紅瞳の秘預言09 襲撃
「サフィール。貴方にお願いがあります」
と、赤い瞳から笑みを消してジェイドが覗き込んできた。途端、ディストの顔がぱあっと晴れる。
ジェイドの狙いが自分への交渉であることに無論ディストは気づいている。そうでなければ、例え封印術の枷を掛けられた上に傷を負っていたとしても、この幼馴染みが無抵抗のまま暴力を受け続けているはずがない。
それでも。
「お、おねがい!? あ、貴方が、わたしにっ!?」
「はい。聞いていただけますか?」
「ななな何ですかっ!? 私が出来ることなら何だってしますよっ!」
ずっと昔から……ケテルブルクにいた頃から、ディストはジェイドの背中を追いかけてきた。ほとんど待っていてくれたことのないその背中に追いつくためにディストは必死に勉強して、同じ道を歩もうとした。
志が離れてしまったことで違う道に入ってしまったけれど、それでもディストにとってジェイドという存在は大切な道しるべのようなものだった。
そのジェイドが、自分にお願いを聞いて欲しいと言う。
例え利用されるというのが分かっていても、ディストに首を横に振る気はまったくなかった。
「ありがとうございます……その前に、ひとつ」
普段浮かべている笑みとは違う優しい笑顔。その表情のまま、ジェイドは人差し指を1本だけ立ててみせた。指先を軽くディストに向けて、半ば断定的な問いの言葉を放つ。
「私が供をしているルーク・フォン・ファブレ。彼は、『鮮血のアッシュ』……つまりは本来のルーク・フォン・ファブレのレプリカですね?」
ぎくり。
「え゛? な、なんでまた」
必死で平静を装おうとするディストだったが、ジェイドにそんな芝居が通用した試しはない。笑みを浮かべたままのジェイドの唇が紡ぎ出す言葉に、大人しく聞き入るしかなかった。
「ルークには、拉致された7年前以前の記憶がまったくないそうです。当時は歩き方も言葉も忘れ、生まれたての赤子のようだったと聞きましたよ。それと、アッシュの顔はタルタロスとカイツールで見ています。体格も見たところ、ルークとはほぼ同等でしょう」
そこまでを一度言葉にして、はぁと小さく息をついた。白い顔が僅かに紅潮しているのは、左肩の傷が熱を持っているせいだろう。一刻も早く治療してやりたいが、あいにくジェイドもディストも第七音素を操ることは出来ない。いや、ディストは譜業を駆使すれば操れるのだけど。そのための装置も、ここコーラル城には存在している。
「さらに、ファブレの別荘であったこの城に、こうやってフォミクリーの音機関が存在する。今のルークが発見されたのは、確かこの城の中ですよね」
そう。
今彼らの目の前に存在する、巨大なフォミクリー装置。
レプリカルークを生み出した、いわば彼の母胎とも言える存在。
これは第七音素を利用してレプリカを作成するための音機関であり、即ち第七音素の操作が行える。
プログラムを組み込みさえすれば、複製品を生産するための機械は傷を癒すための機械へと変わることが出来るのだ。
「……それだけの状況証拠で結論に達することが出来るのは、貴方くらいじゃありませんかね。ジェイド」
治療プログラムを入力された音譜盤を装置に挿入しながら、ディストは肩をすくめてみせる。それから、手を伸ばしてきたジェイドに肩を貸した。
細い身体を寝台に横たえるとすぐ、ディストの操作により淡い緑の光が満ちる。大人しく肩の傷の手当てを受けながらジェイドは、ふとディストに問いを投げかけた。
「アッシュから、ルークの同調フォンスロットを自分に向けて開けと指示されていませんか?」
「え、はい……ってえええ!? 何故それを、貴方が知ってるんですか!?」
ごく当たり前の質問をされたように答えてからほんの数瞬後、ディストはその奇妙さに気づいた。目を見開いてあたふたと慌ててしまうのは、昔から抜けない癖のひとつだ。
コーラル城にあの屑を連れてこい。あそこにあるフォミクリー装置で、奴と俺のフォンスロットを同調させろ。
俺のレプリカだっていうんなら、そのぐらいの芸当出来るはずだろう?
その指示は、誰にも聞かれていないはずだ。誰の命令でも無しにカイツールに向かったアッシュを追ったところで、胸ぐらを掴まれて半ば脅迫のように押し付けられたものだから。
理由は聞いていない。聞いたところで「うるせぇ」の一言で返されるためだが、思考する時間を与えられた後だから分かる。
アッシュは、ルークを己の端末として利用し、ヴァンを止めるつもりなのだ。
如何にヴァンの手駒として洗脳されてはいても、アッシュはキムラスカの民とナタリアを愛する『ルーク・フォン・ファブレ』。生まれてから10年の間、公爵子息として教育されてきたその精神は未だ気高く、生まれた地を思う心に偽りは無い。
その彼が、現在の世界とオリジナルの人類を全て亡き者とするヴァンのレプリカ計画を知ったとしたならば、彼はそれを止めようと考えるに違いなかった。どこで彼に情報が漏れたのかは分からないが、少なくとも断片情報がいくつかあればアッシュなら容易に結論に到達出来よう。
その結果、アッシュはヴァンに刃向かうことを決めた。自身のレプリカであるルークを手駒として利用し、ヴァンを止めると。
ただそれでもヴァンによって施された『教育』の結果、ルークを視界に入れることで憎悪が高ぶってしまうのは、仕方のないことだったのだが。
「指示されているんですね?」
「は、はいっ」
再度の問いに、ディストは素直に首を縦に振った。
ジェイドの質問に答えないという選択肢は、現在のディストには存在しない。僅かに震えながらそっとジェイドの顔を伺うと、薄い唇が微かに動いた。やっぱり、と紡がれたその動きは、ディストの眉をひそめさせる。が。
「……開かないでください。ルークは1人の人間であり、アッシュの人形ではありません。それに、私はあの子を死なせたくない」
彼にはあり得ない言葉で、強い口調で、ジェイドは願いを口にした。
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