紅瞳の秘預言07 決意
夕食は滞りなく済み、負傷したジェイドとその治療に体力を消耗したティアは早めに睡眠を取ることになった。幼いイオンとアニスもミュウを連れて休むことになり……ルークは、見張り番を引き受けたガイのところに歩いていった。本来はルークも休むはずだったのだが、どうしても目が冴えてしまっていたのだ。
ルークが声を掛ける前に、ガイは気配を感じたのか振り返った。自分の背後に歩み寄ってきたのがルークであることが分かっていたかのように、柔らかい笑みを向ける。
「どうした? ルーク」
「ん、ちょっとな」
岩に腰を掛けてちょいちょいと手招きをするガイの隣に、ルークは座った。そのまま夜空を見上げてぼんやりしている養い子に、育ての親はくすりと笑って肩をすくめる。
「何だ、お前らしくないぞ。旦那は無事だったんだから、心配するなって」
「うん……」
きゅ、と全身を抱え込むようにしながらルークが頷く。そうして、腕の中に顔を埋めた。泣きそうな顔を、ガイにだって見られたくはない。
ごしごしと顔を乱暴に擦ってから、視線をガイに向ける。ガイは先ほどのルークと同じように空を見ていて、だからルークは無様な自分の姿を見られなかったと思ってほっとした。
「外ってさ、こんな怖いところだったんだな」
ぽつんとルークが呟くと、ガイは「あー、まあそうだな」と髪をかりかり掻きながら答えた。それから座り直してルークに身体ごと向き直り、真剣な眼差しで見つめてくる。
「街の中はともかく、一歩外に出たらどこだってこんなもんだ。だから普通の人たちは辻馬車を使って移動したり、護衛として傭兵を雇ったりするんだ」
移動時間の短縮だけだとルークが思っていた辻馬車の存在意味、それをガイは指摘する。確かに移動速度が速ければ足の遅い魔物は振り切れるし、馬を囮にして自分たちが逃げることも出来る。馬車自体を防御壁に使うことだって可能だ。そうして、護衛の存在は言わずもがな。
「街の外での殺人は、私怨だって証明されない限り罪にはならない。魔物や盗賊なんかは殺せば報奨金が出たりするんだぜ」
何でもないことのようにガイは言うが、外に出たことのなかったルークにとっては驚くことばかり。……しばらくしてそれに気づいたガイは、気まずそうに口をつぐんだ。
「……ガイ、何人殺した?」
だから、ルークがガイの顔を覗き込むように尋ねてきたのには一瞬心臓がどきりと跳ねた。が、表情を歪めたのは一瞬だけ。
「さあな。さすがに旦那よりは少ないだろうけど」
比較対象を間違えたかと思いつつ、ガイは答える。相手は自分より10歳以上も年上の軍人なのだから、恐らく殺した数は桁の2つや3つも違うだろう。
だが、ガイにとっての間違いはルークにとっては話のきっかけになったらしい。そっか、と口の中で小さく呟いて、ルークは口を開いた。
「……ジェイド、さ」
「うん?」
「人が死んでも、感情湧かないって言ってたんだ。人が死んで悲しいってのは分かるけど、自分は何も感じないんだって」
「……そらまた」
そう聞かされて、ガイが心を揺らすことは無かった。
人を殺すことで国に報い、生きる糧を得る軍人。その中でも『死霊使い』の名を冠され自国敵国を問わず恐れられるほどの男が、人の死に何らかの感情を持つこと自体がおかしいのではないか、とガイは思う。例えそれが、親しい間柄の相手であっても。
「でもさ、俺がジェイドの話分かったときとかさ、あいつすげえ嬉しいって顔するんだ。それに俺のこと守るって言ってくれたとき、泣きそうな顔してた」
ガイの思考が読めるはずもなく、ルークは言葉を続けた。むしろそちらの内容の方に、ガイは驚かされる。
嬉しいって顔。
泣きそうな顔。
『死霊使い』が浮かべるには、似つかわしくない表情。
「何? 旦那、そんな顔出来んのかよ」
「うん。普段ああだからさ、余計に分かる」
ガイの疑問に、ルークはこくりと頷く。少年の言う『普段』に、ガイもそうか、と理解した。
普段、ジェイドは常時笑みを浮かべている。鈍感な相手には気づかれないだろうが、少しでも敏感な相手にはその笑顔が貼り付けたものであることがすぐ分かる。その証拠に、赤い瞳はまったく感情を湛えていない。
そのジェイドが、心底嬉しいと微笑んだり、泣きそうに瞳を揺らせるのだとルークは言う。
普段の無表情に近い笑みと比較すれば、確かにそれはまったく異なる表情だろう。
そんな顔を、何故ジェイドがルークに見せるのか。
「……それならほんとに、旦那はルークのこと守りたいし、話分かって貰えて嬉しいんだろうさ。理由なんて知ったこっちゃねえし、大体本人に自覚があるかどうか分からないけどな」
本当にそうであるか、ガイには分からない。けれどもし自分がジェイドの立場にあったなら、どういった心境でルークの言う表情を浮かべるのか、と思索した結果がそれだった。
