紅瞳の秘預言11 悲鳴

「出来るわけ無いでしょう!? この手で貴方を殺して複製しろなんてそんなこと、貴方が生き返るわけでもあるまいに!」

 叫びながらディストは、必死でジェイドの手を振り払った。彼の白い首元は黒のインナーに隠れており、ディストの細い指が痕を付けたかどうか伺うことは出来ない。
 そして、はっと気づいた。
 自身が口にしたその言葉の意味に。
 ──己がこれまでしでかしてきた行いの、過ちに。

「そういうことなんですよ? フォミクリーによりネビリム先生を蘇らせるということは……いえ、蘇るのではない。同じ姿で同じ声の、別人を生み出すだけ」

 うっすらと笑みを浮かべ、ジェイドが頷いた。軽く襟元を直し、寝台から床に足を下ろす。が、そこから立ち上がることはない。顔を伏せた彼の表情は、長い髪に隠されてディストから伺うことは出来なかった。さらさらのくすんだ金髪はディストの好きなもののひとつだけれど、こんなときだけはそれを恨む。

「レプリカは、オリジナルそのものでも単なる複製品でもない、姿形が同じなだけの別人だと」
「ええ。アッシュとルークはオリジナルとレプリカですが、違う存在でしょう? 死んだら、そこで終わりなんです。私が殺した先生は、もう二度と帰ってこないんですよ」

 慌ててその手を取ったディストの視界に、顔を上げたジェイドの微笑が映り込む。それは普段浮かべている感情の伴わない笑みでも、サフィールの名を呼びながら意識を飛ばした時の穏やかな笑みでもなく……空虚な、それでいて心の底から浮かべていると分かる表情だった。
 ディストは思わず叫びを上げようとして、すんでのところで息を飲む。

 それで、貴方は先生を殺した咎を負って生き続けるのですか。
 治らない傷跡を、ずっと抱えたままで。

 そんな台詞を口にしたところで、何かが変わるわけでもないのに。それどころか、きっとその言葉はジェイドを傷つけてしまう。
 それが分かっていたから、ディストは必死に言葉を飲み込んだ。

「私は永遠に許されることは無いんです。貴方も分かってるんでしょう? 言葉を如何に飾ろうと、私は恩知らずの殺人者なのだから」

 それなのにジェイドは、自身を傷つけるはずの言葉を何でもないように口にした。はっと見張った己の目が潤んでしまうのを、ディストは止められない。

「そ、そんなこと、言わないでください……私は、貴方に楽になって欲しかっただけなんですよ……それなのに、っ」
「……ありがとうございます、サフィール。そう思って貰える資格など、私には無いのに」

 思わずうつむいてしまったディストの頬に、青いグローブに包まれた手が伸びた。癖のない赤みがかった銀髪を掻き上げて白い頬に触れた手は、優しい。

「私が楽になれるのは、死んだその時だけですよ。……自殺も出来ない腰抜けですから、誰かが殺してくださるまでずっと生き続けなければなりませんが」

 その、感情をどこかに放り投げてしまったような言葉にディストは顔を上げた。そうして、今目の前にいる幼馴染みが消えていないことにほうと一息をついて……ぼんやりと虚空を彷徨うような眼をしたジェイドを、壊れている、と感じた。
 負荷を掛けすぎて誤動作を起こし始めた、音機関のように。


 コーラル城の屋上。日は既に傾き、少しずつ周囲の空気が夕方へと移り変わりつつあるその場に、一足早く夕焼けの色を髪に宿した少年が飛び出してきた。それを追って次々に飛び出してくるバラエティに溢れた仲間たちを、ディストは見下ろしていた。アリエッタはフレスベルグの背に乗り、ディストは相変わらずジェイドを抱えたまま譜業椅子に座り、共に空中に座している。

「はい、お疲れさまでした。ここが最終地点ですよ、皆さん」

 平然と笑みを浮かべてやると、きーと青筋を立てながらアニスが喚いているのが見える。だがその対象はディストではなく、アリエッタのようだ。新旧の導師守護役ということで、お互いに思うところがあるのだろう。2人とも、今この場にいるイオンが既に死したオリジナルとすり替えられたレプリカであることを知らずに。

「根暗ッタ、あんた一体何考えてんのさ。第一、誰の指示よ!」
「内緒だもん。そうじゃなくても、アニスには教えない」

 んべーと思い切り舌を出すアリエッタ。ディストは肩をすくめると、ジェイドの身体を抱え直した。首筋に銃を模した注射器で薬剤を流し込み、それから声を掛ける。

「ルーク、貴方だけ来てください。他の方は動かないでくださいね〜」
「ん、おう」

 名を呼ばれた少年は、まったく警戒することなく足を踏み出した。慌てたのはむしろ、その周囲を守る仲間たちである。

「ちょ、ルーク様ぁ危ないですよっ!」
「ルーク! 罠だって、行くな!」

 ライガの唸り声とフレスベルグの羽音が流れる中、アニスとガイが両側から止めようとする。それ自体はごく当たり前の行為であるが、ルークは平然と彼らの手を押し止めた。まるで何の不安もないかのように、その顔には自信の表情がある。

