紅瞳の秘預言11 悲鳴

「これまでの研究結果を記録してあります。まずは目を通してください」

 ポケットに入っていた音譜盤を取り出して、ディストに手渡した。はい、と小さく頷いてディストは、ジェイドの様子を気にしながらも装置に掛ける。
 やがて、ディストの目の前に浮かんだ光の画面にざっと内容が映し出される。次々に浮かび上がるフォニック文字やグラフをじっと目で追い続けていたディストだったが、それに従い化粧をしたその顔色が青ざめていく。

「ジェ、ジェイド、これは……」
「手伝って欲しいんです。私だけでは時間が足りないし、力の及ばない場面もこれから増えてきます。そんなときに、貴方の力を貸して欲しい」
「大爆発回避と、音素乖離治療の研究をですか」

 『記憶』を得てから2年と少しの間、ジェイドがピオニーの協力の下再開したフォミクリーに関する研究。ディストが眼にしていたのは、その現時点までの成果だった。
 ルークとアッシュをそれぞれのままに生還させるためには、ルークの音素乖離及び2人の間に起きることが予想されている大爆発を回避しなければならない。それにはどうしても、ジェイドよりも既にフォミクリーに関しては詳しいはずのディストの協力が必要となる。
 だからこそジェイドは、コーラル城にいるはずの幼馴染みとの接触を狙っていた。意図的では無かったが、ルークの身体検査よりも先に接触が叶ったというのは彼にとっては最善手である。

「私は既にフォミクリーから離れて久しいですからね。貴方がマルクトを離れてから手を加えた部分も、多々あるのでしょう?」
「それはまあ、確かにそうですが。私の力が必要とあれば、いくらでも協力させていただきますよ」

 ジェイドの問いに、ディストは画面から目を離さぬまま頷く。細い指が操作盤の上を滑らかに動き回る様子を見て取り、まずは第一段階をクリア、と心の中でジェイドは呟いた。
 他にも、彼に頼みたいことはある。これもまた、ディストとの接触を狙った理由。

「助かります。それ以外に、もうひとつ……私には出来そうにないことをお願いしたい」
「あ、貴方に出来そうにないこと? それって、私にも無理じゃないですか?」

 彼には似合わぬ言葉の入った台詞に、画面から思わず目を離すディスト。視線の先では、寝台の端に座ったままのジェイドが穏やかに微笑んでいる。以前はよく見た冷たく嘲る笑みを、そう言えば此度はまったく見ていないとディストはこのとき初めて気づいた。
 だからだろう。ディストがジェイドの協力要請に、一も二も無く是を唱えたのは。

「そうでもないですよ? ──アッシュを、ヴァンの呪縛から解放してあげてください。彼には、バチカルでずっと待っているひとがいる」

 私には、ひとのこころを救うことは出来ませんから。
 だからだろう。ジェイドの言葉の中に混じったその感情に、思わず耳を塞ぎつつも頷いたのは。
 バチカルで、アッシュを待っている人物。ディストには心当たりは数名あったが、ジェイドの声色からして恐らくこれであろうという候補を1人選び出す。
 ナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディア王女。ルークの……アッシュの婚約者である、民の信望厚い金の髪の姫君。

「……ナタリア王女ですか」
「さすが、貴方なら分かってくれると信じていましたよ。……ええ、彼女は幼い頃婚約を交わした『ルーク』が戻ってくるのをずっと待っている。今でこそルークの記憶が戻ることを待っているわけですが……本当はアッシュですからね。アッシュ自身、ナタリア王女の言葉を支えにして自身を保っているのではありませんか?」

 ジェイドの言葉を最後まで聞き終えたディストの目は、どこか不審な色を湛えていた。軽く眉をひそめ、眼鏡の位置を手で直してからディストは立ち上がり、ジェイドの傍まで歩み寄る。じっと見下ろす彼の視線が、不思議そうに見上げたジェイドのそれと絡まった。

「何で、貴方はそこまでご存じなんですか? いくら貴方がジェイドであっても、妙に詳しすぎます」
「私は貴方にとって、どういう扱いなんでしょうねえ? 一度頭を開いて見てみたいものですよ」

 くすりと顔を綻ばせながらジェイドは肩をすくめる。が、その直後彼の表情は僅かに険しく歪んだ。
 これ以上は、黙っていることは出来ない。ディストとてかつては己と肩を並べ、共に歩んだ男だ。
 いずれ知れることならば、先んじて明かしておくべきだとジェイドは心を決めた。

