紅瞳の秘預言04 脱出

 ばたばたと駆け込んできた神託の盾の兵士たちが、周囲を取り囲む。その中で、2つの焔が燃えていた。
 1人は、夕焼けのような朱赤の髪と、白いコート。
 1人は、血のような真紅の髪と、黒の詠師服。
 対照的な色を纏っているのに、2人は鏡に映したようにまったく同じ姿をしている。

「どけ、死霊使い。俺はその屑を潰す」
「屑などここにはいません。ルークのことを言っているのならば、お断りします」

 黒を纏うアッシュの脅しに、白を纏うルークを庇っているジェイドは動じない。多勢に無勢という、この状況であるにも関わらず。
 恐らくアッシュは、ルークがどういった存在であるか知らずにジェイドが庇っていると思っているだろう。
 だが、今のジェイドは既に知っている。……いや、『記憶』の中でも、この時には分かっていた。ただ、証拠がなかっただけで。

 『ルーク』がアッシュ……『ルーク・フォン・ファブレ』のレプリカである、という事実。

 だからといって、ジェイドは自分の態度を変えるつもりは毛頭ない。
 ルークを死なせない、失わないために、自分は『記憶』を持ちこの場にいるのであろうから。

「邪魔をするな!」

 剣の切っ先を突きつけられても、ジェイドの顔色はまったく変化しない。が、腕の中にいるルークの身体がこわばったのに気づくと、その身体を抱きしめる腕に少しだけ力が入った。
 長い前髪に隠れ、ジェイドからルークの表情を伺うことは出来ない。だからジェイドには、今ルークが怒っているのか、泣いているのかは分からない。けれど、小さく震えているからきっと怯えているのだろう、とそれだけは分かった。右腕に沿わせるように構えている槍で、アッシュの剣を牽制する。

「落ち着きなさい。今、タルタロスはあなた方が占拠しているのでしょう? そんなに焦らなくともご覧の通り、我々はあなた方の手の内ではありませんか」
「え、大佐?」

 あくまでも平坦に、それでいて自分たちに絶望を突きつける彼の台詞に、ティアがぎょっとしてその顔を振り返った。アッシュは軽く眉を動かしただけで、その言葉を否定しようとはしない。
 その反応に満足したかのように笑みを浮かべ、ジェイドは言葉を続けた。

「違いますか? このタルタロスを襲撃するのに、それ相応の武力を持って来ていないはずがないでしょう? 出会っただけでも六神将のうち2人が来ているというのに。ここにいる以外にも戦力は展開しているはずだ」
「ふん」

 分かっているじゃないか、とアッシュの表情が答えている。それでも互いの得物を動かす気配がないのは、さらに言葉の続きがあるということの意思表示と、その確認だ。

「こちらとしては、投降するつもりはありますよ。……ルークも含め、全員の身の安全が保証されるならば、ですが」
「ほう。……そうでなければ?」
「全力で抵抗させていただきます。まあ死ぬかも知れませんが、あなたも無事では済まないことぐらい分かるでしょう?」

 にい、とジェイドの眼が細められる。その身体に封印術が掛けられていることをアッシュが知っているかどうかは分からないが、例え知られていたとしてもジェイドには自分が負けるとは思えなかった。第一今のアッシュはルークに対する怒りで満たされていて、まともに戦闘が行えるか疑問だ。

 ──これも貴方の教育、いや洗脳の結果ですか。ヴァンデスデルカ。

 『記憶』の中でもそうだったが、アッシュはルークと対面すると感情の抑えが効かないように見受けられる。己のレプリカであり、居場所を奪った存在であり、そして己より全てにおいて劣る存在としてルークを見ていたであろうアッシュ。確かに、そうであるならば感情をぶつけるのは分かる。
 だが、自分たちがルークと離れアッシュと行動を共にしていた間、彼は自分たちとの間に距離こそ置いてはいたものの感情の発露はそれほどではなかった。特に、婚約者であったナタリアへの心遣いはそれは細やかで優しいものだった。
 要するにアッシュは、ルークに対するときとそれ以外とで感情の振り幅が極端なのだ。『記憶』の中のジェイドはそこまで思い至ることがなかったが、今のジェイドには朧気ながらその答えがつかみ取れていた。
 『ルーク』で無くなってから7年間、彼を手元に置いていたヴァンが全ての憎悪をルークに向けさせるように、ヴァンのみを信頼させるように刷り込み続ければ、『ルーク』としての己を失って不安定になっていたであろうアッシュは容易くその手に堕ちただろう。完全な道具とされなかったのは、アッシュの心の奥底に恐らくはナタリアに関する何らかの思い出が残っていてそれが彼を守りきったからだ、とジェイドは推測している。
 つまり、ヴァンはバチカルでルークを、ダアトでアッシュを、同時に洗脳していたのだ。
 ルークを、預言の通りにアクゼリュスで殺すために。
 アッシュを、その超振動を以て世界を滅ぼさせるために。

