紅瞳の秘預言06 創傷

 地面に座り込んだままのジェイドのところへ、ティアが歩み寄ってきた。足音に気づき振り仰ぐと、普段のどこか硬直した表情とは違うふわりとした笑顔が見える。

「大丈夫ですか? 大佐」
「はは、参りましたねえ。年甲斐もなく頑張ったものですから、腰が」

 よいしょ、とわざとらしく声を出しながら立ち上がるジェイド。腰が、などと言う割にはその立ち姿はすっきりと整っていて、身長も高いためか男のルークでも一瞬見惚れた。次の瞬間それに気づき、ルークは慌てて視線を逸らしながら軽く文句を吐いた。

「お、おっさん臭い台詞吐くなよなー」
「いえいえ、ご存じの通り私はおっさんですし」

 この言動が問題なんだよなー、と心の中で溜息をつきながらルークはジェイドに向き直った。首をかしげるジェイドと彼のそばに寄ってきたガイに、頬をこりこりと指先で掻きながらルークはぼそぼそと、言った。

「……えと、あー。その、ガイ、ジェイド。悪かったな」
「お?」

 眼を丸くしたガイに対し、ジェイドはくすりと笑みを浮かべる。ぽんと頭に手を置いて、真っ赤になっているルークの顔を覗き込んだ。

「台詞が違いますよ、ルーク。助けて貰ったらありがとう、じゃないですか?」

 えー、と反射的に叫びそうになって、ガイは大慌てで自分の口を塞いだ。
 何しろこの青い軍服を纏った優男は、キムラスカにすらその名を知られた『死霊使い』である。
 確かにルークに対しては少々甘いところを見せてはいるが、かつて戦場においてはその譜術で屍の山を築いた人物で。
 『死霊使い』の二つ名は、戦場で屍を漁っていたという噂話が元になっている。それが高じて、彼の指揮する第三師団は死体の軍とも噂されていたほどである。もっともこれは、実際に会ってみればそんなことはなかったが。
 そうして今は、封印術により譜術のほとんどと身体能力の大部分を封じられている身だけれどそれはつまり、そうでもしなければ手に負えない恐るべき相手、というわけで。

「………………あ、ありがと」
「良く出来ました。さあ、行きましょうか」

 それなのに。
 口ごもりながらも自分の言葉を復唱したルークの頭を優しく撫でて笑うジェイドは、どこからどう見ても。

「……いつの間に死霊使いがお父さんになったんだ?」

 ぽん、とルークの背中を押すジェイド。ルークの育て親を自認するガイとしてはそのジェイドに言いたいことは山ほどあったが、とりあえずはその一点を口にしてみた。聞こえるか聞こえないか、というほど小さな声で呟いたはずだったのに、肩越しにこちらを振り返った赤い瞳と視線が合う。

「ははは。私だって子どもにほだされることくらいありますよ」
「誰が子どもだよっ!」

 明るいジェイドの答えに、ルークがくるりと振り向いて噛みついてきた。
 即座に反応するところが子どもだろう、とルークとミュウを除く全員がそう思う。その中でも、声に出して答えたのはアニス。

「即効でムキになるところが子どもなんだ、ってアニスちゃん思うんですけど」
「……」

 反論出来ずに、ルークは黙り込んでしまう。口を尖らせながらそれでも不満の表情を浮かべるルークに、苦笑しつつガイが肩を組んできた。にっと笑ってみせるその表情が見慣れたガイのもので、ルークはほっと息をついた。が。
 ほんの僅か間があって、ガイはどこか真面目くさった表情でルークを覗き込んできた。

「ってーかルーク、お前なんか素直になった?」
「誰がだ!」

 素早く噛みついてくるところはやはり子どもだなあ、とガイは思う。ただ、確かにファブレ公爵邸で別れる前よりはずっと素直になっていることも事実だ。子どもだから、成長も早いのだろうか。

「いや、だって旦那の言うこと素直に聞いたし。前のお前だとさ、あそこで言う台詞はうぜーうるせーほっとけ、だろ」
「聞かなかったら何か怖ぇんだよジェイドは! 何でニコニコ笑ってるだけなのにああも背筋が寒くなるんだか!」

 碧の目が僅かに潤むのが分かる。両手をばたばたさせながら何とか自分の思うところをガイに伝えようとしているルークの耳に、大変爽やかな……ただし聞きようによっては底冷えのする声が流れ込んできた。

「おやおや、心外ですねえ。私は心からルークの成長を望んでいるんですよ?」
「本当か? お前、俺からかって遊んでるだけじゃねえだろうなー!」
「ああ、それもいいですねえ。未来のキムラスカ国王を今のうちにからかって遊んでおくのも、いい老後の思い出になりそうです」

