紅瞳の秘預言11 悲鳴

 薬のせいで意識を取り戻さないジェイドの髪をそっと撫でつけながら、ディストはルークの顔をまじまじと見つめ直した。

「……ありました。ジェイドの泣きそうな顔、見たこと」
「あるんだ。ジェイド、そん時何言ってた?」
「まあかいつまんで言うなら、昔むかしのことですね。……多分貴方にも関係してくることなんだと思いますが、私は良く分かりません」

 ルークの問いに、簡潔な言葉でだけ答える。ネビリムの話題など、当事者の許しも無しに口の端に乗せられるものではない。
 これもまたフォミクリーと同じく、ジェイドは自身の言葉で伝えることを望むはずだ。

「昔? あー、幼馴染みだもんなあ」
「ええ。でも、ほんとそんな顔するようになったのなんてここ最近じゃないですかねえ。私がマルクトを出奔する前に、そんな顔したところ見たことないんですよ」

 昏々と眠り続ける幼馴染みの寝顔は、どこか安堵したように穏やかなものだ。が、この表情とてディストには見慣れぬものである。そもそもジェイドはいつ眠っているのか、というくらいに寝姿を見せない。ごく稀に見ることがあっても、その寝顔に表情はまるで浮かんでいないのだ。精巧な作りをした人形が、目を閉じているかのように。

「ジェイドは、不器用なところがありますから。……いや、ちょっと言い方が違いますねえ」

 軽く首をかしげながら、彼を形容するに相応しい言葉を探す。しばし思考に沈んだ後、ふと認識が間違っていたことに気づいてディストは己の発言を訂正した。

「……ああ、不器用以前の問題なんですか……ジェイドは、まだ感情が未発達な部分があるんでしょうね」

 その方が彼を表すには的確だろうと納得したディストに、ルークが視線を合わせる。外見よりもずっと幼い少年の表情はどこか不安げで、その視線がちらちらとジェイドを伺っていた。それに気づいたディストは少し椅子の高度を下げ、ジェイドの顔を見せてやる。穏やかな寝顔を確認して、ルークが小さくほっと息をついたのが分かった。それもつかの間、僅かに顔を引きつらせながら少年はぼそりと呟きを落とす。

「人が死んで悲しい気持ちが分からない、って言ってたけど、それか?」
「そうですね。一緒に研究してた頃のジェイドは、それはもう冷酷な科学者でしたから……ああ、これも違いますね。感情が分からないから、機械的に研究や実験を行えてしまうんです。単純に何も思わないだけで……それを外から見て冷酷って言うんなら、そうなんでしょうけどねえ。感情が分からないのと分かっていてやるのとは違うんですけどね」

 一息に言い切ってしまうと、ディストははあと溜息をついた。ジェイドを優しいと思ってくれている子どもにその過去を教えてしまうのは彼らの仲を引き裂くようで、独占欲が沸々と湧き出してくる反面どこか後ろめたい思いになる。

「相手が何を考えているのか、感じているのか我が身に置き換えて考えろって良く言いますけど、例えそうしたところでジェイドは理解できなかったんです」

 それでも、言葉を止めようとはディストは思わなかった。ジェイドという人物を知るためには、最低でもその表面上の感情の薄さと、そして裏に隠れているはずの豊かな感情を理解して貰わねばならない。
 まともに向き合うのは今日が初めてである朱赤の髪の少年に、何故幼馴染みを理解して貰おうと言葉を連ねているのかディストは自分自身に疑問を持つ。それでも、きっとこの少年ならば理解してくれるはずだと、何故か確信を持っていた。

「それって、昔の話?」
「ええ、20年近く前になりますかねえ。……ああ、でも人の死に際しての感情が理解できないのはもっと前からでしたよ」

 そうでなければ、瀕死のネビリム先生を治療する方法としてレプリカを構築する、という手段を選ぶはずがありません。
 心の中で呟きながら、ディストはルークの疑問に頷いて答えた。眉を歪め悲壮な表情を浮かべる少年に、さもあらんと小さく溜息をつく。

