紅瞳の秘預言10 廃墟

「……だからアリエッタ、ルークの友達いじめたの、ごめんなさい」
「え?」
「ルークの友達、傷痛がってたです。ごめんなさい」

 そこまで言われて、アリエッタの言う『友達』がジェイドのことなのだとルークはやっと気づいた。
 確かにあの時、フレスベルグがジェイドの左肩を掴んでしまったために治りかけた傷が開いたらしい。ジェイドが呻いていたこと、また解放されてすぐ意識を失ったことからもそれは伺える。
 そのことを『いじめた』と表現し、アリエッタは謝っているのだ。アリエッタにとっては、ルークと一緒に行動していたジェイドは『ルークの友達』という認識なのだろう。

「……い、いや、いいよ。あれはジェイドが傷のとこ掴まれたのが悪いんだから」

 本当は庇われた自分の不注意が原因なのだ、という言葉をルークは飲み込んだ。さすがにそこまで、この少年は達観しているわけではない。自分は悪くない、と思いたかった。
 でもそれならば、素直に自分がさらわれていれば良かったのだろうか?
 そこまで考えて、ルークはやめた。もしかしてなんて、今の事態を解決してからのんびり考えればいい。

「……それに、連れ戻したらまたティアかイオンが治してくれるさ。だから安心しろって」
「イオン、さま」

 敬愛する導師の名を出され、一瞬アリエッタがびくっとする。が、次の瞬間目の前に広がった光景がルークの意識を彼女から逸らした。


「な、何だこりゃ?」

 城の地下深く、3層ほどの高さのある室内には巨大な音機関が設置されていた。ルークたちの立っている床から一段低い場所にもフロアがあり、そこには操作盤であろうテーブルタイプの機関がいくつか並んでいる。
 そのひとつの前に、あの椅子が存在した。無論、銀髪の男……ディストが座っている。彼の手が華麗に操作盤の上を駆け巡っているのが、ルークには奇妙な演奏会のように思えた。

「ディスト! ルーク、連れてきたです」
「おい、ここうちの別荘だろ! 何でこんな機械があるんだよ!」

 アリエッタとルークの声が、重なるように飛んだ。それでやっとディストは来訪者に気づき、操作を止めて顔を上げる。

「何だ、もう来ちゃったんですか。ルーク・フォン・ファブレ」

 くるり、と椅子ごと振り返り、そのままルークたちと高度を揃えるように浮かんでくるディスト。その膝の上……ディストの胸にもたれかかるようにして、目を閉じたジェイドが座っていた。眼鏡を掛けていないせいか、それとも無防備な表情を見せているせいなのか、その顔は普段の彼よりも若く見える。

「ジェイド!」

 ルークが叫ぶように名を呼ぶが、ジェイドはぴくりとも反応しない。ただ呼吸に合わせ僅かに揺れる身体が、彼の生存を示している。ディストは楽しそうに眼を細め、自慢げな表情を浮かべ口を開いた。

「ああ、無理無理無理ですよぉ。特製の薬で眠らせてありますから、ちょっとやそっとじゃ起きません。いやーははは、まさかジェイドに使えるとは思ってもみませんでしたよ!」
「薬? 起きない?」

 ディストにしてみれば脅迫の意味を込めて告げた言葉だったのだろうが、ルークはそうは取らなかった。ここに連れてこられる直前、シンクとイオンが口にした言葉が脳裏に蘇る。

 バカみたいに取り込みまくったらどうなるかなあ?

 ジェイドを暴走させる気ですか?

「えっと……じゃあシンクの言ってた、暴走ってのは」

 おずおずとルークが口にした言葉を聞き取るが早いか、ディストが言葉を連射してきた。それはどこか、シンクに対し怒っているようでもある。

「体内音素過多と制御不能による暴走ですか? 冗談じゃない、そんなの起こさせませんよ。眠っている間は目から音素を取り込むことはほとんどありませんし。そもそも封印術でかなりフォンスロットが閉じられた状態ですからね、意識があってもそれなりに制御は出来るはずです。ま、この辺は本来導師イオンに使うはずだった封印術をジェイドに使ってくれたラルゴに感謝しておいてくださいね。怪我の功名という奴ですが」

 ぺらぺらと良く回る舌だ、と呆れながらもルークは、ディストの説明に納得した。少なくとも今の間は、ジェイドが暴走を起こして死ぬことはないのだと理解できてほっと胸を撫で下ろす。そして、はっと気がついた。
 いや、そもそも安心してる場合じゃないだろう、俺。

