紅瞳の秘預言07 決意
「僕は導師とは言っても、お飾りのようなものなんです。権力はないも同然、外の世界をほとんど知らずに育ってきました。その点では僕は、貴方と近いと思います」
「お前も閉じこめられてたのか?」
記憶のある7年のほぼ全てを屋敷の中だけで生きてきたルークは、表情を暗くしてうつむいた。イオンは軽く微笑んで、首を横に振る。
「僕はまだ恵まれているんでしょうね。ダアトの街中を歩いたこともありますし、儀式などで外に出る機会もありましたから」
ダアトに住まう民の、自分へ向けられた暖かな目を覚えている。預言を求める民の、切実な表情を覚えている。
それだけでもイオンは、民と接する機会をまったく持たされなかったルークよりは恵まれているのだと、──罪悪感を覚えた。
「へえ。それじゃあ、イオンは俺よりずっと世界を知ってるんだな」
「え?」
だから、ルークの感心したような台詞に一瞬、我を忘れた。
「だってそうだろ? 俺は家ん中で自分が何すりゃ良いのかも分からなかったのに、イオンはちょっとでも外に出ていろんなこと知ってるんだから。それで、自分が何したいかも分かってるんだろ?」
「……まあ、それは」
軟禁されていた自分を嘆くことなく、僅かなりとも外出の機会があったイオンに喜ぶ。
ルークは純粋にイオンが凄いのだ、と感じている。そう、イオンは理解した。
あまりにも純粋で、優しくて、それ故にこの焔は脆いのだ、と。
「……俺は、どうすりゃいいのかな」
そうぼそっと呟いたルークに、イオンが言うべき言葉はもう決まっていた。自分が出来たのだから、彼にも出来るはずだという期待を込めて。
「ルークも、ルークのしたいようにすればいいんじゃないでしょうか?」
「へ? いや、そんな簡単に言うか」
ぱちくりと目をしばたたかせるルークに、イオンは「簡単ですよ」と頷いてみせる。
そう、やってみれば意外と簡単なことなのだから。
「だって、結局はそうなんですから。僕がジェイドと一緒にキムラスカに向かっているのは、僕がそうしたいと思ったからなんです。モースにはやめろと言われましたけど、僕は戦争を止めたかったから。だからアニスに頼んで、ジェイドの力を借りて、こっそりダアトを抜け出したんです。1人じゃ無理だったかも知れないけれど、僕には協力してくれる人がいたから」
塔の外壁を、垂らされたロープを使って必死に降りた。そのままジェイドが待っている小船に飛び乗り、海へと走り出す。
追いかけてきた神託の盾をアニスが追い払い、それでも包囲されたところを自分がダアト式譜術を使って脱出した。
第三師団の所有する船に収容された直後、第七音素がバチカルからタタル渓谷へと強烈に流れ込んで。
そうしてイオンは、ルークに出会った。今目の前で自分の碧の瞳を丸くしている、朱赤の髪の少年に。
大事なのは、最初の一歩。
「イオン……」
貼り付けたような笑みではなく、心の底からの笑みをイオンはルークに贈る。自分が出来たことなら、きっとルークにも出来る……その最初の一歩を踏み出して貰うために。
「モース配下の六神将が僕を追っているのは、そういう理由なんです。言うことを聞かない、お飾りの導師を取り返すために。でも僕は、自分の意思でキムラスカに行きます。民は戦争を望んでなんかいないから」
「……やっぱ、イオンは強いな」
果たしてその思いは届いたのかどうか。ルークはイオンの言葉を最後まで聞き終えて、そう呟いた。
「そうでしょうか?」
「ああ、強ぇよ」
不思議そうに聞いてくるイオンに頷き、じっと炎を見つめるルーク。口の中でもう一度、イオンには聞こえないように言葉を紡ぐ。
俺は、どうすりゃいいのかな。
「ルーク。ルーク、んもう、いい加減に起きなさい」
ゆさゆさ、と何度も身体を揺さぶられてルークの意識が浮上する。眩しい日の光に瞼を押し上げると、目に入ったのは栗色の髪と空色の瞳。
「おはよう。……といっても、だいぶ日は昇ってしまってるけど」
ルークが目を覚ましたのを確認して、ティアはふわりと笑った。だがそれは一瞬の表情で、慌てて顔を引き締めながらそっぽを向く。
「……あー、おう」
むくりとルークが身体を起こすと、そこには既に彼以外の全員が朝食も済ませた様子で揃っていた。
