紅瞳の秘預言10 廃墟
「これは元々、別の軍事的用途に使われているものです。でも第七音素を扱うように出来ていますから、やりようによっては怪我を治したりも出来るんですよ。第七音譜術士と要領は同じですから、内部組織の傷まではちょっと無理ですけどね」
ディストは、フォミクリーという専門用語を使わず、本来の用途も明かさずに説明してみせた。いちいち用語の説明までしている暇はないし……恐らく、ジェイドがそれを望んでいないから。
ジェイドは、フォミクリーを己の罪だと自覚している。譜業として造り上げたのはディストだが、その基礎となる理論はジェイドが組み上げたものだからだ。
だから、もしルークにフォミクリーの何たるかを教えることがあるとするならば、ジェイドは自身の口から伝えることを望むだろう。
以前のジェイドならば分からないが、今ディストの腕の中で眠っている彼ならば、恐らく。
「ちなみに、何故こんなものがこんな所にあるのかについてはお話し出来ません。ま、要は不法占拠なんで」
だからディストは、わざと話の方向を逸らすことにした。操作盤の上に手を滑らせていくつものキーを押し込んでいくと、緑の光が暴き出すルークの身体に関するデータが、目の前に次々と映し出されていった。
「うわ、しれっと犯罪自白したよ、こいつ」
「いやもう私、マルクト国内じゃあ軍事機密漏洩の罪で指名手配されてますから今更ですしねえ。それに、この音機関はそろそろ片付けようと思ってるんですよ。必要なくなっちゃったんで」
はは、とかすれた声で笑いつつもディストの目は画面を走る文字に釘付けになっている。そのうち、声すらも出せなくなっていた。画面を食い入るように見つめる彼の表情は、何かに怯えるようにこわばっている。
「……本当ですか……なんてこった」
「おーい、何か分かったのかー?」
それを知らぬ朱赤の焔が、どこか脳天気に声を掛けてくる。「ええ、大変に健康体ですよ」とだけ答え、データを音譜盤に書き込みながらディストはルークを圧迫していた緑の光を消した。ふう、と小さく溜息をつきながら起き上がる少年を視界の端に置き、目にしたデータを脳内で素早く整理する。
「詳しいことはジェイドにデータを渡しておきますんで、彼から説明聞いてくださいね。この音機関についても知ってるはずですから。ただし、ちょっと覚悟は要りますからね、心を強く持ってくださいな」
書き込みの終わった音譜盤を、音機関から取り出す。2枚出てきたのは、片方をバックアップとしてディスト自身が持っておくためだ。もう片方をジェイドの服のポケットに滑り込ませながらディストは、伝えるべきことをルークに伝える。
ルークをこの城に呼び出した本来の目的は達せられなかったが、これでいいのだと彼は心の中で大きく頷いた。後始末は面倒そうだが、それもジェイドを思えば何の苦にもならない。
「覚悟って、何のだよ」
眉をひそめながら問うルークに、一瞬ディストは思考を巡らせた。素直に答えていいものか、それとも僅かにぼかすか。
「倫理上、人道上の問題があって表向きには封印された技術でして。まあご覧の通り、こっそり扱ってる勢力もあったりする訳ですが」
結論はすぐに出た。隠す必要もない、素直に答えればいい。この譜業の元となった譜術の発案者の名など、少年は尋ねていないのだから。
「そんなもん、ローレライ教団の奴が扱ってていいのかよ」
「あっははは、うちの教団に綺麗事期待しても駄目ですよー。導師イオンはこーいうことはあまりご存じないと思いますが、内部はどろどろですから。長く続いた集団なんてねえ、時代に合わせて改革でもしてやらなけりゃ内側から腐るもんなんですよ」
ま、問題の技術持ち込んだのは私ですけど、と言葉の最後に付け足して、ディストはその話題を終えた。細かいことを言っていくと、技術の開発者が誰かという話にまで発展する恐れもある。余計な話を長々とする気は、ディストには無かった。
無かったはず、なのだが。
「ねえ、ルーク。貴方、ジェイドのことをどう思っているんです?」
そう、尋ねてみたくなった。僅かに姿勢を変えると、脱力しているジェイドの身体ががくんと動く。仰け反った喉元が病的なほど白くて、ディストは思わず背筋をぶるりと震わせた。
「答える義務があるのか?」
「ないですが……幼馴染みとしては気になりまして」
「へえ、幼馴染み」
不機嫌な顔で問い返してくるルークに、精一杯の睨みを利かせながらディストは答える。ジェイドを抱え直し、垂れた頭を持ち上げると微かに呻いたような気がして、はっとその顔を覗き込んだ。意識が戻っていないことを確認し、小さく溜息をつくと言葉を続ける。
「ジェイドって性格悪いでしょう? ちゃんと友人付き合いとか出来ているのか心配なんですよ」
細い眉根をひそめながら肩をすくめるディストを不機嫌そうな表情のまま見つめていたルークだったが、ふと目を見開いた。セントビナーでマルコが口にしていた言葉を思い出したのである。
「ジェイドって確かマルクトの皇帝と幼馴染みって聞いたけど、あんたもか?」
