紅瞳の秘預言08 疑問

 やがて、カイツールが見えてきた。砦が近づいてくるにつれ、ルークにも周囲の空気が張り詰めていることが感じられるようになってくる。
 砦の中に入ると、その感覚はかなり露骨なものになった。少年は顔をしかめ、居心地悪そうに身体を揺する。

「はー。何かぴりぴりしてんなあ」
「非武装地帯にはなってるけどな。……つーか、非武装化してるからこの程度で済んでんだろ」
「この近くに、豊富な資源を誇るアクゼリュス鉱山がありますからね。キムラスカ、マルクト、どちらにとっても重要拠点なんですよ」

 ガイの言葉を追いかけるように説明しながらジェイドは、己が口にした地名を苦々しく感じていた。
 アクゼリュス。預言に詠まれた、遠くない未来消え去る地。
 キムラスカはその鉱山にルークの生命を飲み込ませることで、戦争とその後の大繁栄を画策する。

 ──子どもを犠牲にしたその平和が、長く続かないとも知らずに。
 ──そもそも、飲み込ませようとする生命は預言に記された『聖なる焔の光』ではないとも知らずに。

「でも、昔は貴族の別荘地だったよな」

 ガイの声が、再びジェイドを現実に引き戻す。『記憶』を得てからついそちらに潜り込んでしまうことが多くなったジェイドにとって、誰かの声というものは自分と現実を繋ぐ絆、のように思える。
 気を取り直し、ジェイドは普段の笑顔を貼り付けると頷いた。

「ええ、海岸線が美しいという評判ですからね。ま、このあたりは国境地帯ということで戦時には最前線になりますから、危なくてとうに放棄されていますが」
「へー、そうなんだ?」
「休戦を機会に暫定的な非武装地帯を設定して、両軍が駐留するようになったんですよ。結局危険地域であることにかわりはありませんから、戻ってくる酔狂な貴族もいないでしょうが」
「戦争って、そういうところにも影響を与えているんですね」

 ガイとジェイド、さらにイオンも加わっての解説を、ルークだけでなくアニスやティアも興味津々に聞き入っている。が、ふとジェイドが足を止めたのに気づいて全員の動きが止まった。

「……いましたか」
「え?」

 小さな溜息と共に漏れた言葉を聞きとがめたのはガイ。その視線を辿って……青い眼が見開かれた。

「……え?」
「早かったな」

 視線の先にいたのは、黒衣を纏った青年。真紅の長い髪が、持ち主の動きに追いつこうと流れる。
 ルークと同じ顔を持つ六神将、『鮮血のアッシュ』。

「アッシュ!」

 ジェイドが青年の名を呼んだルークを庇うように手を差し伸べ、ティアはイオンを守ろうと杖を構えた。が、アニスとガイはぽかん、と突然現れた青年の顔を見つめて、動けない。この2人は以前に彼の顔を見たことがないのだから、当然と言えば当然だろうが。

「……ルークと、同じ顔?」
「うっそ。マジぃ?」
「貴方の方こそ。他のお仲間はご一緒じゃないんですか?」

 その中でも平然と、ジェイドが答える。右手を軽く閃かせ、槍を実体化させるそぶりを見せるとアッシュは眉をしかめた。剣を抜き、ジェイド……ではなく、彼に庇われているルークにその切っ先を向ける。

「あいつらと一緒にするな。俺はその屑を殺す」
「なっ……」

 タルタロスの中でも、アッシュはルークを屑と呼んだ。同じ顔の相手に屑と呼ばれ、殺されかけて気分が良いわけがない──だからルークは、ジェイドの腕を押しのけるようにして前へと踏み出す。

「何で俺を狙うんだよ! 人と同じ顔しやがって、気持ち悪い!」
「ほう、剣を抜けるのか。この腰抜けが、人間サマに向かってよ?」
「う、うるさいっ!」

 にやりと笑むアッシュの余裕のある表情が、ルークには腹立たしくてならない。左手を腰の後ろに滑らせ、剣の柄を掴んだ。

「ルーク!」

 イオンが名を呼ぶが、それも抑止力にはなり得ない。溜息をつきながらジェイドが譜術の詠唱を始めようとした、その時。


「やめろ、アッシュ」

 低く通る声が、響いた。声を追うように、男が1人姿を現す。
 ティアと酷似する色の髪はひとつにまとめられ、纏うはアッシュと良く似た……しかし、相反する白い色の衣。
 腰に下げられた剣を抜かずとも、その力を推し量ることは出来よう。

