紅瞳の秘預言04 脱出

「気分…………っ」

 ぽかんとジェイドの問いを受け止めたルークだったが、不意に身体をふたつに折った。かたかたと震える身体は、少年の精神的ダメージが回復しきっていないことを如実に表している。それを冷静に分析している自分に気づき、思わずジェイドは視線を逸らした。
 だが、ここで留まってはいられない。『記憶』同様早めに動き出さなければ、恐らくは逃げられなくなる。囚われたままヴァンの懐に運ばれ、ルークは操られる。ヴァンの妹であるティアは手厚く保護を受ける可能性が高いが、ジェイドはまず生かされることはないだろう。せいぜいマルクトとキムラスカの戦争を煽り立てる生け贄にされるだけだ。

 ──死ぬのは構いませんが、グランツ謡将や大詠師モースの道具にされるのはシャクですしね。

 そんな自分を鼻で笑い、ジェイドはぽんと手を叩いた。まずやらなければならないことの確認。

「さて。ルークも無事目を覚ましたことですし、イオン様の奪還に向かうとしましょうか」
「イオン? 逃げたんじゃなかったのか?」

 はっと顔を上げたルークが不思議そうに問う。ジェイドがその情報を仕入れたのはこの部屋へと連行される途中……つまりはルークが意識を失っている間だったから、知らなくて当然だ。もっとも『記憶』の中では、ルークを殺そうとしたアッシュを止めた『魔弾のリグレット』が導師を連れていたところを目撃しているから、ほんの少しタイミングは今回の方が早いかもしれない。

「さすがに多勢に無勢だったらしく。マルコももう少し頑張ってくれれば良かったんですが」

 アニスとマルコがどうなったかは分かっていない。アニスは『記憶』どおりならばまず無事のはずだが、マルコに関してはまったくの不明。指示に従って無事であればいいが、と微かに思う。そして、はかりごとが上手く進んでいてくれているならば。

「一度外へ連れ出されたようなんですが、神託の盾兵の話を伺った限りではそろそろ戻ってくるようです。そこを狙いましょう」

 内心の不安を顔に出さぬよう作り上げた笑みで顔を覆い、ジェイドは言葉を続ける。時折ルークに視線を向けると、どこか不安げな表情の少年はこちらに眼を向けようともしない。仕方がない、と小さく息をつき、あくまで明るく締めてみせた。

「簡単にはいかないと思いますが、まあ頑張ってみましょう」
「ちょ、ちょっと待てよ。そんなことしたら、また戦いになるじゃねえか!」

 『記憶』通り、予想通りのルークの悲鳴じみた叫び。彼が戦いを恐れるのは分かっているが、かといってここで黙っているわけにはいかない。さてそれをどう説明するか……と沈みかけたジェイドの思考を止めたのは、ティアの一言だった。

「そうね。それがどうかしたのかしら……あ」

 言ってしまってから慌てて口を押さえる仕草は、年齢通りの少女のものだ。だがその直前、軍人としての意識で発されたであろう台詞にルークが思わず睨み付けてしまうのは、致し方ないだろう。ジェイドもやれやれと肩をすくめる。

「ティア。あなた、物言いがきついと言われたことはありませんか?」
「友人はほとんどいませんでしたから……きついですよね、やっぱり」
「私が言うのも何ですけれど、かなり」
「ごめんなさい。気をつけます」

 自分はいつから保護者になったのだろう、とちょっとした疑問を抱きながらジェイドはティアをたしなめる。それが『記憶』の中からの継続ではないかと気がついて、それならば良いかと納得してからルークに向き直った。
 ここは保護者として、説得しなければなりませんね。

「ルーク。確かに、また戦いになるのは事実です。戦いになればまた人が死ぬ……それが怖いのでしょう?」
「──っ」

 床に膝をつき、視線の高さをベッドの上で上半身を起こしているルークよりも下げる。上から見下ろす視線が怖い、と背の高いジェイドは良く言われているので、逆を狙ってみることにしたのだ。なるほど、少しは効果があるらしい。

