紅瞳の秘預言09 襲撃

 港の事務所に先行していたガイが駆け戻ってきた。マルクト軍人であるジェイドが変に動くわけにもいかなかったため、少なくとも今の時点ではキムラスカの人間であるガイに船旅の手続きの確認を頼んだのだ。

「ヴァン謡将の手続き、終わってたぜ。奥の船でケセドニアまで行けるみたいだ」
「ご苦労様です、ガイ」
「えー、一気にバチカルまで帰れるんじゃないのかー?」

 ほら、と書類を見せてくれたガイに礼を告げるジェイドの背後で、ルークが不満の声を上げた。彼としては、ここカイツール軍港から船に乗れば一気にバチカルの港に着けるのだと信じ切っていたようだ。

「航路の都合でしょうがないんだよ。でもま、バチカルまではすぐだから」

 ぽんと朱赤の頭に手を置いて、ガイはルークを宥める。それでも少年は頬を膨らませてはいたけれど、文句を言っても始まらないと気づいたのか口を閉ざすことに決めたようだ。

「では、ぼさっとしているのも何ですし、船に──」

 乗りましょうか、と言いかけたジェイドの顔に、一瞬影が重なった。

「!」

 振り仰いだ目に映ったのは、魔物の翼。くるりと周囲を見回すと、ライガたちに取り囲まれている。
 少なくとも、馬車を手配したジェイドの読みは当たったようだ。

「フレスベルグですか!」
「あー!」

 その背に乗る少女の姿を見つけ、アニスがびしっと指差した。
 ピンクの髪に黒の制服を纏う、『妖獣のアリエッタ』。
 イオンをレプリカとすり替える際に、それを知られぬよう解任された、元導師守護役の少女。

「根暗ッタ、あんたこんなとこで何してんのっ!」
「アニスになんか言うこと、ないもんっ」

 イオンを背に庇うようにして立ちはだかるアニスの叫びに、鳥の魔物の背中からアリエッタも泣きそうな表情のまま声を張り上げる。ただ、ライガの女王の問題がないせいかややアリエッタの気勢が低いようにジェイドには思えた。
 ガイが即座に剣を抜き、やや遅れてルークも腰の後ろから剣を引き抜いた。ジェイドも槍を実体化させ、構える。ティアとアニスはイオンを挟む形に並び、詠唱を始めた。
 が。

「邪魔しないでっ!」

 鳥の魔物は一度空で羽ばたくと、そのままぐんと高度を下げてきた。鋭い鈎爪を伸ばす先は……朱赤の焔。

「ルーク!」

 ジェイドが反射的に腕を伸ばす。突き飛ばされた、とルークが自覚した瞬間にはその身体は地面に投げ出されていて、その真上すれすれを魔物が起こした風が吹き抜けた。
 刹那、ジェイドの左の肩に鋭い痛みが走った。そのまま足がふわり、と地面から浮き上がる。全体重が左の肩に掛かる形となり、びきりと筋が切れる音が聞こえた気がした。
 痛みと言うよりは衝撃に近いものが、左肩を中心に全身を走る。自分の口から悲鳴が漏れるのを、ジェイドの理性は止めることも出来なかった。

「くぁ……あああああっ!」
「旦那っ!?」

 ガイの叫び声が聞こえたが、反応することが出来ない。金髪の青年に庇われた背後で、ルークが呆然と空を見つめていた。
 鈎爪による鋭利な痛みに隠れるようにじくじくと、鈍い痛みが身体の奥からにじみ出てくる。同時に襲ってくるふたつの痛みが、ジェイドの意識を削り取っていく。
 にじみ出てくるのは痛みだけではなく、熱さと共にじわり、と青い軍服が赤の色素を得て色を変えた。

「このっ!」

 ティアが太腿からナイフを引き抜いて投げた。が、ふわりと空を舞う魔物に刃は届かず、ぶら下げられたジェイドの肩にはさらに負荷が掛かる。

「ぁあっ、あ、ああっ」
 必死で右手を持ち上げて、左の肩を掴んでいる鳥の足を掴む。だがジェイドに出来るのはそこまでで、それ以上力を入れることも……ましてや肩から引きはがすことも出来ない。精神の集中もおぼつかないため、譜術や槍の実体化すら出来なくなっていた。

