紅瞳の秘預言09 襲撃

「ディスト、アリエッタ! 何をやっている!」

 と、張りのある声が港の奥側から聞こえてきた。かつかつと僅かに急ぎ足であることが分かる歩調で近づいてきたのは、ヴァンだった。そう言えば船の手配は既に為されていたのだから、その当人がここに存在しない訳はない。

「師匠!」
「おやおや、これは主席総長。ご無沙汰をしております」

 嬉しそうに目を見張るルークには視線もくれず、ヴァンはディストに視線を向けた。己の上司を平然と上から見下ろしているディストは、紫に染められた薄い唇を横に引いて笑う。ちらと一瞬だけ視線を向けられたアリエッタは、抱きしめている人形で怯えたように自分の顔を隠した。

「総長……ごめんなさい、です」
「何をしていると私は聞いているのだ。答えろ、ディスト」
「あいにくですが、こちらにも都合というものがありましてねえ? いくら貴方といえど、邪魔をしないでいただきたい」

 ヴァンの鋭い視線にもマイペースな態度を崩さず、ディストは眠っているジェイドの髪を優しく撫でつける。ぎり、とヴァンが歯を噛みしめる音が、ルークにも聞こえるような緊張感。
 不意に、フレスベルグが翼を大きく羽ばたかせた。ぐんと舞い上がる魔物の背中からアリエッタは、眼下に見える朱赤の焔に言葉を投げかける。

「人質……返してほしかったら、ルークがコーラル城に来い、です」
「いやあ、本音を言うと来なくて結構なんですけどね? 私の金の貴公子がやっと手に入ったんですから」

 あっはっは、と本当に嬉しそうに笑ってディストは、座っている椅子ごと空の彼方へと消え去った。その腕の中に、大切そうにジェイドを抱いて。
 その彼を追うように、アリエッタの乗った魔物も消えていく。包囲網を敷いていたライガたちも我先にと走り去り……後には、ぽっかりと晴れた青い空が残されているだけだった。


 周囲をキムラスカの兵士たちが右往左往する。その中で、襲われた当人たちはぼんやりと空を見つめたまま立ちすくんでいた。

「……大佐、連れてかれちゃいましたねえ……」

 あっけにとられていた一行の中で、一番早く現実に戻ってきたアニスがぼそっと呟く。次に声を張り上げたのは人間ではなく、その足元にいたチーグルの仔。

「みゅ〜〜〜〜! 大変ですの、ジェイドさんいなくなっちゃいましたですの〜!」
「ええい状況を再確認させるなブタザルっ!」

 半ば反射的にルークが踏み出した靴の下で、みゅううと潰れた声が漏れる。むっとした表情のまま剣を腰の後ろの鞘に収めて、ルークはヴァンを振り返った。

「師匠、また命令無視ですかあいつら」
「お前の言う通りだ。情けないことだが」

 軽く首を振り、小さく溜息をついてからヴァンが頷いた。周囲に油断無く視線を走らせていたガイが、これ以上の襲撃もないと判断したのか刀を収めながら2人の元に歩み寄ってくる。

「今回は旦那ねえ。……どうなんでしょう、連中の目的」
「『死霊使い』殿はマルクトの皇帝陛下の名代であったな。まあ、イオン様の足止めが目的だろう」

 トクナガを元のサイズに戻して背負ったアニスと手を繋ぎ、イオンもやってきた。相も変わらず殺意を込めた視線を実兄に向けるティアが、その背後を守っている。

「なあ、コーラル城ってこの近くか?」
「まあ、近いといや近いかな。っていうか、あそこはファブレの別荘だぞ」

 ルークの問いに、ガイが答える。ぴくりとヴァンの眉が動いたが、2人とも気にする様子はない。養い子は単純に疑問を口にしただけで、育て親はその疑問に答えただけなのだから。

「え、そうなのか?」
「……あー、もしかして覚えてないのか。誘拐されたお前が見つかったの、そこの中庭」
「え?」

 金の短い髪をかりかりと掻き回しながらのガイの言葉に、ルークは目を見張った。ガイの言うことが本当ならば、今の『ルーク』はそこから始まったことになる。もっとも、ルーク自身の記憶はバチカルの屋敷に帰ったところからしか存在しないのだが。

「……それなら、行ったら思い出すかな……」
「やめなさい、ルーク。意味はない」

 ぼそっと、口の中で呟いただけの言葉を即座に却下されルークは目を白黒させた。ヴァンは、じろりと一度だけルークを見つめるとその視線をイオンに移す。

「ヴァン、どうしたら良いと貴方は思いますか?」

 自分を見上げる導師の柔らかく、しかし強い視線をヴァンは見つめ返す。……ややあって、その口が答えを生み出すために開かれた。

「イオン様。マルクトからの親書はお持ちですね?」
「ええ。僕が預かっています」
「ならば、当面問題はないでしょう」

 懐から白い筒をちらりと見せたイオンに頷き、ヴァンはルークを振り返る。その視線は優しい剣の師のものであり、ジェイドなら感じ取れたであろう芥を見るヒトのものではない。

