紅瞳の秘預言06 創傷

 徒歩で進むよりもずっと早く、セントビナーの街が見えてきた。既に連絡は取れていたらしく、タルタロスは何事もなく街の傍に停止する。捕虜の引き渡しを行っている部下たちを他所に、ジェイドが先頭に立ったルークたち一行はマルクト軍の基地へと招かれた。

「そうそう厄介ごとを持ち込まれても困るのだがな。カーティス大佐?」

 基地の司令官であるグレン・マクガヴァン将軍は、ジェイドの顔を見ると眉間にくっきりとしわを寄せながらつかつかと詰め寄ってきた。対照的に、ジェイドは涼しい顔のままその視線を受け流す。

「そうでしょうねえ。何しろ極秘とはいえ、皇帝勅命による厄介ごとですから」
「それを止めるために大佐がいるのではないか!」
「マクガヴァン将軍。お言葉ですが、これでもかなり被害の規模は減らしておりますよ」
「当たり前だ。陛下よりお預かりした艦と兵士をあたら死に至らしめることなど、陛下がお許しになっても私が許さん」
「その前に私自身が許せませんからご安心を。と言いますか、陛下の横暴は放置しておくんですか」
「ノルドハイム将軍、ゼーゼマン参謀長官、そしてカーティス大佐がよってたかって止められぬものを、どうやったら他の者が止められるというのだ」
「せっかくマルクトなんですから、議会で締め上げるのが一番ですよ? それよりローレライ教団への抗議はお任せしてよろしいですよね」
「『死霊使い』が先頭切って抗議などしてみろ、キムラスカが証拠の捏造でもして戦争をふっかけてきかねん」

 部下の兵士たちが周囲5メートルばかりの範囲内に近づかない。その小さいとは言えない円の中で、2人の軍人は片や楽しそうに、片や苦虫を噛み潰したように言葉を交わしている。


「げー。相手の奴、またしわ増えたぞ」

 うんざりした顔で、ルークが呟いた。
 2人のやりとりを、少し離れた場所でルークたちは見物していた。護衛兼、神託の盾情報部所属であるティアの監視ということで傍についているマルコが、「いつもあんな感じですよ」と教えてくれる。

「いつもって……あれは仲が良いのか? 悪いのか?」
「うーん。仲良しとはちょっと思えねえけどなあ」

 ガイとルークが揃って首を捻る。マルコは苦笑しつつ、楽しそうに会話を繰り広げている己の上官を見つめた。

「カーティス大佐を嫌う人は最初から視界に入れたがりませんからね。グレン将軍はそれなりにちゃんと会話しておられますし、あれは仲良しの範疇です」
「そうですの? ジェイドさんとグレンさん、仲良しですの?」

 無邪気に尋ねるミュウに、マルコは「ええ、それはもう」と大きく頷いてみせる。

「大佐の方も、嫌な相手とあれだけのやりとりはしません。ちらっと睨み付けてはいそうですか、で終わりです。まあその後に10倍ほど丁寧口調の罵詈雑言が続きますけれど」
「あ、何かその光景、分かるような気がします」

 ティアが少し考え込むような顔で頷いた。自分たちの前ではあまりそういう表情を見せないジェイドだが、マルコのいうような態度を取る姿は自然に脳裏に思い浮かぶ。

「というか。さっき旦那、会話の中で偉い連中と並べられてなかったか? 将軍と参謀長官とか」
「皇帝陛下の側近の方々ですよ。中でも、ストッパーとして一番の適役はカーティス大佐なんですけどね。幼馴染みだそうなので、そこら辺の要領は心得てるんでしょう」
「皇帝の側近で幼馴染み、ねえ」

 頭の後ろで腕を組みながらジェイドの様子を眺めていたルークだったが、ふとその視線を隣に立っているガイへと移した。自分が見られていることに気づき見返してきたガイに、にっと悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

「……俺が王位継いだら、あんな風にガイがなってくれんのか?」
「おいおい、俺に迷惑掛ける気満々かよ」

 肩をすくめたガイと、彼を頼もしそうに見上げるルークの姿を視界の端に留めながら、ジェイドは普段通りの笑顔をグレンに向けた。

「はっはっは。我々は仲良く見えるそうですよ。将軍」
「誰と誰がだ。カーティス大佐、眼に譜を刻んでから視力が落ちたか? それとも年で耳が遠くなったか?」
「視力でしたら、両方とも2.0ですよ。見えすぎて困ることも多々あります。耳と言えば元帥はお元気でしょうか? こちらに直行したのでお顔を拝見出来ず残念です」
「父は耳は十分達者だ。愛弟子が間抜けにも封印術を食らったなどと聞いたら嘆くぞ」
「いやあ、おかげさまで若い者に苦労をさせていますよ。はっはっは」