「ただね。その分の反動が、多分今になって来ていると思います。少なくとも今のジェイドは、人の死に際して悲しむことを知っていますよ。大事な人を失った時に、どんな気持ちになるか知っているから」

 ぽつりぽつりと、ルークに分かるように言葉を選びながら紡いでいく。ほんの僅か、彼には似合わぬ祈りを織り込みながら。

 どうか、貴方たちが気づいてあげてください。
 今のジェイドは、ずっと声にならない悲鳴を上げ続けているんです。
 自身すら気づかぬ、心の奥深くで。

 私には、言及することはきっと許されていないから。


「ルーク!」

 良く通る青年の声が、高い天井に響いた。声のした方向に視線を向けると、金髪の青年……ガイを先頭にルークの同行者たちが駆け込んでくる。シンクと彼に与えた譜業人形に増援のアリエッタと魔物を加えての足止めは、それなりに効果を発揮したようだ。
 ルークに伝えるべきことを伝え終わるまで、時間を稼ぐことが出来たのだから。

「あ。お仲間、来ちゃいましたねえ」

 肩をすくめながらジェイドの身体を抱き直し、そのままディストは椅子ごとふわりと浮上する。それなりの質量が動くことで起きた風が、ルークにディストの動きを教えた。はっとして振り仰ぎ、朱赤の焔が叫ぶ。

「ってこら! ジェイド返せ!」
「まだ無理ですよ〜。私が無事に帰投出来るための保険として、もうしばらくお預かりします」

 あかんべー、と舌を出してみせると、赤毛の子どもが地団駄を踏む様子がよく見えた。そうして、彼を中心に陣を組む仲間たちの様子も。
 追いついてきたガイがルークの前に回り込み、剣を構えた。その肩からミュウがルークの肩へと飛び移り、襟にしがみつく。ティアが素早く彼らの背後に回り、いつでも譜歌を歌えるよう音素の調整に入っている。巨大化したトクナガが腕の中にイオンを抱え込み、アニスを背に乗せて殿を務めていた。
 ディストの腕の中にジェイドがいなければ、譜業椅子は音律士たるティアの譜歌で叩き落とされているだろう。寄せ集めの即席パーティにしてはバランスが取れている、とディストは薄く笑みを浮かべた。あの中に譜術士であるジェイドが加われば、少数精鋭として申し分ない……ああ、敵と距離を取っての戦闘にはいまいち心許ないか。無論、個人の実力に依存する部分も多いのは事実だけれども。
 そう、距離を取っての戦闘には心許ないパーティ。故にディストは空を飛ぶ椅子の上でほくそ笑む。ここならば、彼らが自分に危害を加えることは出来ないと分かっているからだ。

「こらあディストー! 私たち怖いんでしょ、降りて来なさいよお!」
「卑怯者! 降りてきなさい!」
「あっはっは、卑怯者結構。屋上でお待ちしておりますんで、そこまで来てくださいね。ジェイドはそれまで眠らせておきますから」

 アニスとティアの罵声も、今のディストにはささやかな風の声としか聞こえていない。全てはジェイドのためであり、ディストの世界は自身が金の貴公子と呼ばわる彼を中心に回っている。だから、自身は何を言われようともう揺らぐことはない。

「そう言って、旦那連れて帰る気じゃないだろうな!」
「それはないですから。まともに貴方がたとやり合ったら私負けちゃうの分かってますからね、勘弁してくださいよ?」

 叫びを上げる若者たちを尻目に部屋を出て行きながら、ディストは眼を細めた。ちらりと伺うと、じっと自分とジェイドを見つめているルークの碧の瞳が視界の端に見える。どうやら「まだ無理」という言葉の意味を理解してくれたらしい。
 もちろんお返しはしますけれど、そう簡単にってわけにはいかないんですよ。もう少しだけ、彼を休ませてやってください。
 目を覚ましたら彼はきっと、また立ち向かっていくはずですから。


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