「私やティアは軍人です。顔色1つ変えずに人を殺すのも仕事の内だ。実際、私はもう数すら覚えていられないほど人を殺めています」

 訥々と、ジェイドはルークに語りかける。自分を見るルークの表情に怯えの欠片を認め、仕方のないことだと軽く拳を握った。

「でも貴方は違います。ですから怖がっていいんですよ。人間なら、当たり前のことなんですから」

 私と違って。
 その一言だけは、口に出来なかった。

「けれど、覚えておいてください。お話しましたが私とイオン様は、キムラスカとマルクトの間に起こるであろう戦争を止めるためにキムラスカに向かっているんです。戦争が始まってしまえば、もっと沢山の人が死ぬことになります。戦いの矢面に立つ軍人だけでなく、戦場となる土地に住んでいる人たちも。その後方で働き、戦場を支える人たちも。そして、戦争とは関係なくただ世界に生きているだけの人や、動物たちも」

 そうして、何事もないように言葉を続けた。知っておいて欲しかったことを……戦士としてではなく、人としてルークに知って欲しかったことをゆっくりと、ゆっくりと言葉にする。

「そ、そんなの、知らねえよっ!」
「ええ。ですから、今教えました」

 起き抜けの乱れた髪を指でぐしゃぐしゃに掻き回すルーク。その手に自分のそれを伸ばし、押し止めようとしてジェイドはやめた。死霊使いなどと呼ばれる男の血に染まりきった手など、今のルークには恐怖でしかないに違いない。

「戦場では剣を振るうことは即ち敵を殺すこと、と理解してください。そして、あなたにはその覚悟は出来ていない」

 眼を僅かに細め、語気を強めた。ただそれだけで、ルークの視線はジェイドに吸い付けられる。言葉にはこういう使い方もあるのだと、ルークには理解出来ただろうか。

「ですから、貴方はミュウと一緒におとなしくついてきてください。危ないときはミュウの炎で、自身を守ってください。ミュウ、お願いします」
「もちろんですの! ミュウはご主人様をお守りするですの!」

 無邪気に笑いながらちょこちょこと飛び跳ねるチーグルに移されたルークの視線は、半ばぼうっとしたものだった。
 何で、こいつはこんなに俺を慕ってくるんだ?
 俺、ちょっと庇ったくらいで何もしてねえぞ?
 そんな疑問を、しかしルークは口にすることが出来ない。返ってくる答えの予測がつかなくて……怖いから。

「お、俺、は」
「大丈夫ですよ、私が守りますから」

 そう言い置いて、ジェイドが立ち上がる。ふわりと浮かべられた柔らかい笑みは、見とれたルークの頬を微かに染めるほど魅力的なものだった。
 伝声装置へ向かったジェイドを追うようにティアが立った。その気配に気づいて肩越しに振り向くと、彼女はルークには聞こえないよう声をひそめてきた。

「……やっぱり、大佐は甘い、と思います……ルークのことは、分かりましたけれど」
「剣を振るえるのであれば振るえと、あの子に強制するのですか?」
「その方が、こちらの戦力になります」

 ティアの声は硬い。『記憶』の中の自分と考え方は同じだと気づき、ジェイドはティアには見えないように自嘲の笑みを浮かべた。
 確かにルークの剣は、戦力として高いものがある。だが、……人を殺す恐怖に怯える子どもに、剣を振るわせたくはない。いずれは決断させることになるのだろうが、それまでは。

「魔物相手ならばともかく、人を相手に剣を振るうのは今のルークには無理です。私が手を染めればすむことですしね」

 一瞬笑みを消し、伝声装置を操作する。ジェイドの声が、彼にのみ許されている非常用のコードを発令した。

「──死霊使いの名において命じる。作戦名『骸狩り』発動せよ」


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