 肩肘張らずに軽口を叩けるのは気持ちが良いらしく、ジェイドは明るい笑い声を上げる。そして、微かに聞こえた足音に視線を向ける。廊下を駆け寄ってきたのは、濃い色のツインテールも愛らしい、導師守護役の少女。

「あー、イオン様ぁ! 大佐ぁ! みんなー!」
「アニス!」

 真っ先に名を呼ばれたイオンが、嬉しそうに手を振る。この中で唯一アニスの顔を知らないガイが、ルークに視線を向けて問うた。

「ん、あれ誰だ?」
「ん、あーアニスか。ええと、確か導師守護役って言ってた」
「ありゃま。何で導師と別行動なんだよ」
「途中でタルタロスから落っこったってさ」

 端的な質問と、端的な返答。そのやりとりで事情を察し、「まあご苦労さんだな」とガイは小さく溜息をついた。

「元気そうね」
「まあねー。それにしても良かったぁ。もうちょっと遅かったら、先にカイツールに向かうところでしたよぉ?」

 安堵した表情のティアににこーとどこか黒い笑みを浮かべてから、アニスはイオンに向き直る。くるりと黒さを笑みの後ろに隠してしまった彼女に、イオンはふんわりと優しい笑顔で応じた。

「それは良かったです。タルタロスの足が速くて助かりました」

 はい、と頷いたアニスの視線は、次にガイに向けられた。ルークより背の高い……ジェイドとさほど変わらない身長を持つ金髪の青年に、少女は興味津々である。

「あれれ? こちらの男前はどちら様ぁ?」
「あ、ああ。俺はガイ、ルークの世話係だよ」

 僅かに後ずさりしながら自己紹介したガイの台詞に、アニスの眼が丸くなった。

「世話係! さ、さすがは公爵家のご子息……せ、専属ですかぁ?」
「まあな。ほら、俺昔の記憶失くしたって言っただろ。そん時に、1から育ててくれたのがガイなんだ」
「はう。そういえばそういうこと言ってましたねえ。じゃあルーク様のお父さんみたいなもんなんだー。いやお母さんかな?」

 最初にタルタロスで事情聴取を受けたときのことを思い出しながらルークが説明すると、アニスは偉そうに腕を組んでうんうんと頷く。その会話に、今度はガイの方が眼を丸くした。

「何だ、お前そんなことまで話してたのかよ」
「話の流れでなー」

 あっけらかんとした表情で答えたルークに、「まあお前はそういう奴か」と苦笑しつつガイはその赤い髪を軽く掻き回した。『育ての親とその子』と言われれば、確かにそう見えなくもない。
 そんな2人を微笑ましく見ていたイオンだったが、ほんの少し表情を引き締めるとアニスに向き直った。

「それよりアニス、親書は大丈夫ですか?」
「あ、はあいイオン様。ここにがっちりしっかり持ってまーす」

 懐から白い筒を出してみせるアニス。それを見て、イオンの表情はいつものふわりとした淡い笑顔に戻った。
 マルクト皇帝ピオニーから差し出され、キムラスカ国王インゴベルト6世へ渡されるべき、和平提案の親書。
 最重要であるそれを、アニスは身をもって守り通したのだ。そんな苦労はおくびにも見せず。

「ありがとうございます、アニス。無理をさせてしまって済みませんでした」
「あ、いえいえ〜。ほら、私イオン様のためなら例え火の中水の中ですから」

 少しばかりしょげてしまったイオンに、ガッツポーズをしてみせるアニス。彼女の言い回しに、足元からみゅうと可愛らしい声がした。チーグルの仔が、不思議そうにアニスを見上げている。

「みゅみゅ? アニスさん、火の中熱くないですの?」
「物の例えだろ。黙ってろブタザル」
「ルーク、そういう言い方はないと思うわ」

 子どもならではの疑問に、呆れたようにルークが爪先でミュウを突く。それを可愛い物好きらしい、とミュウに対する態度で分かってきたティアが早速庇いに入った。「んだコラ、ブタザルはブタザルじゃねーかよ」「この子にはミュウって名前があるでしょう!」と口論が始まってしまった2人を横目に見ながら、ガイはアニスに向き直った。

「タルタロスから落ちたんだって? 大丈夫だったか?」
「はぁい、何とか。アニスちゃんとっても怖かったです〜」

 ルークの使用人、ということもあってかガイにも微妙に媚びるアニスの横で、にっこりと無邪気に笑いながらイオンが言葉を続ける。

「ですよね。何しろ落ち際に『やろーてめーぶっころーす!』って悲鳴あげてましたもん」
「……」

 妙にアニスの物真似が怖い、と思ったのはガイだけだろうか。あはは、と顔を引きつらせる当のアニスから視線を引っぺがし、ガイはぼそりと呟いた。

「それは捨て台詞と言わないか?」


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