「きー! ピオニーと一緒にしないでくださいっ!」
ピオニーって、皇帝を呼び捨てかよ。こりゃ幼馴染みってのも本当かね。
げんなりとした顔になった少年の心の呟きは、目の前の譜業使いには届かない。まあ届いてくれなくて助かった、と勝手に満足しつつルークは、少し考えてから再度口を開いた。
「……そうだな。どっか得体の知れない部分もあるけど、基本的には優しいな」
「優しい、ですか?」
それは、幼馴染みであるディストには意外な言葉だった。
正直、ディストの記憶にあるジェイドは意地悪で腹黒、という印象がほとんどを占める。それでもディストがサフィールであった頃からただ彼を追いかけていたのは、その聡明な頭脳もさることながら分かりにくい優しさ、そして孤独さを感じていたから。道を別ってしまった今でもディストはジェイドのことを思い、研究を続けているのだ。
ジェイドの優しさというのは、一目では分かりにくい。表面だけをなぞると、それは逆に相手の気を逆なですることすらある。この幼馴染みはそれを承知で実行し、結論としていわれのない悪意をその身に受けることが多々ある。
一方、ジェイドがディストのことをどう考えていたかというと……これはディスト自身の受けた印象になるが、かなり迷惑に感じていたであろうことは間違いない。時折顔を合わせることもあったが、そんなとき彼は軽口を叩きながらも必ず冷たい目を向けてきたから。
──けれど。
「たまにさ、泣きそうな顔するんだ。決まって、俺のこと守るって言うとき」
「ジェイドが、ですか?」
ディストの思考を途切れさせたのは、続けて吐き出されたルークの言葉。
あのジェイドが、泣きそうな表情をその端正な顔に浮かべる、というその事実。
先生が死んだときだって、彼はその表情をそんな風に歪めることはなかったのに。
「やっぱ、幼馴染みでも驚くんだ」
「だって私、ジェイドの泣きそうな顔見たことなんて……」
戸惑いながら答えようとした、ディストの声が止まる。それを奇妙に思い顔を上げたルークが見たのは、口元を手で抑えているディストの姿だった。
緑の光が、すうっと消え去る。寝台に横たわっていたジェイドは、ディストの手を借りて上半身を起こした。その表情は、彼らしくもなく怒りに満ちている。
原因ははっきりしている。ジェイドの治療中……つい先ほど、彼らの口に上ったひとつの話題だ。
「どうしても、やめる気はないんですか?」
「当たり前でしょう? ジェイド。貴方だって、ネビリム先生には会いたいはずです。もう少し……もう少しで、私たちのネビリム先生を蘇らせることが出来るのですよ!」
2人やジェイドの妹ネフリー、そしてピオニーの恩師であるゲルダ・ネビリム。
ジェイドが素質を持たないにもかかわらず第七音素を操ろうとした結果、死に追いやってしまった女性。
──ジェイドの、原罪。
ディストは、どこか高揚した表情を浮かべていた。化粧のせいで本来よりも白く変わっているはずの頬が、上気して赤く染まっている。それは己の言葉に絶対の自信を持っている者の表情であり、目の前にいる親友の心の凝りを消し去ることが出来るのだという喜びの表情で。
故に。
「……サフィール。では、今すぐ私を殺しなさい」
「え?」
目の前にいる敬愛する友の顔が、それまでとは違う感情によって歪められていることに気づくのが、僅かに遅れた。
「そうして、私のレプリカを作りなさい。貴方なら、完全同位体とて造り出すことができるはずです」
自分に差し伸べられた手を、ぐいと引き込む。勢い余って自分の方へと倒れ込むディストの、運動にはまったく縁のない骨ばった細い両手首をしっかりと捉えた。そうしてジェイドはそれを、己の首へと導く。ちょうど喉元に、親指が掛かるように。
「じぇ、ジェイド? 一体、何を」
「貴方の言葉を信じるならば、それで私は蘇るのでしょう? ですが……それは本当に私ですか?」
掴んだままの手を、ぐっと喉の奥へ押し込もうとするジェイド。その力に必死に抵抗しながら、ディストは困惑していた。
普段なら冷たく吐き捨てるか、揶揄するような口調でしかジェイドはディストに対して言葉を発しない。
けれど今ジェイドが口にした言葉はそのどちらの口調でもなく、まるで何かを祈るようで。
「同じ姿、同じ声……例え同じ記憶を持っていたとしても、それは私ですか? 今、ここにいるこの私が蘇ったと言うのですか? 答えなさい、サフィール・ワイヨン・ネイス」
血の色の瞳が揺らいでいる。彼には珍しい、どこか不安げな表情で、ジェイドはディストの顔をまっすぐに見つめた。
戸惑うような視線が互いの顔に向けられる。道を別って以降、これほどに相手の心情を知りたいと思ったことは2人とも無いだろう。
そうして。
ディストの感覚が正しければ──涙の一粒もこぼさないまま、確かにこのときジェイドは泣いていた。
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