紅瞳の秘預言08 疑問

「……旦那」

 いつの間にか、ガイがジェイドの横に立っていた。特に殺気を放つものでも無かったためか、ジェイドの警戒心の対象から外れていたようだ。ちらりと赤い視線を向けると、ガイはことさら声を小さくして問いかけてくる。

「さっきのアッシュって、六神将の『鮮血のアッシュ』だろ。面識あんのか?」
「タルタロスを襲撃された時に会っていますよ。貴方が合流した頃にはもう撤退していたようですが」

 事実を隠すこともないだろうと判断して、ジェイドは素直に答えた。
 『記憶』の中でルークも含めたジェイド以外の仲間たちがアッシュの顔を認識したのは、ルークがアクゼリュスへの親善大使に任命された後……バチカルの廃工場跡を抜け出したその時だ。今頃はまだ、アッシュとルークが同じ顔だと知っていたのはジェイドだけ。
 この差異が吉と出るか凶と出るか、今のジェイドには分からない。

「ふうん。六神将なら、狙いはイオン様か? どうもそうは思えなかったんだが」
「そうですね。彼が言っていた通り、ここでの目的はルークだったと思います」

 ガイの観察力に感心しつつ、伝えられるだけの情報を伝える。今考えてみれば、アッシュは本当にルークを殺すためだけにカイツールに来ていたとするのが一番理に適う。何しろ、ヴァンも彼の行動は予測していなかったのだから。

 ──そういうふうに洗脳したのですから、責任くらいは取ってくださいよ。まったく。

 ジェイドが小さくついた溜息の意味合いをアッシュに関係することだと取ったのか、ガイは軽く周囲を見回しながらなおも口を開いた。それは、アッシュとルークを知っているならば誰でも疑問に思うこと。

「あの顔は一体どういうことなんだ? 声も良く似てたし」
「少し、時間をください」

 だが、ジェイドは首を横に振った。さら、と流れる長い髪がほんの一瞬、互いの表情を覆い隠す。
 眼鏡の位置を直してさらに表情を隠そうとしたジェイドだったが、ふと気がついて逆に眼鏡を外した。
 表情を隠す意味など何処にもない……逆に、必要のない疑惑を深める結果になる。

「ルークには非常に関係のある話です。が、まだ証拠が足りないんです。ルークにも、受け止められる覚悟は出来ていません」

 己の中の音素を調整しながらジェイドは、レンズ越しでない真紅の瞳でガイを見つめる。眼鏡を外したことで普段よりもさらに若く見えるジェイドの顔を吸い込まれるように見つめていたガイは、けれど彼の言葉にはっとして青い瞳を細めた。
 聞くために、覚悟が必要になるような内容の話。
 それがどの程度深刻な内容であるか、今のガイには分からない。だが、ジェイドがルークを気遣っているということだけは理解できた。

「証拠と、ルークの覚悟があれば、話してくれるんだな?」
「必ず」

 ガイの問いにしっかりと頷いて、ジェイドは眼鏡をかけ直した。すう、と何度か深く呼吸しつつ目を閉じて自身を落ち着かせ、思考を巡らせた。『記憶』の中で、自分たちの取った行動を辿っていく。そうしてひとつの場所を思い出し、ゆるりと瞼を開いた。

 ──やはり、コーラル城には行かねばならないようですね。

 前線に近すぎるが故に放棄された、ファブレの別荘であるコーラル城。
 あの城の地下には、『記憶』によればフォミクリーの装置が存在する。
 『記憶』の中のジェイドは、それを己の目で確認したにもかかわらず口を閉ざし、真実を隠蔽しようとした。

 ──逃げたところで、罪は消えないのに。

「旦那?」

 ガイの声が聞こえた。視線を巡らせると、訝しげに顔を歪めた金髪の青年がそこに立っている。

「何考えてんだ?」
「──ガイ」

 感情が出ないように彼の名を呼ぶ。どうしても低い、冷たい声になってしまうのはやむを得まい。

「何だ?」

 一瞬びくついたものの、ガイもまた低い声で答える。その声に薄く笑みを浮かべ、ジェイドは言葉を紡ぐ。

「過去は帰ってくるものではありません。未来を守りたくば、現在を疎かにしてはいけない。そう思いませんか?」
「は?」

 言葉の意味が分からず、ガイはジェイドを見つめた。

 教えてくれ、と子どもが声にならない声を上げていたのに、ジェイドはそれを無視した。
 自らの愚かな罪をひけらかされ、その結果を認めることを拒否した。
 数千の生命を手に掛けたルークを切り捨てようとしたのは、過去の自分を重ねてしまったから。
 捨てようとした過去に囚われたあまりに、かけがえのない子どもが1人、死んだ。
 『記憶』の中の愚かな己を見せつけられた以上、ジェイドには過去から逃げるという選択肢は残されていなかった。