「ヴァン師匠っ!」

 ルークの、喜びの感情を乗せた呼びかけに、ヴァン・グランツは肩越しに微かに笑みを浮かべてみせた。

「ヴァン? 邪魔をするな」

 一方、苛ついたような口調のアッシュ。彼を見据えるヴァンの表情は、ルークたちからは見て取ることは出来ない。が、その背中がルークにとっては頼りがいのある、強く優しいものだ。

「私はお前に、このような命を下した覚えはない。命令だ、退け」
「……っ」

 ちっ、と小さく舌打ちをして、アッシュは身を翻した。あっという間に見えなくなる真紅の髪を追って駐留兵士たちがバラバラと走り去るが、あの速度では恐らく追いつくことはないだろう。
 自身の危機が去って安心したらしく、ルークはすっと剣を収めた。それから満面の笑みを浮かべ、振り返ったヴァンの元へ駆け寄っていく。ジェイドは追おうとして、やめた。
 やはり、一朝一夕にルークの信を得ることは出来ない。それは分かっていたことだ。
 故にジェイドは、一瞬だけヴァンを睨み付けるに留めた。『死霊使い』の、冷酷な瞳を以て。
 それにヴァンが気づいたかどうかなどは、ジェイドの思考の外にある。

「師匠っ!」

 ジェイドの気持ちを知ることなく、ルークはにっこり笑ってヴァンの前に立った。師匠も久しぶりに見た弟子の姿に、眼を細める。

「ルーク。よくぞ無事だったな。まだ腰が引けているようだが」
「ちぇ、いきなりそれかよー」

 ぷう、と頬を膨らませるルークの頭を、ヴァンは大きな手でぽんぽんと叩く。他の誰かにされたならば子ども扱いするな、とふて腐れるところであろうが、相手が信頼するヴァンであるためかルークは笑顔になる。疑似超振動による長距離移動の直前に顔を合わせていたからそれほど時間を空けた再会ではないのだが、様々な体験があったせいかどうしても懐かしいと少年には思えてしまう。
 だが、同じだけ時間を経ての再会でありながら、ティアにとってそれはまったく違うもので。

「……ヴァンっ」

 手にナイフを構え、実兄を睨み付けていた。だがその刃先はカタカタと小刻みに震え、ぐっと噛んだ唇は血の色を失っている。

「ティア。武器を収めなさい。お前は誤解をしているようだな」

 対してヴァンは剣に手すら掛けず、自然体のまま妹に相対していた。その目は敵を捉えるものではなく、血の繋がった相手を慈しむかのように細められている。その口調から、ジェイドはファブレ邸で自身を襲った賊の正体が実妹であることをヴァンは知っている、と判断した。
 だが、ティアの表情は変わらない。口を開くと、言葉は小さく震えながら紡ぎ出された。

「誤解ですって? ふざけないで」
「ティア、事情は知りませんがここは僕に免じて武器を収めてください。分かり合える機会をみすみす逃すことはありませんよ」
「イオン様!」

 ティアの、腹の底から吐き出されるような言葉はイオンの声に遮られた。彼を守るように駆け寄ったアニスと共に、ティアを止めようとヴァンとの間に立ちはだかる。
 敬愛する導師にそこまで動かれては、ティアも引かざるを得ない。
 ナイフを収め、一度目を閉じる。再び瞼を開いたときには、その表情は氷のように冷えていた。

「……イオン様のお心のままに」
「感謝します。導師イオン」

 ティアの感情のない言葉を聞いて、ヴァンはイオンに深く頭を下げる。ゆったりとした笑みを浮かべ、すっと身を翻す。

「この先の宿に部屋を取っています。落ち着いたら皆でおいでいただけるとありがたい」
「分かりました。後で伺います」

 時間を置くべきだと、イオンも思ったのだろう。ヴァンの提案に頷き、ティアにも視線を投げかける。それにティアは、小さく頷くことだけで返答とした。

「あ、せ、師匠!」

 そのまま去っていこうとしたヴァンの広い背中に、ルークは声を張り上げた。不思議そうに振り返ったヴァンに言葉が投げかけられる。

「あの、助けてくれてありがとう」

 ふ、と眼を細めたヴァンの表情が、一瞬だけ冷たくゴミを見下ろすような顔になったのを、ジェイドは見逃さなかった。


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