「そ、それはともかくジェイドを放せ、この卑怯者!」
「えええっ? いやですよ」

 ルークが突きつけた指の先で、ディストは慌てたようにジェイドの肩をがしっと抱いた。それでも目を覚まさないまま、ジェイドはディストの腕に抱き込まれる。薬物による強制的な睡眠状態というのは、口から出任せの単なる嘘ではないようだ。

「だって私、譜業使いなんですよ。ジェイドと違って生身での戦闘は超不得手なんですから! じゃなきゃこう、人質取ったりなんて卑怯な真似しませんよ! って言うか、こう腕の中でジェイドが大人しくしてくれてるなんてこんなパラダイス、ちょっとやそっとで手放してなるものですか!」
「は?」

 先ほど同様まくし立てられたディストの台詞の中に奇妙な単語を聞いたような気がして、ルークは目を丸くした。単語の意味自体はルークも知っているのだが、なぜこの場面でその単語が出てくるのかが分からない。
 パラダイス? なんじゃそりゃ。

「……な、何かやりにくい相手だなあ……」
「ディスト、いつもこうです」

 困り果てて眉根を寄せ、赤い髪をがしがし掻き回すルークを見ながらアリエッタが頷く。ぐる、と彼女を守っているライガが唸ったのにやっとディストが気づき、奇声を張り上げた。

「うるさいですよアリエッタ! それよりシンクと一緒に他の連中の足止め、お願いしますねっ! こっちは頼まれごとで時間が惜しいんですから!」
「はい、です」

 くす、と小さく微笑んで、アリエッタはライガの頭をぽんぽんと叩いた。くるりと向きを変えた魔物を追いつつも振り返り、少女がルークに言葉を掛ける。

「ルーク、また、です」
「あ、ああ」

 つい手を振って見送るルークの視界から、あっという間にアリエッタとライガの姿は消える。それを同じように見送り、ディストはジェイドの顔に掛かった髪を掻き上げてやると口を開いた。

「まあ、さっさと話を進めましょうか。貴方には身体検査を受けて貰います。そこに寝てください」
「嫌だっつーたら」

 じろりとルークに睨み付けられても、ディストは怯まない。腕の中で眠っているジェイドを抱き寄せて、鼻息も荒く言い返す。

「何のための人質だと思ってるんですか」
「人質っつーより大事な宝物扱いしてねえか? それじゃああんまり脅迫の意味ねえぞ。アリエッタも、あんたはジェイドにひどいことしねえっつってたし」
「う……い、いいじゃないですか! さっさとしてください!」

 痛い部分を指摘されて、涙目になるディスト。せいぜい悪ぶろうとしてジェイドの首に手を掛けるが、指先がかたかた震えているのがルークからでも見て取れる。あれだけしっかり抱きしめていれば、空中から床に突き落とすことなど間違ってもあるまい。落ちるなら自分ごとだろうが、万が一そうなったとしてディストがジェイドを庇って下敷きになるであろうことは容易に推測できた。というか、ルークの脳裏にその光景がばっちり再現されている。何だかギャグにしか見えない。

「……何か、こっちの方が悪いことしてる気分になるなー。分かった分かった、身体検査くらいなら受けてやるからさ」

 さすがにディストが哀れになったのか、ルークの方が折れた。どう考えても敵である相手に自身の身体を探られるのはいい気はしないが、単なる身体検査であれば問題はないだろうと考えたのだ。
 考え方としては甘いが、それを強制……というよりはどう考えても要請……してくる相手がどうも哀れで、あまりいじめるのもこちらが悪人になりそうで気が引ける。

「あ、ありがとうございますっ! それじゃあ、そこの寝台に横になってくださいね。少し圧迫感があると思いますが、それほど苦しくはないはずです」

 何しろ、要請を受け入れたらありがとうなどと礼を言ってくる相手であるし……何よりも、人質であるはずのジェイドをそれは大切に、大事に扱っているのが分かる相手だから。
 まあ大丈夫だよな、とかなり楽天的な思考になりつつルークは、指示された通り寝台……であろう円形の台の上に横になった。「始めます」というディストの声が耳に届くと同時に、淡い緑の光がルークを包み込むように照らす。光に圧力が存在するのかどうかルークには分からないが、全身が寝台に押し付けられるような感覚を覚えた。先ほどディストが言ったように、確かに苦しくなるほどの圧力ではない。

「ところでこれ、何の音機関なんだ? 身体検査用にしちゃ仰々しくねえか」

 ぼうっと天井を見上げながらルークは、単純な疑問を口に乗せる。ジェイドを膝の上に乗せたまま器用に装置を操作しながら、ディストも「確かにそうですよね」と頷いた。


PREV BACK NEXT