「ルークは、私が守ります」

 与えられた選択肢は1つ、『立ち向かう』のみ。


 ヴァンが指定した宿の一室。そこでルークたちとヴァンは、互いの持つ情報を交換した。
 主にルーク側の情報を語ったのはジェイド。彼はそもそもの発端である導師イオンのダアト出奔を招いた当人であるため、そこから説明するには彼が適役だったのだ。
 そして、ヴァンはジェイドの説明を聞いて深く頷いた。うっすらと浮かべた笑みがどう言った意味を持つものか、ジェイドは詮索する気にもならない。

「ふむ、なるほど。事情は理解した」
「ありがとうございます、グランツ謡将。して、六神将の件ですが」

 互いに感情を浮かべない瞳が視線を交える。剛の者ですら震え上がる冷酷な真紅の瞳を、ヴァンは平然と真正面から受け止めた。一口茶を含み、飲み下してから疑問の形を取らない質問に答える。

「六神将は私の部下だが、大詠師派でもあるからな。大詠師モースから直接の命が下っていたのかもしれぬ」

 嘘をつけ、とジェイドは思う。確かにこの時点で、外部から見れば六神将は大詠師派と言えるだろう。だが、実態は。
 リグレットはヴァンに心酔する副官であり、ラルゴもまたその過去の経験からヴァンの思想に従う者。
 シンクは空である己を世界共々消し去るためにヴァンに使われている。
 アリエッタは失われた故郷を蘇らせるため、ディストは恩師を蘇らせるためヴァンに従っている。
 アッシュは──己の居場所を奪ったルークへの憎悪を植え付けられ、超振動を操るための道具としてヴァンに利用されている。
 六神将に含まれぬ今1人の師団長……カンタビレはモースとは仲が悪く、そのため現在は地方に飛ばされていると聞く。
 真の大詠師派……即ち預言遵守のために身を粉にして働く者など、誰1人として存在しない。
 哀れ、と言う他無かろう。

「なるほど。ヴァン謡将がダアトへ呼び戻されたのも、マルクト軍からイオン様を奪還しろってことだったのかもな」
「まあ、辻褄は合いますね。アッシュが動いていたことも、謡将はご存じなかったようですし」

 もっとも、本来ならばそんな内部事情を現時点でジェイドが知るはずがない。故に、内部事情などそもそも知らないガイの憶測に首を縦に振ってみせる。いずれ敵対することになるヴァンに対して、必要以上に情報を与えることはない。
 そして、ヴァンはジェイドの思惑通りに思考を巡らせたのであろう。ゆったりと頷き、眉間にしわを寄せる。

「うむ。あれは時々独自に動くのでな、私も手を焼いている」
「じゃあ、兄さんは六神将の動きには無関係だっていうの?」
「部下の動向に眼が届かなかったのは事実だな。だが、私は大詠師派ではないぞ」

 ティアが詰め寄ったのに、あくまでもヴァンは平然としたまま表情を変えない。余裕のありすぎる彼にジェイドが歯がみをするその後ろから、アニスの声が届く。

「それは初耳です。主席総長」
「六神将の長であるから、私も大詠師派であると取られることが多いのは認めよう」

 その言葉は認めざるを得ない。大詠師派ではないとされている神託の盾騎士団第六師団長カンタビレが六神将に数えられていないということは、六神将及びその長であるヴァンは大詠師派である、と普通の感覚を持つ者ならばそう考えるだろう。
 そもそも彼らは導師派でも大詠師派でもあまつさえ中立でもなく、いわば『ヴァン派』とでも言うべき勢力なのだけれど。
 ジェイドがそう思考を巡らせているうちに、ヴァンは話を切り替えるべく実妹に視線を向けた。

「それよりもティア。お前は大詠師旗下の情報部隊に所属しているはず。何故ここにいる?」
「モース様の命により、ある物の捜索任務を負っているの。それ以上は話せないわ」
「第七譜石か?」
「機密事項よ」

 兄妹の会話を聞いていて、ヴァン・グランツもかなり意地が悪いとジェイドは思う。
 情報部所属であるティアがモースから直に命を受けているということは、部下であるヴァンにすら内容を知られるべきでない任務。さらにティアは生真面目過ぎる性格であり、極秘任務だと言われればそれが例え実兄であろうとも口にはしない。
 もっともティアはまだ若く、口をつぐんでも表情に現れる。恐らくはヴァンもそれを理解していて、妹の表情から探り出そうとしているのだろう。
 ジェイドも尋問の折に使う手だから、よく分かる。


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