紅瞳の秘預言10 廃墟

「ここがコーラル城ねえ」

 寂れた城の正門前に立ち、ルークはそっと中を覗き込んだ。数十年にわたり放置された城は何の手入れも為されておらず、伸び放題の雑草や風化した石組みが物寂しげに散らばっている。割れた窓ガラスから内部に風雨が吹き込んでいるようだから、恐らくは内部もかなり荒れているだろう。

「みゅみゅ……魔物、いますの……気配、するですの」

 ルークの足元にぎゅう、とミュウがしがみつく。そのまま歩くのも邪魔だから、とその頭を鷲掴みにし、自分の肩に乗せてからルークはくるりと周囲を見回した。チーグルほど鋭くない彼の感覚では、魔物がいるかどうかをここから確認することは出来ない。

「……最近誰かが出入りした跡があるわ」

 門から内部に向かって雑草が踏み固められ、下の土が剥き出しになった部分があった。いち早くそれを発見したティアが、指先でその跡をたどっていく。よく見ると、微かに足跡らしきものも見えた。

「魔物じゃねえの? ブタザルがいるっつーてるし」
「この辺の魔物、扉開けるなんて器用なこと出来ないぞ? 多分。あとこの足跡、靴履いてる」

 同じように跡を視線でたどっていたガイが、ルークの言葉を否定する。踏み固められた跡が城の扉まで一直線に続いており、その中にははっきりと視認できる靴底の跡があるのだから。

「それに魔物だったらあ、まっすぐ行くことはないと思うんですぅ。まずはぐるりと1周して、匂い付けとかするんじゃないかなあ」
「縄張りを持つ類の魔物でしたら、そういう感じらしいですよね」

 アニスの指摘にイオンが頷く。チーグルの森からチーグルが追い出されたのは、ひとつにはそれまで棲んでいた森を追われてやってきたライガの女王が縄張りを主張したからだ。そう説明すると、ルークはいまいち納得出来ないかのように首をかしげた。

「そういうもんなのか?」
「人間が自宅の敷地や自国の領土を主張するのと同じようなものですよ。人間は匂い付けの代わりに塀を巡らせたり旗を掲げたり、兵士を配置したりするんです」
「はー、なるほどねえ」

 そこまで言えば、ルークも頷く。カイツールで国境を越えるとき、検問所にはそれぞれの国旗がはためいていた。それはつまり、キムラスカとマルクトがそれぞれの領土……縄張りを主張するためのもの。
 ……ジェイドは、ずっとマルクトの軍服を着用している。あれはつまり、己はマルクトの所属であることを主張しているわけで……あれもまた、ある種の匂い付けのようなものなのだろうか。

「どうだルーク、何か思い出したか?」

 物思いに耽っていたルークの顔を、ガイが覗き込んできた。慌てて頭を振り、ルークは眉をしかめる。

「いや、全然。正直、初めて見るような感じだ」
「……そうか。ま、俺も来るのは初めてだけどな」

 微妙に怪しい態度だったはずのルークだが、ガイはそう言うこともあるだろうとスルーしてくれた。それから城の建物を見上げて呟いた言葉に、今度はルークの方がガイの顔を覗き込む。

「え、そうなのか? だってお前、俺がここで見つかったって」
「見つけたのはヴァン謡将だよ。俺らはあの人から話を聞いただけ」

 金の髪をかりかりと掻きながら、ガイはルークに説明した。赤毛の少年はそれにへえ、と目を見張っただけで、特に言葉を返すこともない。返答をしたのは、話題に出た人物とは一番近しい仲であるティア。

「ねえ。ちょっとおかしくないかしら」
「何で? 師匠、俺が記憶失くす前から俺の面倒見てくれてたんだろ、それならおかしくもなんともねえじゃんか」

 ティアの疑問の意味をヴァンのことだと受け取って、ルークはふて腐れながらそう答える。が、その答えに対してティアは首を横に振った。さら、と流れる長い髪はヴァンと良く似た色。

「そうじゃなくて……どうして、ファブレ家の別荘でルークが見つかったのに、それがマルクトのせいなの? いくら放置されているとは言っても、そこにわざわざ置いて行くなんておかしいわ。確かに国境には近いけど、ここからマルクトに逃げるには不便よ。海沿いにぐるっと回るか、国境警備隊に見つからないように船を出さなくちゃ」
「……え」

 単純な疑問である。が、言われるまでそのことに気づかなかったルークは、思わず目を見張った。
 コーラル城はファブレ家の別荘であり、キムラスカの領土に位置する。確かに国境が近く治安状態がよいとは言えないのだが、そのため国境には警備隊が配置されている。またその地理的状況からマルクト側の人間がアジトとしたり、己が身を隠すには相応しくない場所だ。