赤い髪を軽く撫でてやると、動物が撫でられたときと同じようにルークは眼を細める。それでも僅かに眉をひそめ、子どもは呟いた。
「……大人ってよくわかんねー」
まるで自分を削ってるみたいだ、と吐き出された言葉が、闇の中にぽとりと落ちた。
「ルーク、俺も一応成人の儀は済ませてんだけどな」
「あー、ガイはいいんだ。付き合い長いし、分かるから」
にこっと笑うルークの髪をなおも撫でてやりながら、ガイは薄く眼を細めた。
旦那、何考えてんだかな。
そこかしこで眠っている仲間たちの眠りを乱さないよう、足音を忍ばせながらルークが焚き火の傍に戻ってくると、そこにはイオンがちょこんと座っていた。少年の姿を認めると、春の日差しのようにふわりと暖かな笑みを浮かべて出迎えてくれる。
「あ、ルーク」
「イオン? 何だ、まだ寝てなかったのか?」
「ええ。ジェイドの傷を見ていましたから」
にこにこ笑いながら答えるイオンに、ルークは眉をひそめた。確かイオンに、早く寝るように勧めたのは。
「ジェイド怒ったんじゃねえのか? 私よりイオン様のお身体の方が大事ですから早く寝てください、とか何とか」
「よく分かりましたね。見てたんですか?」
だから彼の人の口調を真似て問うてみれば予想通り。目を丸くして驚いているイオンの反応の方が、ルークには不思議に思えてならない。
何しろあの軍人は和平の使者であるイオンと、キムラスカへの繋ぎであるルークを守ると明言しているのだから。
「……何だ、そのまんまかよ」
「あはは。でも先に休ませて貰ってましたからね。大丈夫です」
目が冴えちゃいました、と屈託無く笑うイオンは、導師などという肩書きを外したただの少年にしか見えない。もっともルークには、『ただの少年』に会う機会というのがほとんどなかったのだけれど。
イオンの隣に腰を下ろし、枯れ枝をぽきぽきと折る。小さくなりかけた炎の中に放り込み、少しだけ大きくしながらルークは口を開いた。
「……襲ってきたの、神託の盾騎士団だったな」
「ええ」
一瞬にしてイオンの顔から笑みが消える。それを少し寂しく思いながら、ルークは疑問を尋ねてみることにする。他に誰も聞いていない、こんな時でないときっとこの少年の本音は聞けないから。
「イオンは、神託の盾が人殺しとかするの、どう思ってるんだ? ローレライ教団ってのはそもそも、そういう集団じゃねえだろ」
ローレライ教団は、預言を詠みオールドラントの人々を導くための集団である。そして、神託の盾騎士団はダアトと教団を守るための武装集団だ、と言う話はルークもぼんやりと覚えている。ガイと、ヴァンが聞かせてくれた話だ。
ヴァンが神託の盾騎士団の主席総長である、ということは話に聞いて知っていた。アルバート流剣術の達人であり、ルークにとっては剣の師匠でもある彼がローレライ教団に所属している、ということの意味を、これまでルークは深く考えたことが無かった。せいぜい、何か危ないことがあったときのための用心だろうと。
だが、実際に敵として出会った神託の盾はどこからどう見ても立派な軍隊であり、その装備は完全に敵を屠るためのそれ。外に出た経験のないルークでも、ファブレ公爵邸を警護している白光騎士団の装備は見慣れているからそのくらい、分かる。彼らはファブレ家の者を、敵を殺戮してでも守るための装備をしているのだ。
「そうですね……でも、仕方がないんです」
緑の髪の少年は、小さく溜息をついた。軽く左右に振られた首は、現実の重さをかいま見せる。
「今のローレライ教団は、人を生かすための宗教では無くなってきています。そのうち、貴方にも分かっていただけると思うのですが」
じっとルークを見つめるイオンのまっすぐな瞳に、ちらちらと炎が映り込む。それを綺麗だな、と一瞬だけ思ってしまってからルークは、はっと顔を背けた。
相手は男だ、男、と自分に言い聞かせる。そして、ふと思い出す、人。
「……そ、そっか。ええと……ヴァン師匠も、そうなのかな」
ヴァン・グランツ。
今のルークにとって、ガイの次に『世界』を教えてくれた人。
その人も、『人を生かすための宗教ではない』ローレライ教団の一員として、人を殺すのだろうか。
「ヴァンですか? どうなんでしょうね……正直、僕にはよく分かりません」
その疑問をぶつけられた当人は、しばらく考え込んでから答えた。えー、と顔をしかめるルークの表情がとても幼く思えて、イオンは肩をすくめる。
僕より年下な訳はない。だって、僕はまだ。
「お前の部下なのにか?」
そうルークに尋ねられ、イオンは導師の顔を作る。そうして、少しだけ本音を吐き出すことにした。
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