紅瞳の秘預言10 廃墟

 扉を開けると、ぷうんとかび臭いにおいが立ちこめる広間があった。ホールを彩っているはずの赤い絨毯はすっかり薄汚れており、踏みしめるとどこか湿った感触が靴の裏から伝わってくる。その臭いもルークはまったくの初めてで、気分悪げに顔をしかめた。

「ったく、遅いんだよ。こっちも暇じゃないってのにさ」

 そうして、その広間の奥にイオンと同じ色の髪を持った少年が1人、立っていた。右手に何かを持っているが、武器とは思えない。顔は仮面で隠され、ルークたちから確認することは出来ないが、イオンはその姿を見て思わず手の中の杖をぎゅっと握りしめた。

「シンク!?」
「やあ、導師。お元気そうで何より」

 良く似た……同じと言っても良い声で言葉を交わすイオンとシンク。白くゆったりした服のイオンと黒っぽく身体にフィットした服のシンクという違いはあれど、この2人もまた良く似ていた。
 ルークとアッシュのように。

「本来ならあんたとの接触は厳禁なんだけどね。ま、たまにはいいんじゃない? バレなきゃいいんだしさ」

 あははと笑うシンクに、ルークは眉をひそめた。どこか自分と似ているようでまったく違うこの少年を、彼は知らない。だから、素直に問うた。

「あんた誰だ?」
「六神将『烈風のシンク』。お見知りおきを、ってね」
「っ!」

 悪びれることもなく名乗った少年に、思わずルークは剣の柄に手を掛けた。ガイも同じように剣に手を掛け、ちらりと周囲に視線だけを飛ばした。ティアも同じように視線を巡らせて、ふと眉をひそめる。
 その場に存在するのは自分たちとシンク以外には…ぼろぼろの譜業人形とも思える彫像が数体しかない。神託の盾騎士団の存在は感じられないから、正式な任務ではないのだろうか。
 一方、ルークの方は心底怒っていた。ジェイドを助けに来たのに邪魔された……これは普通邪魔が入るだろうと考えるはずだが、ルークは何しろ人生経験が少なすぎる……のもあるが、それ以外にも。

 タルタロスでは黒獅子ラルゴ、そして鮮血のアッシュ。
 その後に魔弾のリグレット、妖獣のアリエッタ。
 カイツール軍港で死神ディスト。
 そして、コーラル城で烈風のシンク。
 ルークは存在を知らないカンタビレを除く師団長たち……六神将全てが、ルークたちの前に敵として現れたことになる。

 これでほんとにヴァン師匠が何も知らねえなんて、絶対おかしいだろが。

 単純に考えても、それくらいはルークにも分かる。自身の部下全員が勝手に動いていたとして、その把握のひとつも出来ないようでは主席総長たる意味はない。無能な上司であればともかく、ルークはヴァンの有能さは直接知らずともその雰囲気や物腰から感じ取っている。
 そのヴァンが、六神将の動きについて何も知らぬはずがない。よしんばカイツールにおけるアッシュの襲撃や今回のジェイド拉致に関して知らなくとも、それ以前のタルタロス襲撃やセントビナーでの襲撃未遂について、まったく知らないとは思えない。
 そこまで思考を巡らせて、やっとルークはこの場に来た目的を思い出した。鞘から抜き取った剣を構え、目の前にいる少年に対して吠える。

「てめーも六神将なら、ディストやアリエッタとグルか! ジェイドをどこやった!」
「あーん? 素直に言うと思ったかい、お坊ちゃま?」

 対してシンクは身構えもしないまま、とんとんと床を爪先で蹴る。仮面の下から見える口元が歪み、少年が笑っているのがルークにも分かった。

「ま、安心しなよ。奴にはディストがご執心でさぁ、それは丁重に扱ってるよ」
「!」

 不意を突くようにその右手から投げられた何かを、ガイが素早く受け止めた。その手の中に現れたのは、細いフレームの眼鏡。見覚えのあるような気がしてふと気づく。
 ジェイドがその端正な顔に、普段から掛けているものだ。だが、セントビナーで彼自身が「視力は両方2.0」と言っていた通りレンズに度は入っていない。伊達眼鏡かと一瞬思考して、ほんの僅か違和感のあることにガイは気づいた。

「旦那の眼鏡……譜業か、これ」
「譜眼抑制用の補助譜業だってディストが言ってたよ。バケモンだよね、あの『死霊使い』は」

 譜業好きの目はごまかせない。軽く観察しただけで見抜いたガイに、シンクは面白そうに説明を始めた。

「目に譜陣を刻んでるんだってさ。そいつで暴走を防いでるらしいよ……分かるかい? この意味」
「……何だと」
「どういうことだよ、ガイ」

 にい、と少年の口元がさらに歪む。言葉の意味に気づいたガイが眉をひそめるのに、ルークが訝しげに顔を覗き込ませてきた。

「目は最大のフォンスロット……音素取り込み口だ。譜眼っていうことは旦那の場合、その目に譜陣を刻み込んで音素を取り込む能力を高めてるっていったとこか。『死霊使い』って言われる理由のひとつはそれだな、大量の音素を使って強力な譜術を扱えるってことだろうし」