「……言われてみりゃ確かにな。別の誰かが助けてくれてコーラル城に運んだっていうならともかく……まるでさらっておいて、いかにも見つけてくださいと言わんばかりだ」

 顎に手を当てながらガイが頷いた。「もっとも、助けてくれるつもりならカイツールにでも連れてった方が早いだろ」と口の中で呟くと、それを耳に留めたのかアニスも大きく頷く。

「そーですねぇ。ルーク様をさらったのがマルクトだって言うなら、さっさとマルクト領に連れてっちゃうと思うんですぅ」
「……それとも、ヴァンが嘘をついていたかですが……それも意味がないですね」

 イオンが首を捻りながら言葉を続ける。む、とルークが眉をひそめたのに気がついて、「ごめんなさい」と微かな声で謝った。

「私もごめんなさい、ルーク」

 イオンの声に気づいたらしく、ティアも慌てて頭を下げた。もじもじと両手の指を絡める仕草は、彼女が未だ成人していない少女であることを思い出させる。もっとも、ルークはそんなところにはまったく気づかないのだけど。

「兄さんのことはともかく、状況がおかしいって言いたかっただけなの。それに、マルクト以外でルークを誘拐して利益になるような勢力があるとは思えないものね」

 明確にマルクトの人間だと分かっているジェイドがいないためか、ティアはそうはっきりと口にした。
 幼いルークを、わざわざキムラスカの奥深くにまで入り込んで拉致するという危険な行為を行う、その意味。
 マルクトに荷担する者が実行犯ならば理由は分かる。王位継承者を害することによりキムラスカを弱体化、もしくはその継承者を我が者とすることでキムラスカ側へ工作を行えるからだ。だがそれならば、マルクト領内へ連れ去ることなくコーラル城に放置していったその意味が分からなくなる。
 ダアト、そしてキムラスカにルークを誘拐する意味はない。ダアトはキムラスカとは預言遵守という点においてそれなりに友好関係を築いており、当のキムラスカにとってルークは重要な、『赤い髪と碧の瞳』を有する王位継承者である。それを害する理由も意味も、彼らの知る限りは存在しない。
 ならば、誰がルークを誘拐し、置き去りにしたのか。
 それは本当に、単純な疑問。ただ、答えだけがそこには無い。

「ともかく、ここで話をしていても何ですし、中に入りましょう。少なくともジェイドが早々に殺されていることはないと思いますが、時間が経ってしまうと分からなくなりますから」

 結論の出ない話を打ち切ったのは、イオンだった。この場には真実を知る者は誰もおらず、恐らくその謎に一番近いところにいるであろうルークはその当時の記憶がまったく無い。その頭脳を以て真実を割り出すことの出来そうな人物は拉致され、城の中だ。
 ならば、ここで議論を交わしていても意味がない。そも、自分たちは何のためにこの廃墟と化した城までやってきたのか。
 頭の後ろで腕を組んで、ルークはくるりと周囲を見回した。人の手がほとんど入れられていない城はどこか空恐ろしく……だから少年は、わざと嫌味っぽく口を開いた。怖がっていることがバレるのを恐れて。

「あいつが大人しく殺されるタマかぁ?」
「起きてりゃな。連れて行かれたとき、旦那気絶してただろ」

 それに一番心配してるのはお前じゃないか、と口に出しかけて、ガイは黙り込んだ。ルークの強がりを敏感に感じ取ったからだが、それに気づかないティアやアニスは一様に眉をひそめている。イオンとミュウは何かを感じ取ったのか、その双方を交互に見比べていた。

「ルーク様、何かちょっと幻滅ぅ」
「そ、そうね……。早く行きましょう、ルーク。もたもたしていると兄さんが追いついてくるかもしれないわ」

 ティアのその言葉に、ルークははっと視線を彼女に向けた。そうだ、自分たちはヴァンの行くなという警告を無視する形でこの場を訪れたのだ。見つかれば怒られる。

「わ、分かった。急いだ方がいいかもな」
「確かになー。どうせなら結果を出してから見つかった方がヴァン謡将の反応もマシだろ。行こうぜ」

 慌てたルークの背中を軽く叩いて落ち着かせ、ガイは彼らの先頭に立った。すぐ後ろにルークがつき、その後をティアが追おうとしてふと振り返った。残っているのは、イオンとアニス。

「イオン様」

 導師の名を呼ばわると、彼はふわりと微笑んで頷いた。神託の盾の1人であるティアが自分を残し先に進むことを良しとしなかったのだ、とイオンには分かっていたから。

「はい、行きます。アニス、殿をお願いしますね」
「はぁい。アニスちゃんにお任せくださいませぇ」

 背中にぶら下げているトクナガの手をぽんと叩いて、アニスはイオンにだけ笑いかけてみせた。


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