瞬間、ふと『思い出した』。

 倒れた兵士の身体から流れる血。
 立ち上がる気力もなく、小刻みに震えているこども。

 それを思い出した瞬間、扉の向こう側でがたがたと音がした。慌ててジェイドが扉を開けたとき、そこに広がっていたのは『記憶』と同じ光景だった。
 先ほど眠らせていたはずの兵士が、眠っていたのとは違う位置で倒れている。既に息絶えたその身体は血に濡れ、傍に凶器であろう剣が転がっている。ルークの持っていた剣が。
 そして、おろおろと様子を伺うチーグルと、混乱しきっている、ルーク。

「ひ、あ、ああっ」
「ルーク!」

 がたがたと震えるルークを、思わず抱きしめた。前に回り込んで死体を見えないように隠しながら背中に手を回し、ぽんぽんと軽く叩く。

「落ち着きなさい、大丈夫です」
「お、俺っ、ひと、ひところし、て」

 ルークの顔は真っ青だ。碧の瞳が、目の前にいるはずのジェイドを映していない。
 致し方あるまい。閉じこめられていた7年間、恐らくは人が病で死ぬ瞬間すら見たことがないのだろうから。
 ましてや、己の手に掛けるなど。

「しっかりしなさい。落ち着いて、ゆっくり呼吸しなさい」

 自分には理解出来ない感情だけれど、少なくともルークが殺人を犯してしまったことでパニックに陥っていることは分かる。だから、せめて落ち着かせようと背中をさする。

「大佐? ルーク……え、何が」

 ジェイドの後を追って出てきたティアが、眼前の光景を上手く認識出来ずに戸惑っていた。そんな彼女にミュウがちょこちょこと走りより、自分が見たことを伝え始めた。

「みゅうっ。寝てた兵士さんが起きちゃったですの。それでご主人様に斬りかかってきて……」

 攻撃を受け止めたものの、人と生命の奪い合いをしたことのないルークにはまともに戦えなかった。やたらめったら振り回した剣が、偶然兵士の生命を奪った。そういうことだろう。
 この子はこれから、人を殺すたびに悪夢にうなされていくのだ。逃れられないことではあったはずだが、ジェイドはそれを『思い出せなかった』ことに歯がみした。
 ぎゅ、とルークの手が胸元にしがみつく。その呼吸がだんだんと落ち着きを取り戻し始めていることにジェイドも胸をなで下ろす。

 そして、不意に上に視線を向けた。

「人を殺すのが怖いんなら、剣なんか捨てちまいな! この出来損ないが!」
「下がりなさい!」

 降り注ぐ、殺気に満ちた声。即座にティアに命じながら、自分はルークを抱え込んで飛び退く。その直後、甲板から巨大な氷の槍がいくつも出現し、床に大きな穴を開けた。

 ──来ましたね。

 だん、と音を鳴らして着地したのは黒衣の青年。身体の動きに遅れるように、ルークよりも濃い赤の長い髪がふわりと舞い降りる。

「ちっ。邪魔すんじゃねえ、死霊使い!」
「あいにくですが、こちらも任務ですので」

 槍を具現化させ、斜めに構えて盾とする。ティアもうまく氷からは逃れたようで、同様に杖を構え……目を見張った。

「ルー、ク?」
「みゅみゅっ!?」

 ミュウも丸い目をさらに丸くして、青年に目を奪われている。その妙な気配に気づいたのか、ジェイドの腕の中にいたルークが顔を上げ。

「! な、何だ、お前っ!?」

 青年の顔を見た。

「みゅっ!? ご、ご主人様とおんなじ顔してるですのっ!」
「は、黙ってろ小動物。潰すぞ」

 ルークと同じ造形の顔で睨み付けられ、チーグルの仔は小さな身体をさらに縮こまらせる。

 前髪を上げ、オールバックにしている真紅の髪。
 しかめられた眉と、その下で殺気をぎらつかせている碧の瞳。
 纏う黒衣は、神託の盾騎士団で詠師が纏うもの。
 剣を持つ手は、ルークの左手ではなく、右手。


 ──貴方は、アッシュですね。ルークは……?
 ──分かってんだろ、バルフォア博士。あいつは俺が食らった。……俺だけが、残っちまった。


 『記憶』の中にある最後の光景。彼の、泣きたくても泣けない複雑な表情がジェイドの視界を通して今の彼に重なった。

「ジェイ、ド、あいつ……」

 殺人の衝撃に重なる、己と同じ姿を持つ人物の出現による衝撃。がくがくと膝が震えているルークの身体を、ジェイドの腕が支える。

「『鮮血のアッシュ』。先ほどのラルゴと同じく、六神将の1人ですよ」

 その名を感情を込めることなく呼びながら、心の中でジェイドは、そっと彼に呼びかけていた。

 今度は、もっと早く分かり合えることを望みます。
 真紅の焔。


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