 ──させませんよ。滅びたいなら1人で逝きなさい。

 そこまで綴られた思考は、アッシュの声が聞こえると共に脳の奥深くへと沈められた。

「良い度胸だ。そこでダンマリ決め込んでる屑とはえらい違いだな」
「……何だとっ」

 屑と呼ばれて言い返すルークの声に、力はない。直前に犯した殺人のダメージもまだ回復しきっていないのだから、それは当然だろう。

「ルーク、落ち着きなさい。アッシュも、交渉相手を怒らせてどうするんですか」

 小さく溜息をつきながら肩をすくめる。ルークはともかく、アッシュの洗脳を解くのは少々骨が折れるかもしれない。

「それで、どうするんです?」

 弱い立場であるにも関わらず不遜な態度を崩さないジェイドに、アッシュは顔を歪めつつも頷いた。

「……ちっ。変な動きしやがったらまずその屑の首から落とすからな」
「助かります。ああ、ルークの首は渡しませんけどね」

 にこにこと笑いつつ、いつもの調子で答えながらジェイドは槍をわざと床に落としてみせる。それから、話題のネタになっていた少年の顔を覗き込んで、あ、と声を上げた。

「ルーク?」

 朱赤の髪の子どもは、とうに意識を手放していた。


 武装を解除された彼らが収容されたのは、牢獄として設計されているタルタロスの船室の1つだった。外から施錠され、見張りの兵士をつけられている。ジェイドは扉の傍に寄り、外の様子をじっと伺っていた。落とした槍は既に、腕の中に回収済みである。
 ティアとミュウは、ベッドに寝かされたルークに寄り添っている。ずっと眉をひそめ、小さくうめき声を上げ続けているルークの汗を持っていたハンカチで拭きながら、ティアは心配そうにじっとその顔を覗き込んでいた。

「ティア。ルークの様子はどうですか」

 ひとしきり情報を集め終えたのか歩み寄ってきたジェイドに顔を上げ、頷くティア。

「怪我はありません。でも……ずっとうなされています」
「まあ、しょうがないですね。初めて人を殺したようですし、その後自分と同じ顔の人間に殺されかけたわけですから」

 ジェイドの『覚えて』いるルークは、最後まで人を殺すことに慣れることはなかった。手を血で汚したその夜は眠ることが出来ず、そうでない夜も時折殺した生命……特にアクゼリュスの悪夢にうなされていた。
 考えてみれば、このルークは7歳の子どもなのだ。自分のように恩師を手に掛けてすら感情の動かないような者は別として、そんな子どもが人を殺してしまったことで心に傷を負ってしまっても致し方あるまい。
 だから、少しでも、負担を和らげたかったのに。

「みゅうう……ご主人様ぁ……」

 ミュウがその小さな手でルークの頬をさすっている。大きな眼が潤んでいるのが、ジェイドの視界の端に映り込んだ。『記憶』と同じくこの幼いチーグルが少年の支えとなってくれることを、ジェイドは願った。
 ハンカチをたたみ直しているティアが自分を見つめていることに気づき、ジェイドの視線が彼女に向けられる。「何か?」と短く問うと、ティアは恐る恐る口を開いた。

「あの、大佐。……すみません。大佐は、ルークに甘いと思います」
「そう見えますか?」
「はい」

 なるほど。
 確かに、端から見ればそう取れないこともないだろう。そもそも、ティアはルークの実年齢を認識していない。ルーク自身もそうだが、『10歳の姿で生まれた、現在実年齢7歳の子ども』ではなく『10歳までの記憶を失った、現在17歳の青年』と思っているのだから。
 それを現在知っているのはジェイドとアッシュ、ジェイドから話を聞かされたピオニーともう1人、そしてこの愚かな陰謀を企む張本人どもくらいしかいない。
 もっとも、そのことを誰かに話すと言うことはつまり、ルークがアッシュのレプリカであるという事実をも話すということだ。
 それにはまだ、時期が早い。

 フォミクリーという技術の存在、レプリカという存在。
 それを彼らに知らしめ、さらに。
 オリジナルとレプリカは同じ姿、同じ声をしていても別の存在であること。レプリカもまた、生まれ方と肉体の構成音素の違いはあれど人間であること。
 それらへの理解を得られない限り。
 ルークはまた壊れる。
 エルドラントで消える。

 無論ジェイドは、そこまで話を性急に進める気はない。せめてアクゼリュスの被害は少しでも減らされるべきと考え、相応の対策を打ってはいる。だが、差し当たってはルークがオリジナルであるかレプリカであるかに関係なく、普通に人と付き合えるようにサポートすべきだ。それが出来なかったばかりに、『記憶』の中のルークはヴァンに依存し、道具として操られたのだから。
 今のルークの状態を知っている自分にしか、恐らくは出来ないこと。
 ──ルークの心を、少しでも守るために。


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