紅瞳の秘預言06 創傷

 ルークはイオンの身体にぎゅっとしがみつきながら、ジェイドたちの戦闘を見つめていた。アニスが2人の直衛についているため、実質的には3対5の戦闘となる。が、ティアのサポートを受けたジェイドとガイの動きは流れるようで、着々と敵はその足元に倒れ伏していく。
 ふと、腕の中のイオンがルークの顔を見上げた。自分に触れているルークの手が小刻みに震えているのを感じたからだろう……その手に、イオンの柔らかい手が重ねられる。

「ルーク、大丈夫です。皆を信じましょう」
「そうですの。ボクもいるですの、だから大丈夫ですの」

 足元から、ミュウもじっとルークを見上げてくる。彼らの大きな瞳に心細さは微塵もなく……ルークは、恥ずかしくなって眼を伏せた。

「……イオンも、ミュウも、強ぇな」
「みゅ?」
「そんなことありません。僕は見ていることしか出来ないから」

 ぽつんと呟かれた言葉を不思議そうに受け止めるミュウと、首を小さく振って否定するイオン。それでも、ルークは言葉を、続けようとした。

「でもよ……っ!」
「ち、まだいたなあっ!」

 ルークの反応とほぼ同時に、トクナガが鋭い爪を生やした腕を振り下ろす。ぎゃん、と獣の悲鳴のような声を上げて地面に叩きつけられたのは、どこから湧いてきたのかはともかくとして白い鎧を纏った兵士だった。後ろから出てくる数を合計すると……5人。ここでの戦闘を聞きつけてやってきた、最初の連中とは別の班だろう。

「伏兵かよっ!」
「みゅううううう!?」

 即座にルークの足がミュウを蹴り飛ばす。ぽーんと勢いよく飛び上がった青いチーグルの身体はぼすん、とルークから距離が離れた。そのままイオンを抱え、前方に身を投げ出す。次の瞬間、たった今ルークの頭があった位置へと剣が叩きつけられた。

「! ルーク!」

 先に現れていた5人を全員倒し、ジェイドとガイが駆け寄ってくる。ガイの姿を視界の中に確認したルークは、無理矢理身体を起こすとそちらにイオンを押し出した。

「わっ!」

 バランスを取れずに倒れ込んでくるイオンを受け止めて、ガイが尻餅をつく。その間にトクナガはアニスの指示を受け、もう1人をその巨体の下敷きにしていた。続けざまに、斬りかかってきた別の1人を木の幹ごとへし折る。

「炸裂する力よ! エナジーブラスト!」

 ジェイドの凛とした詠唱が響き、小爆発と共に鎧がひとつ吹き飛んだ。これで4人。
 が、もう1人。

「──!」

 ルークを狙い、大上段から勢い良く剣が振り下ろされる。自らの腰に下げた剣を抜いて構えるよりも刃の到達が早い、そう瞬時に判断出来てしまったルークは、思わず眼を閉じた。


 ぎぃんという金属音の後に、ぞぶりと肉を斬る音がした。
 身体に痛みはない。
 そっと眼を開けると、くすんだ金髪と青い軍服が、眼に飛び込んできた。

「ジェイ、ド?」

 続けて、その左の肩に食い込んだ刃と、流れ出る血の赤。

「……くっ……」

 詠唱が終わった瞬間走り出し、すんでの所でルークと兵士の間に割り込んだジェイドが、重量と勢いに任せて振り下ろされる剣を槍の柄で受け止めたのだ。
 だが、彼にも計算違いが生じることはある。今回は、それが起きてしまった。
 そもそも神託の盾が使用する剣が、鎧の上から敵を叩き斬るために作られたものであること。
 振り下ろされる剣が、その重量と速度により半ば鈍器と化すこと。
 封印術により体力が低下したことで、例え槍を併用したとはいえジェイド自身がその鈍器を受け止めきれなくなっていたこと。
 結果、ジェイドは左肩を犠牲にして刃を食い止めざるを得なかった。
 ルークを守るために。

「つぁああああっ!」

 それでも、無理矢理剣を押し返す。弾かれた勢いでよろけた兵士の喉元を、ジェイドの槍は的確に貫いた。
 勢い余って仰け反り、どさりと倒れる兵士。
 それと相前後して、ルークの身体に掛かってきた重量は、男性のものにしては軽くて。

