紅瞳の秘預言07 決意

 結局のところ、その日はあまり長い距離を移動することはなく早々に野営を構えることとなった。

「封印術食らってるとはいえ、旦那は戦闘するときの要だからな。本調子に戻らないうちにまた神託の盾とぶつかったらコトだ、休んで少しでも回復して貰った方がいい」

 そう主張したのはガイで、他の面々もその意見には揃って頷いた。ジェイド自身は「足を止めてしまって済みません」と苦笑するに留め、そのジェイドに守られたルークはどこかぼんやりとした表情のまま皆の意見に曖昧に頷く。
 夕食の準備をするために仲間たちは散らばった。焚き火と荷物の番を任されたルークの隣に、休むことをミュウも含めたルーク以外の全員から厳しく命じられたジェイドは横たわっている。見慣れた青い軍服はルークの白いコート共々手早く洗われ、その後アニスが補修するということで持っていってしまった。なのでジェイドは治療中に繕われていた黒のインナー姿に、ルークもコートの下に着ている半袖のTシャツ姿になっている。ジェイドの後頭部の下には、アニスが軍服と交換で置いていった枕代わりのトクナガが敷かれていた。

「……痛むか?」

 ジェイドが自分を見ていることに気づきながらそちらを向かず、ルークはぼそりと尋ねた。自分の感情をどう表して良いか分からず、少年の口調は自然とぶっきらぼうになる。それをジェイドも分かっているのか、くすりと笑うと穏やかな口調で答えた。

「このくらいでしたら大丈夫です。貴方は怪我はありませんか?」
「ああ。俺は、あんたが護ってくれたから」
「それは良かった」

 振り向いた途端柔らかな表情のジェイドと眼が合って、慌てて視線を逸らす。
 何だって庇われた俺の方が心配されなきゃならないんだ。
 大体、何でこうこいつは平気で自分を盾に出来るんだ? 軍人だからか?
 ルークの中で、そんな疑問がわき起こる。
 ……自分が当たり前のように、ミュウやイオンを守るための盾になっていたことには、気づかずに。

 そういえば。

 ジェイドは『死霊使い』と呼ばれ、マルクトのみならずキムラスカでも知られた存在らしい。軍人でもないガイが知っているのだから、相当な有名人なのであろう。
 けれど、そこまでたどり着くには長い年月の間にそれなりにいろいろあったはずで。
 その最初が何だったのか、ルークは何となく知りたくなった。

「……なあ。何であんた、軍人になったんだ?」

 だから、その疑問はごく自然に少年の口を滑り出た。

「何故、ですか」

 問われて、ジェイドは僅かに考え込む表情になる。前髪を軽く掻き上げてから、少しだけ顔をルークの方に傾けた。

「まあ、いろいろとメリットがあったから、ですかね」
「メリット?」

 きょとんと目を丸くするルークに頷いて、ジェイドは言葉を続けた。

「私は元々研究畑の人間なんです。軍に入って出世すればかなり好きに出来ますからね」
「そういうもんなのかな」
「資金面でも民間より優遇されますし、民間の研究所ではまず手の届かない軍事機密にも触れられます。それに、──罪人や死体など、実験材料にも事欠かない」

 最後の一言は、ことさら低い声で紡がれた。
 軍に入った経緯を、ジェイドはルークに細かく語るつもりはないようだ。ほんの少し、裏の部分をかいま見せることでルークの興味をそぐように誘導している……が、ルークにはそんなことは分かるはずもない。単純に、並べられた言葉に対し嫌悪感を抱いて目を逸らすだけだ。

「……わ、分かんねえ。そんなのっ」
「分からなくていいんです。軍の研究なんて、しょせんは如何に効率よく人を殺すか、ですから」
「……」

 どこまでも穏やかなジェイドの言葉は、それでいてどこか寒々しいものだ。

 フォミクリーの研究に資金が出たのも、敵兵を殺す兵士の量産への期待があったため。
 そして、レプリカの作成により超振動を起こす兵器の実用化への期待があったため。
 ジェイドはその意味を深く考えることもなく研究を続け、傷つき、幼馴染みに諭され……研究を放棄し、禁忌と為すに至った。