「ルーク、先に船で行きなさい。私は残ってアリエッタとディストを討伐する。追ってカーティス大佐は送り届けよう」
「は、はい」

 穏やかではあるが命令口調で放たれたその指示に、ルークは反射的に頷いた。その様子に満足したようににいと眼を細めると、ヴァンは身を翻す。そして、そのままゆったりと歩み去っていった。


 大きな白い背中を見送っていたルークの隣で、しばらく考え込んでいたガイが顔を上げた。くるりとその場にいる全員の顔を見渡し、口を開く。

「……ほんとに足止め目的、だと思うか?」
「んー、イオン様を狙って来たならそうだと思いますけどぉ。大佐が陛下の名代って名札ぶら下げてるわけじゃないしぃ」

 ヴァンの出した推論に異議を唱えるかのようなガイの発言に、ルークが噛みつくよりも先にアニスが答えた。

「あの制服着てりゃ名札より目立つんじゃねーか? それに、ジェイドとイオンが一緒に行動してるのは奴らも知ってる」

 ルークも自分の意見を口にしてみるが、いまいち根拠が薄弱なのは自身認めるところだ。首を捻ってしまう動作が、それを物語っている。

「そうですが……考えてみれば、ヴァンはジェイドが意識を失った後に来ましたよね」
「そう言えばそうね。最初から六神将が大佐を狙っていたのだと思い込んだのかも知れないわ」
「ジェイドさん、ご主人様が危ないと思ったですの。だから、ご主人様守ってくれたですの」
「え……あ」

 イオンとティア、そしてミュウにそう指摘されて、気がつく。ぞくっと、背筋を悪寒が走り抜けた。
 最初、フレスベルグの爪が狙ったのはルークだ。ジェイドはそのルークを庇って、代わりに捕らえられた。
 ヴァンがここに現れたのはジェイドがディストの膝の上に落ちてからであり……最初にルークが狙われたということは、ここにいる皆しか知らない。周囲はライガが取り囲んでいたのだから、兵士や船員たちに見えたとも思えない。
 考え込んだルークをじっと見つめながらティアが、少しものを思い出すように指を唇に当てた。

「『ルークが』コーラル城に来い、って言ったわよね。アリエッタ」
「言ってたな。……なるほど」

 ガイは小さく頷いて、並べられた情報を簡単に脳内でまとめる。
 ルークが狙われた。
 ルークに来いと言った。
 理由は分からなくとも、目的は簡単に分かる。

「カイツールのアッシュと一緒で、目的はルークか」
「俺? 何でだよ、俺が狙われる理由なんてねえぞ?」
「だよなあ。普通ならファブレ公爵子息だから、で分かるんだが」

 そもそもお前ガキんとき誘拐されただろが、と言いたくなるのを我慢しつつガイはなおも思考を巡らせた。そこらの金に目が眩んだ悪党やマルクト軍ならばともかく、この状況でローレライ教団がキムラスカ貴族の子息を狙う意味がどうも分からない。

「理由はともかく! 六神将はルーク様を連れて行くつもりで襲ってきてぇ、それを大佐が邪魔しちゃったからこうなったってことでいいの?」

 これ以上考えても堂々巡りか、と気づいたところでアニスが声を張り上げた。簡潔にまとめられたその台詞に、ガイは大きく頷く。

「そうなるか。まあ、『死神ディスト』はジェイドが手に入って大喜びみたいだったけどな」
「そう言えば金の貴公子って言ってたよね。前からディスト、親友だーって言ってたけど大佐のことだったんだ」

 口の中でもごっと呟きながらアニスはがしがしと頭を掻きむしる。

「んもー、人間関係ややこしいったらありゃしないー!」
「と、とにかく話を戻しましょう! 結局のところ大佐を助けに行くの? それとも兄さんの言う通り、船で出る?」

 こういう場合では、ティアの空気の読めない言動がかえって助けになる。そう思ってガイは……ジェイドを除いたこのメンバーの中では自身が最年長だという気負いからか、腰に手を当ててくるりと全員を見渡した。そうして、最後に青の視線がぴたりと止まったのは、ルークの顔。

「ルーク。お前が呼ばれてる。お前はどうしたいんだ?」
「お、俺?」

 思わず自分の顔を指差すルーク。こくりと頷いたガイと、無言のままのイオン他全員の目が自身に集中しているのに気づき、戸惑いつつもルークは腕を組み考え込む。
 途端、目の前で飛び散った血の色を思い出した。今度は全身から熱が引いていくような感覚に襲われ、ふらりと身体が揺らめく。


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