「ご主人様、おはようございますですのー!」
ちょこちょこと足元へと走ってきたミュウ。
「おはよう、ルーク」
残しておいたルークの分の朝食を手渡してくれるのはガイ。
「おはようございますルーク様ぁ」
水をコップに入れて差し出してきたのはアニス。
「おはようございます、ルーク」
イオンは昨夜と同じようにちょこんと座っていて。
「おはようございます。お寝坊さん」
穏やかに、ジェイドが笑っていた。
「ジェイド!」
その姿に、ルークの眠気はすっかり覚めた。丁寧に繕われた軍服に包まれた身体は、外から見る限りは昨日の傷がすっかり消えてしまっている。無論負傷したのは左の肩なのだから、服をきちんと着込んでしまえば見えなくなるのだが。
「あんた、もう傷大丈夫なのかよ!」
「はい、もうすっかり。ご心配をおかけしました」
身を乗り出しかけるルークに笑みを浮かべたまま頷き、ジェイドは食事を摂るよう右手を差し伸べて促した。「お、おう。いただきます」と食事をぱくつきながら、ルークは注意深くジェイドの様子を観察する。
少なくとも今のジェイドは、どこかに異常があるようには思えない。イオンやアニスと会話している様子も以前と変わりないように、ルークには見えた。ただ、ほとんど左手を動かさないのだけが少し気にはなったけれど。
左手。
ジェイドがルークを庇って斬られたのは、左の肩。
本当はまだ、痛むのかも知れない。
「ごちそうさまでした。……あ、あのさ」
ごくん、と最後の一口を飲み込んで一息つくと、ルークは思いきって顔を上げた。本当は昨夜イオンと話をしたときには決めていたのかも知れない、自分の決意を口にするために。
「ん? どした、ルーク」
一番に気づいたガイが、名を呼んでくれる。その声に他の者たちも、次々にルークへと視線を集めた。
ルークはぐっと膝の上で拳を握りしめ、口を開く。水を飲んだばかりなのに、喉がからからに乾いている。
「……つ、次から、俺も、戦う」
「え?」
一瞬、ルークの言葉の意味が分からなかったのか、間の抜けた声が聞こえた。さてこれは、誰の声だったのだろうか……それはともかく、全員がルークをじっと見つめている。代表して口を開いたのは、一番傍にいるティアだった。
「大丈夫なの? 人を殺すの、怖いんでしょう?」
「怖くねえ……なんつったら嘘になる。けど、戦わなくちゃ、自分の身も守れない。それなら、俺は戦う。もう、隠れてなんて……いられねえ」
自分の本心を、否定することは出来ない。だからルークはティアの言葉に素直に頷いて、それでもなお必死に言葉を続けた。
自身が戦わなかったせいで目の前に展開した光景が、脳裏に蘇る。
青い背中。くすんだ金髪。飛び散る血。
腕の中の軽い、熱を持った身体。早く浅い呼吸。
──転がった死体。
繕われた軍服を纏うジェイドが、ルークをじっと見つめている。笑みを消した真剣な眼差しがルークを射抜く。
それは、ルークの言葉を真正面から受け止めるという、その証だ。
「……人を殺すということは、その人の可能性を断ち切ることよ。例えそれが、自分の身を守るためであっても」
「恨みを買うことだってある」
感情を押し殺した声で、ティアが告げる。同調するように頷いて、ガイも言葉を紡ぐ。
「あなたは、それを受け止めることが出来るの? 逃げ出さないで、言い訳しないで、自分の責任として見つめることが出来る?」
ティアの冷たい言葉は、しかしルークの心をおもんばかっての言葉だ。人の生命を断つという行為はそれだけ重いのだと、少年に言い聞かせているのだから。
それを朧気ながらに感じつつ、ルークはしっかりと頷いた。
「決めたんだ。みんなに迷惑はかけられない。ちゃんと、責任を負う」
「──決めたんですね。やはり」
まだ感覚の鈍い左手の指を軽く動かしながら、ジェイドは己を呪った。
もうこの左腕は、今までのようには動かないだろう。ほんの僅か感覚と動作が鈍っているだけだが、その僅かの差が弱点となる。
敵の刃を受け止めきれず、斬られた時のように。
そうして、その傷がきっかけで、ルークは血に汚れる道を選んでしまった。
──私は、また貴方に傷を負わせる。ジェイド・カーティス、この愚か者め。
PREV BACK NEXT