 ──その結果のひとつの形として生まれたルークは、そんなことは知らないけれど。

「まあ、そういう意味では軍人などという職業はないに越したことはないんでしょうねえ」

 苦笑しながらジェイドはその話を終わらせた。顔を背けてしまったルークの表情はジェイドからは伺うことが出来ないが、恐らくは眉をひそめて嫌な顔をしているのだろうと思う。

「ルーク」
「何だ?」

 改めて名を呼ぶと、少年は振り向いて顔を見せてくれた。焚き火の明かりに照らされたルークの顔は、どこか『記憶』の最後、エルドラントで別れた時の彼を思い出させてジェイドはきり、と歯を噛みしめる。
 一瞬の表情の変化は、ルークには悟られなかったようだ。そのことに内心ほっとしながら、ジェイドは逆にルークに問うた。

「人を殺すのは、怖いですか?」
「……ああ。怖い」

 予想通りの答えが返り、安堵するジェイド。目を閉じて満足げに微笑み、言葉を紡ぐ。

「それでいいんですよ。ティアも、アニスも、ガイも。みんなそう思っているはずです」

 みんな?
 ルークの声はかすれ、ジェイドにまでは届かない。

「心配しなくとも、バチカルまではきちんと護衛は務めます。無様な姿を晒してしまい情けない限りですが……どうか守られてください」

 普段と変わらぬ口調で、ジェイドの言葉は続く。ほんの一瞬だけ感情がこもったような気がしたが、ルークは意図的に気づかないふりをする。
 きっとまた、ジェイドが泣きそうな顔をしているのが分かったから。

「貴方はキムラスカの貴族で王族に連なる……いずれ王位に就くであろう存在です。ローレライ教団の導師であるイオン様共々、守られてしかるべきなんですよ」

 穏やかな言葉がルークの耳に流れ込んでくる。そうっと長い朱赤の髪に触れてくる手の感覚が、どこかおぼつかない。──傷を負った左の手だから、感覚が鈍っていて上手く動かせないのかもしれない。

「……なあ、ジェイド」
「何ですか?」

 ルークが名を呼ぶと、普段よりは柔らかな声で返事が返ってきた。と同時に、髪に触れていた指がすっと離れる。
 一瞬だけ背中に触れた指先は、何故か罪悪感を漂わせているようにルークには思えた。

「あんたは、人殺すの……怖く、ないのか?」

 ぽい、と火の中に枯れ枝をくべる。ぱちりと音がして、一瞬だけ炎が高く舞い上がった。

「……人を初めて手に掛けたとき、私は何とも思いませんでした」

 火の勢いが元に戻るのを待っていたかのように、ジェイドが答えた。その言葉に感情というものは何も感じ取れず、思わず振り返ったルークの目に映るジェイドの顔にも表情はない。目を閉じているから、真紅の瞳が揺らいでいるのかすらもルークには分からなかった。

「失いたくない相手ではありましたが、その理由は相手に愛情の類を抱いているものではなく、あくまでその存在が自分にとって必要だと考えたからです……恐らくね」

 淡々と言葉を紡ぐジェイド。ごくり、と息を飲み、ルークは言葉の先を待つ。

「私は、人の死に対して感情を持てないんです。誰かを殺しても、誰かが誰かの死に涙を流していても、その感情が分からない。……人が死んで悲しんでいるというのは分かるんですが、私は何も感じられないんですよ」
「……!」

 感情のこもらない言葉。まるで紙に書かれた文章を読み上げているかのような平坦な口調のその中に、ルークはジェイドの心情をかいま見たような気がした。

「心配しなくても、貴方は守ります。バチカルまで、無事に送り届けてみせますよ」

 薄い唇の端だけを上げて笑む横顔を見つめながら、ルークは心の中で叫んだ。

 嘘つくなよ。

 俺は、あんたと付き合い長くないけど。
 7年も家から出たことなんてなかったから、人との付き合いなんてほんとに少ないけど、でも分かる。
 人間が死ぬのを何とも思ってないなら、そんな泣きそうな顔して守るなんて言わねえよ。


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