「いや、大丈夫だって。待っててくれよな」
「大丈夫って、確信でもあるの?」
「うん。あいつ、悪い奴じゃねーし。だから待ってろって」

 ティアの不安げな表情にも、満面の笑みを浮かべて大きく頷いてみせる。はて、自身はそれだけ彼に信頼されるような言動をしただろうかとディストは首を捻った。少し考えて、それでも分からなかったので思考をそこで停止させることにする。
 何、理解出来なくとも問題はない。今のディストに、ルークに危害を加える気は全く無いのだから。
 自分たちの足元近くまでルークがやってきたのを見て取り、ディストは椅子を下降させた。彼の顔を見てルークは小さく溜息をつくと、よっと片手を上げた。まるで親しい友人に挨拶でもするかのように。

「お待たせ。上手く逃げられそうか?」
「空を行けますからね、ここからでしたら大丈夫ですよ。それにしても、私をそこまで信じて良いんですか?」
「少なくとも、ジェイドを返してくれる気はあるんだろ。次喧嘩売ってきたら容赦はしねえけど」
「まあ、そのつもりはありましたから。お優しいことで、何よりです」

 なるほど、ジェイドに関しては自分は信用されているのだと納得する。そうして、腕の中で眠っている細身の身体をそっとルークの腕に委ねた。移されるときにびくんと身体を震わせたジェイドを、ルークは思わず取り落としそうになって慌ててしっかりと抱え込む。

「ジェイドはお返しします。先ほど中和剤を打っておきましたから、10分もすれば正気に戻るはずですよ。運動機能が戻るまではもう少し掛かりますけどね」
「そっか」

 自分の胸にもたせかけるようにしてジェイドを抱きかかえ、恐る恐るその寝顔を覗き込むルーク。大切な重みと暖かさを失い、少し心寂しい気もするディストであったが気を取り直し、口を開いた。

「ジェイドの服の、左のポケットに音譜盤が入っています。そこに先ほどのデータを全て書き込んでおきましたから、解析機のあるところに行けば引き出せますよ。ケセドニアにある商業ギルドのアスターが確か持っていましたから、バチカルに戻るついでに立ち寄ってみては如何です? 詳しい説明は、追々ジェイドがしてくれると思います」
「ああ、うん。ありがとう」

 親切なのかお節介なのか、ディストがずらずらと並べ立てた言葉をほんの少し時間を掛けて飲み込み、ルークはこくんと頷いた。もっともこの程度の情報であれば、ジェイドが意識を取り戻せば彼の口から流れ出るであろう。それでもディストは、自分の言葉として情報を贈っておきたかった。
 何故かは、分からないけれど。

「……あれ、何か変だな」

 ん、と眉をひそめたルークに、ディストが苦笑を浮かべる。確かに、端から見れば変な光景であることには違いない。

「ふふ、そうですね」

 同行者を拉致された少年と、拉致した犯人が穏やかに言葉を交わしているという奇妙な光景を、少年の同行者たちはどんな表情で見ているのだろうか。近寄りたくとも上空から睨みを利かせているアリエッタのせいで叶わず、おかげでディストはルークに伝えたい情報を余さず伝えることが出来た。

「そのう……誘拐犯がこんなことを言うのも何なんですが、ジェイドのこと、お願いしますね」

 そして、ジェイド・カーティスの幼馴染みであるサフィール・ワイヨン・ネイスとして、彼は真に伝えたい言葉を口にした。

「悔しいんですけど、ジェイドが貴方のことをとても大切に思っているのが分かりましたから」
「へ? ……んまあ、そりゃこいつ、俺のこと守るって言ってくれたしなあ」

 ルークは眼を丸くして、それから自分なりにディストの言葉を理解して頷く。意識が戻り始めたのか、ルークの腕の中で身じろいだジェイドに視線を向けて、貴方も苦労しますねと心の中でディストは呟いた。この幼い子どもが彼の心境を理解するのに、これからどのくらい時間が掛かるのだろうか。

「それから、彼に伝言をお願いします。『承りました』、とそれだけ伝えていただければ分かりますんで」
「? あ、ああ、分かった」

 ぱちん、と自分に似合わないと思いつつディストはウィンクして、最後の言葉を告げた。少年がその意味を図りかねつつも頷くと、手早く椅子を上昇させる。いくら何でも、そろそろヴァンがこの場に姿を現すであろう。これからは忙しくなる、その前にヴァンに捕縛されてはたまらない。さっさと消えておきたかった。

「さ、帰りますよアリエッタ。それでは皆さん、またお会いしましょうっ!」
「はい。ルーク。また、です」
「こらー根暗ッタ、ディストぉ! 逃げるなーっ!」

 魔物の背から手を振る少女に、アニスが青筋を立てながら叫ぶ。が、ディストもアリエッタもその悪態は聞き流し、あっという間にルークの髪と良く似た色に染まっていく空へと消えた。本当に、空を飛ぶ能力があるというのは便利だ。


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