「……信じて貰えないと思いますが……一度、この時間を通り過ぎたことがあるんです。今から2年以上先までの時間を、私は一度経験しています」

 ピオニーに語ったときと違い、それほど説明する時間があるわけではない。故にジェイドは言葉を選び、紡いでいく。告げるべきは……未来の中で、自身が犯した罪の『記憶』。

「その時間の中で……今からすると未来に当たる時間になりますが、私はルークに酷いことをした。何も知らず、知らされずに道具として使われたあの子を、悪し様に罵って見捨てたんです」

 ──ここにいると、馬鹿な発言に苛々させられる。

 馬鹿な発言なんて、自身が過去に口にした言葉の繰り返しだったのに。

「一度は拾い上げました。けれど……私はあの子に、世界のために死ねと言った。1万の作られた命を道連れに消えて、世界を救えと」

 ──私は、もっと残酷なことしか言えませんから。

 ──恨んでくれて結構です。貴方がレプリカと心中しても、能力の安定したオリジナルが残る。
 ──障気は消え、食い扶持を荒らすレプリカも数が減る。いいことずくめだ。

 自分を慕ってくれた幼い子どもに、死を突きつけた。例えそれが三大勢力の長の代弁であっても……口にしたのは、自分。

 元よりそのような無慈悲な発言を、敬愛するピオニーにさせるつもりはなかった。
 ルークにとっては伯父に当たるインゴベルト王にも、少年が淡い恋心を抱いていたティアの義祖父であるテオドーロ市長にも。
 これは、フォミクリーという技術を世に生み出したジェイド自身の罪なのだから、自身が処刑宣言を行うのが当然だったのだ。
 それでルークが自分を憎んでくれれば良かった。彼を殺すのは自分なのだから……全ての罪は、自分が持っていくつもりだった。
 けれど。

「あの子は笑って、自分が死ぬと言いました。私を憎むどころか、罵ることもせずに」

 涙を流さないままの泣き顔が、ディストの視界を占拠する。ほんの僅かばかり浮かんでいた感情を必死に奥底へと押し戻しながらジェイドは、熱に浮かされたように言葉を紡ぎ出した。ひた隠しにされた感情は、彼の顔から表情を失わせていく。

「あの子に押し付けることなんてなかった。私が死ねば良かったんです。身体に譜陣を刻む術なんてとっくの昔に心得ていたのだから、第七音素を操る譜陣をこの身に刻んで、あの子の代わりに1万人のレプリカを巻き込んで私が消えれば、そうしたらあの子はもっと生きていられて、アッシュとも仲直りできて、それで」

 きっと、私の代わりに貴方が助けてくれた。

 まるで人形のような……あるいは必要最小限の知識だけを刷り込まれたレプリカのような空虚な表情で、ジェイドは呟いた。

「ジェイド!」

 ディストの手が、ジェイドの両肩を掴んだ。そのままがくがくと激しく揺さぶる。ぼんやりとしたままのジェイドを、虚空から引き戻すために。

「ジェイド、戻ってきてください。貴方らしくもない!」

 何度も揺さぶっているうちに、真紅の瞳が僅かに焦点を結んだ。それと共に、端正な顔は急速に表情を取り戻していった。

「……すみません。サフィール」

 泣きそうな笑顔で名を呼ばれてディストは、やっと現実へと引き戻された友の目を覗き込む。それでもまだどこか虚ろなままの真紅の瞳を見ていられなくなり、ポケットから手の中に収まるほどの銃を模した注射器を取り出した。本来ならばカイツール軍港でルークに打ち込んでいたはずの麻酔薬が入っているそれをジェイドに使うのは気が引けたが……壊れてしまいそうに笑いながら己を傷つける言葉を紡ぎ続ける彼を見ているよりは、よほどマシな選択だと思える。

「今生きているルークは、私が殺したルークとは別人なのかもしれません。それでも、私はルークに生きて欲しい。死んで欲しくない、一方的な贖罪だと分かっていても、それでもっ……」
「…………少し、考えさせてくれますか」

 ディストの手の中にある物体にも気づかず、ジェイドはなおも言葉を発し続けた。一度ぎゅっと目を閉じてからディストは、ぐいとジェイドの襟元を引き開けるとそこに銃口を押し込んだ。一気にトリガーを引き、中にある無色の液体をジェイドの体内へと送り込む。その時になってやっとジェイドは、ディストが自身に何をしたのか気づいたようだ。目を見開いて、目の前にいる幼馴染みを信じられないという表情で見つめる。

「きっと疲れているんですよ。しばらく休んでください、ジェイド」
「……サフィ……」

 即効性の薬剤は、ジェイドに対しその効力を存分に発揮した。瞬く間にジェイドの意識が混濁し、見開かれた目は間もなくずり落ちてきた瞼の中に消える。やがて眠りに落ち、反応を失った細い身体を抱きしめて、ディストはそっと頬をすり寄せた。


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