 半泣きになって喚くルークを涼しげに受け流し、のほほんと笑ってみせるジェイド。最後の言葉を耳にしてアニスとティア、それにイオンは同時に「うーん」と首をかしげた。
 ジェイドは現在35歳。老後と言うからには60歳とか70歳とか、そのくらいの年齢。
 現在のジェイドにその差分である年数を重ねようとして、彼らは揃いも揃って撃沈した。

「お手上げ〜。大佐の老後って、アニスちゃん想像出来ませーん」
「そうね……何だか30年経っても50年経ってもほとんどそのまま、って気がするわ」
「どうしてなんでしょう、僕もそう思いますよ。ジェイド、失礼ながら貴方は年を取るんですか?」
「みゅみゅみゅ? ジェイドさん、これからおっきくならないですの?」

 3人プラスルーク・ガイの興味津々の視線と、ミュウの無邪気な視線を一身に浴びながら、ジェイドは眼鏡の位置を直した。向き直った彼の表情はどこかあきれ顔で、軽く肩をすくめている。

「……あなた方は私を何だと思っているのですか。これでも一応、人間のつもりなんですがねえ」
「自分で『一応』とか言ってるあたり、変だって自覚はあるんじゃねーの?」

 そう言い返しながらルークは、ふと耳の奥に取り残されたミュウの言葉を思い出していた。


 タルタロスの中で、ラルゴの刃に囚われた自分。肩口にしっかりとしがみついていたミュウは、ふと何を思ったのか囁いてきた。

 ──ご主人様、安心してくださいですの。ジェイドさんにお任せすれば、きっと大丈夫ですの。
 ──ジェイドさんはご主人様大好きですの。絶対守ってくれるですの。

 そんな馬鹿な、とルークは思う。
 だってあいつは嫌みったらしい薄笑いをいつも浮かべていて、冗談にならない冗談を吐く、いけ好かないマルクト軍人だ。
 自分を守ってくれてるのだって、キムラスカに入るのに、俺の身分が便利だから。

 ──守ると誓ったんです。

 でも、じゃあ丸腰のままですらラルゴを威圧した、あの言葉は。

 ──ですから、今教えました。

 知らない、と言った俺に優しく言ってくれた、あの言葉は。

 なんで?


 街道から少し外れた脇道を歩いているうちに、ふとガイが口をつぐんだ。先頭に立つジェイドと視線を絡ませると、互いに小さく頷き合う。ほどなく、ティアがルークの傍に近づいてきた。

「ん? ティア、どした?」
「囲まれてるわ」

 げ、と声を上げかけたルークの口に人差し指を押し付け、黙らせる。その間にガイは周囲の気配を探り、素早く潜んでいるであろう敵兵の数を割り出した。

「ああ。……4、いや5」
「5ですね。出てきなさい、いるのは分かっています」

 冷たい声が響く。と、木々の間からばらばらと白い鎧が出てきてルークたちの周りを取り囲んだ。ガイが読んだ通り、その姿は5つ。

「ルーク、イオン様と一緒にあの木に身を寄せていなさい。背中を幹に当てて」

 低い声でジェイドが指示する。自分たちの立っているすぐ傍に生えているどっしりした木に、ルークはイオンを抱え込んで言われた通りに背中を当てた。ミュウは足元にちょこんと寄り添った。これで少なくとも、背後を心配する必要はなくなる。

「アニース」
「お任せあれですよう。それっ」

 続けてジェイドに名を呼ばれた少女が、背中に背負っていた人形……トクナガを地面へと下ろす。次の瞬間どういった仕掛けなのか、ただの人形と見えたそれはぐんと巨大化した。その後頭部に、アニス自身がしがみつくように飛び乗る。
 ルークには仕組みは分からなかったけれど、ガイは一目で見破ったようだ。青い眼をきらきらと輝かせる。

「!? ふ、譜業人形かよ? すげー」
「あとで見せてあげるからね〜先にあっちよろしくっ」

 ルークたちを守る位置に移動しながらアニスとトクナガが同時に指差した先には、人形の巨大化に一瞬我を忘れた兵士たちがいる。おう、と答えつつガイは剣を構えた。
 ジェイドも槍を実体化させ、構えた。少し後方に立つティアに、ちらりとだけ視線を送る。

「ティア、援護をお願いします」
「分かりました」

 しっかりと頷いてティアは音素を高め始める。満足げに笑みを浮かべ、ジェイドは穂先を敵……神託の盾兵士へと向けた。

「行きますよ」


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