「……なん、で」
「ルーク! 旦那!」
「た、大佐ぁ!?」

 ガイと、トクナガを元の大きさに戻したアニスが駆け寄ってきても、ルークは呆然とそこに座り込んでいた。
 そのルークの胸にぐったりともたれ、白いコートを赤く染めて、ジェイドが荒い息を吐いている。
 頬に生暖かさを感じて、ルークは自分の手でそれをそっと拭った。
 グローブについた色は、その正体が血であることをはっきりと示している。恐らくは、ジェイドの。

「なんで?」
「ご主人様! ご主人様、しっかりですの! ジェイドさん、怪我してるですの!」

 膝を何度もミュウの小さな手で叩かれて、それでもルークは気づかない。ガイは一度拳をぐっと握ると、ルークの頬をひっぱたいた。ぱん、という破裂音にも近い音と痛みが、やっとルークを現実に引き戻した。

「……あ、ガイ」
「あ、じゃないだろルーク! ほら、旦那の手当てしないと拙いって」

 手早く布を取り出して、肩の傷に当てる。薄い色だったそれは、あっという間にルークの髪より濃い赤の色に染まった。

「傷を見せてください!」

 駆け寄ってきたイオンが、そっとその傷に手を当てた。小さく言葉を紡ぎながらかざされた手が淡く光り、裂けた肉の修復を始める。

「イオン様、後は私が……きゃっ!」

 治療行為を始めたイオンに驚き、慌てて駆け寄ろうとしたティアが悲鳴を上げた。イオンがそちらに視線を向けると、地面の一部が割れて紫色のガスのような物が噴出しているのが分かる。

「な、何なんだよ、一体っ」
「障気、ですよ」

 ジェイドを抱えたままおろおろと狼狽えていたルークは、自分の腕の中から不意に声がしたのに驚いた。慌てて見下ろすと、視線こそこちらに向けていないもののジェイドは自分の口元を手で押さえ、己の呼吸をゆっくり、ゆっくりと調整している。

「毒、ですから……あまり、吸わないよう、気をつけて……」
「あ、ああ」

 途切れ途切れながらの忠告に、慌ててルークも口を押さえる。イオンがこほこほと咳き込み始め、治療を中断せざるを得なくなってしまったせいでまた、傷から血がつうっと流れ出した。
 ルークたちを取り囲むように、あちこちの地面にヒビが入る。そこから際限なく湧き出る障気に視線を配り、ティアは一度眼を閉じるとすくっと立ち上がった。一度息を深く吸い、そうして形の良い唇で歌を奏で始める。

「……譜歌? 何で、こんな時に」

 眉をひそめつつ、ガイはティアを見つめている。が、その旋律をじっと聴いていたイオンが僅かに顔色を変えた。

「いえ。これは……ユリアの譜歌……?」

 歌うティアを中心に、柔らかな淡い光が広がる。その光に押されるように、毒々しい色の障気がさあっと薄れ、やがて周囲は元の風景を取り戻した。

「障気の持つ固定振動数と同じ振動を与えて、相殺したの。あまり長くは保たないから、今のうちに」

 ふうと小さく溜息をつき、ティアが説明してくれた。一番早く動いたのはガイで、すぐにジェイドの右腕を自分の肩に回す。

「わ、分かった。旦那、傷の手当ては移動してからな」
「……済みません」
「ほらルーク、大丈夫? 急いで」

 重心がルーク側からガイ側に移り、自分の中の重みを失ったことでようやくルークも意識を引き戻す。イオンは少し疲労したのかアニスに支えられながら立ち上がり、ルークもまたティアに手を引かれて立ち上がった。

「ルーク、そっち支えてくれ」
「あ、ああ」

 ガイに言われ、左側に寄り添ってジェイドの身体を支える。足元を確認しようとして、ジェイドが相討ちに近い形で倒した神託の盾兵の死体が眼に入った。
 眼を背けようとしても、出来ない。
 ジェイドが庇ってくれなければ、今頃ああやって転がっていたのは自分だったのだ。

「……ルーク?」

 かすれた声で名を呼ばれて「何でもない」と首を振った。男にしてはほっそりとしていて軽いその身体を支えて歩き出しながら、ルークはミュウの言葉を思い出していた。

 ──ジェイドさんはご主人様大好きですの。絶対守ってくれるですの。

 馬鹿野郎。
 こんな守られ方されても、俺は嬉しくねえんだよ。


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