「根暗ッタぁ! 大佐とっとと放しやがれっ!」

 巨大化したトクナガの背に乗り、アニスが怒りの形相で叫ぶ。普段の女の子口調から一転した柄の悪い台詞は、彼女が本気で怒っていることの証だろうか。

「うるさいっ! アニス、嫌い!」
「アリエッタ、彼をこちらへ」

 悲鳴のように叫んだアリエッタの名を、別の声が呼んだ。はっとそちらに向けられた全員の視線が目にしたのは、突拍子もない光景だった。
 ぷかりと、何もない空に浮かんでいる1人用の椅子。本来ならば譜業機関か、と目を見張って喜びそうなガイも、唐突な登場にぽかんと目を見開いたまま動けないでいる。

「……はい、です」

 その椅子に座っている銀髪の男に頷いて、アリエッタは魔物の頭に軽く手を置いた。と、鈎爪が開かれ、支えを失ったジェイドの身体が落下を開始する。

「ジェイド!」

 ルークが名を呼んだ次の瞬間、ジェイドを受け止めたのは滑るように入り込んできた、椅子に座った男の膝だった。


 受け止められて、ぼんやりした意識の中彼の顔を見上げた。

「ジェイドっ」

 名を呼ばれて、顔を覗き込まれる。
 いつの間にか化粧をするようになってはいたけれど、銀髪と泣きそうな濃い色の瞳は昔の洟垂れ小僧のままで。
 どうしてここにいるのかは分からない。でも、良かった。

「……サフィール」

 貴方に、会いたかったんです。
 どこかほっとしたような笑みを浮かべ、ジェイドは意識を闇に落とした。


 だらりとジェイドの腕が垂れる。誰とも知れぬ男の膝の上で彼が意識を失ったのだと気づいて、ルークは起き上がりざま剣を構え直した。

「おいこら! てめえ、降りてこい!」
「え〜、いやですよぉ」

 殺意を込めたルークの声に返ってくるのは、場の空気にそぐわぬどこかうきうきとした明るい声だった。その発生源は動かないジェイドを両腕でぎゅっと抱きしめて、心の底から嬉しそうな顔をしている少し赤みのかった銀髪の、派手な衣装を着用した男。

「申し訳ありませんが、ジェイドはこの『薔薇のディスト』がお預かりしますっ」
「だーれが薔薇よ。『死神ディスト』でしょお?」

 胸を張った名乗りに、眉間にしわを寄せてアニスが反論する。その名を聞いて、ガイが空を睨み付けながら剣を構え直した。

「つーことはあれも六神将か。厄介だな、おい」
「え、そうなのか?」
「神託の盾騎士団、第二師団師団長『死神ディスト』。間違いなく六神将だわ」

 ナイフを投げる構えをしながら、ティアがルークの疑問に答える。アニスは譜術の詠唱を始めようとするが……ジェイドを盾に取られている形になっていることに気づき、止めた。味方識別の譜は彼に同行すると決まったときに打ち込んであるけれど、あれだけ接近されていては衝撃が影響するかも知れない。それに、もしあの高さから意識のないまま墜落でもしたら無事では済まない。

「きー! 薔薇です、薔・薇! 死神なんて美しくもない二つ名は、いりませんっ!」

 だんだんと悔しそうに肘掛けを叩いていた彼……ディストだったが、はっと気を取り直すとまたジェイドの身体を抱きしめる。それはまるで、大切な宝物を誰にも奪われたくないとだだをこねる子どものよう。

「呼び方なんて知るか! いいから降りてこい!」

 とにもかくにも、宙に浮いている椅子との距離を縮めないとルークやガイには手の出しようがない。またアリエッタもフレスベルグの背に乗ったまま空中におり、彼女の警戒をもせねばならない。
 空を行く手段がほとんど存在しないこのオールドラントにおいて、浮遊出来ることはそれだけで大きなアドバンテージとなるのだ。


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