 そう言えば、ルークはあまり勉強が好きではなかった。だから、ガイもあまり細かいことを教えなかったという事実に思い当たる。……故に、少しばかり分かりやすい言葉を使って説明した。ルークは理解さえ出来れば聡いのだから。

 ジェイドの旦那も、それを知っていたのかな。

「……つまり」

 ふとそんなことを頭の片隅で考えたガイの思考を断ち切って現実に引き戻したのは、同じように説明を聞いていたティアの言葉。彼女は体内の音素を調整していつでも歌えるように準備を進めながら、自身の推測を口にした。

「眼鏡を使ってその能力をわざわざ抑制しているということは、裸眼のまま音素を取り込んだ場合その制御が出来なくなりかねない……ってこと?」
「多分ね。あのオッサン、第一から第六までの音素は全部操れるそうじゃない。ってことは、目の譜陣も全部取り込めるように刻んであるはずだよね。抑制も出来ず、バカみたいに取り込みまくったらどうなるかなあ? あはは、見物だよ」

 彼女の危惧を、シンクは否定しない。薄い唇は笑みの形に引かれ、言葉もいかにも楽しそうな口調で紡がれる。
 だが、同じ髪の色を持つイオンはまったく違う反応を見せた。青ざめた顔に怒りの表情を浮かべ、杖を両手で握りしめる。

「ジェイドを暴走させる気ですか? ひとつの音素が過剰に蓄積されるだけでも問題なのに、一度に6種もの音素を過剰に取り込んでしまったら、いくら彼でも制御なんて出来ようはずがない!」
「暴走……って、え、どうなる……んだ?」
「旦那のこったからな。下手すりゃ制御できない上級譜術連発したあげく……」

 そこまで言って、ガイは自分の首元に親指を当てて軽く横に引いた。その仕草が何を意味するのか、分からないルークではない。途端、あまり外出しないためか白い顔が怒りでかっと紅潮した。

「何だよそれっ!」
「ちょ、それってマジヤバじゃない!」

 同じようにその意味に気づいたアニスが、背中からトクナガをむしり取る。うっすらとした笑みを浮かべたままシンクは、肩をすくめてみせた。


 この場においてシンクがディストから依頼されているのは、出来るだけの時間稼ぎ。それも、目の前にいる朱赤の髪のレプリカを仲間と切り離し奥のフォミクリー装置がある部屋にいるディストの元に送り込んだ後、という少々手間の掛かる条件付きだ。故に、オリジナルと性格が近いらしいと聞いたレプリカを怒らせるためにシンクは挑発的な発言をしているのだ。

 普通に殺っちゃった方が楽なんだけどなあ。ま、レプリカはまだ死んで貰う訳にはいかないんだよね。ああ、めんどくさい。

 この若さで参謀総長の位を手にしている少年は、脳裏でぶつくさ呟いた。仮面を付けているため表情が他人に分かりにくいのは、こういうときは助かる。
 まあ、やると言ったからにはやってみせるだけだけどね、と自身に言い聞かせ、さらに挑発を続けることにした。

「普段ならそこまでへまはやらないだろうけどね。ちょおっと痛めつけてやったから、どうなるか分からないよ?」

 軽く仮面をずらし、ちらりと見せた目でルークを嘲笑うように見つめてやる。ぎろりと睨み付ける碧の瞳はアッシュよりも幾分柔らかく、シンクの背筋を冷やすには至らない。

「……大佐は肩の傷が開いていたわ。その上に?」

 ティアは感情を押し込めているのか、あくまで冷静に言葉を選んで口にした。普段ならこの場にいないジェイドがその役を買って出るはずだ、とガイは心の片隅で思考する。それから、意識を無理矢理に切り替えた。
 役割分担はともかく、この事態を打破しないと先には進めない。

「そうだよ。だってそうでもしなきゃ、殺されるのはこっちだからね。あはは」
「黙んな! 導師イオンの御前です、失礼は謹んでよねっ!」

 シンクの言葉を遮るようにトクナガが巨大化する。その上から叫んだアニスに、導師と同じ色の髪を持つ少年はけっ、と一瞬だけそっぽを向いた。

「導師導師って、あんたもアリエッタも馬鹿のひとつ覚えみたいに」
「……っ」

 自らの同僚の名を口にしてやると、アニスはぐっと口を閉ざした。導師イオンを挟み、この2人の仲が険悪なことはシンクもよく知っている。
 アニスは複製品とも知らず導師に仕え……そうでありながら大詠師モースの手の内にある。
 アリエッタは引き離された導師をずっと思い……既に複製品にすり替わっていることも知らず、アニスを呪う。
 ああ、2人とも馬鹿だよねとシンクは心の中で吐き出す。
 そこにいるのは自分と同じレプリカだよ、といっそ口にしてみたくなる。朱赤の髪の子どもも複製品だよ、と。
 だが、ここでそれを明かしてしまってはヴァンの計画が狂う。世界の滅びに、進めなくなるかも知れない。
 それではつまらない。せめて滅びの過程くらい、楽しみたい。


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