紅瞳の秘預言12 変化

 カイツール軍港に戻ると、既に日は地平線の下に隠れようとしていた。さすがに夜間の出港ははばかられるということで、ルークたち一行は一晩を軍港で過ごすことになった。
 が、その前に一仕事が残っている。今回の問題についての、カイツールにおけるキムラスカの責任者への説明と謝罪だ。結果的に大した被害は無かったものの、混乱を引き起こし予定の変更を余儀なくされたと言う点において謝罪は免れない。

「では、アルマンダイン伯爵に報告を入れて参ります。落ち着かれましたら、導師もお出ましを願いたい」
「分かりました、ヴァン。手間を取らせます」

 固い表情で会話を交わし、事前説明を引き受けたヴァンは一行を後に去っていった。その背中を見送っているルークの隣で、ガイがぼそりと「イオン様も辛いとこだな」と呟く。その言葉を聞きとがめ、ルークは金髪の青年を不思議そうに見上げた。

「何で?」
「今回の問題を起こしたのは六神将だろ。連中はローレライ教団の人間で、つまりはイオン様の部下ってこった。その部下が和平交渉に訪れた使者を拉致って危害を加えたわけだからな」

 さらっとガイが説明を加えてやると、「そっか」と納得したようにルークは頷いた。それから、ちらりと視線を向けた先は当の『拉致された使者』たるジェイド。

「まあ、私は無事でしたから良いんですが」

 かなり薬物の作用も抜けたらしく、馬車を降りてからは自身の足でゆったりと歩いていた彼は、周囲を行き交うキムラスカ軍人の視線に晒されながら穏やかに微笑んでいる。ただでさえ長身であり端正な容姿を持つジェイドだが、キムラスカの国内にあって青いマルクトの軍服を着用しているのだから極度に目を引く。……故に、赤い髪を持つルークやその姿を知られているはずのイオンにはさほど視線を向けられることはないのだが。

「いえ、大佐がよろしくとも両国間の世論も問題ではないでしょうか? それこそマルクトの皇帝陛下にでも知られたら……」
「私が使者である時点で、そういった問題はある程度織り込み済みなんですよ。だからこそ、護衛部隊もいないわけですから」

 ティアのどこか不安げな問いを、ジェイドはさらりとかわす。
 ジェイドの持つ『記憶』により、六神将が妨害活動を行うことは事前に分かっていた。故にタルタロスの大多数の乗員をエンゲーブで一度下ろして別行動させ、セントビナーから帰還させた。殉職者を少しでも減少させ、世界を『記憶』とは異なる未来へと向かわせるために。
 それに、同行者たちに説明の叶う別の理由も存在する。

「……貴方1人で多少は何とかなるから、でしょうか?」
「はい。まさかあんな強硬手段に出られるとは思いませんでしたが……それに、万が一交渉が決裂した場合でも犠牲は私だけで済みますからね」

 現在は封印術でその大半を封じられてはいるが、本来のジェイドの譜力は強大なものだ。下手に部下を使った大規模戦を行うよりも、1人戦場の中央で上級譜術を放った方が早い状況もある。ピオニーもそれを知っているからこそ、ジェイドの単独行を許した。
 そして、使者が1人であれば交渉決裂の際に戦力低下を心配する必要がない。その1人が『死霊使い』ということでマルクトの士気低下は免れないだろうが、そこはピオニーの腕の見せ所だろう。
 ──そも、ジェイドがヘマを打たない限り和平交渉は受け入れられるのだが。そう、『記憶』は語っている。

「そう言うの、俺は苦手だな……それに、六神将に狙われたのって俺じゃねーか。ヴァン師匠、気づかなかったみたいだけど」

 だが、『記憶』を知らぬルークは顔を歪めた。血なまぐさい世界から引き離されて育てられてきた少年は、駆け引きや犠牲などと言ったものに対して眉をひそめ、首を横に振る。

「構いませんよ。貴方を守ると申し上げました」
「だから守られてばっかはいやなんだって」

 眼を細めて笑うジェイドにふて腐れた顔を見せてルークは、わざと青い左の腕を軽く叩いた。びくり、とジェイドが顔を歪めるのを見てアニスもぷうと膨れてみせる。

「そーですよお。だいたい、ルーク様を守って大佐が無茶ばっかするから、怪我するしさらわれるしで散々な目に会ってるんですよ。気をつけてくれないと困りますぅ」
「みゅ〜! ご主人様、ジェイドさんが痛いのいやですの! ボクもジェイドさんが痛いの、いやですの〜!」

 ルークの足元でミュウがくるくると回りながら、子どもたちに賛同する。と、ルークの顔がかっと紅潮したかと思うとブーツが空色の頭を踏みつけた。

「うっせうぜぇ黙れブタザル」
「みゅみゅみゅみゅみゅ〜」
「ルーク! もう何度も言ってるでしょう、ミュウをいじめるのはやめなさい!」

 悪態をつくルークと潰されて悲鳴……と言うには愛らしい声を上げるミュウ、そしてルークを止めるティア。短い道中ですっかりおなじみになってしまった光景をガイとアニス、そしてイオンは苦笑混じりの表情で眺めている。その中でガイは同じように苦笑しているジェイドを振り返り、その左腕を柔らかくさすりながら口を開いた。

「ルークのわがままはともかく。旦那だって和平交渉におけるマルクトの代表なんだから、ちゃんと守られてくれよ。皇帝陛下だってあんたの犠牲は望んじゃいないだろ」

 その行為が肩の傷を労っているものだと気づき、ジェイドはぽんと彼の手に自身のそれを重ねた。それから少しおどけたように表情を崩す。

「十分気をつけますよ。ですが私の場合、これまでの悪行が悪行ですからねえ。今もいつ背後から刺されるかと心配で心配で」

 冗談めかして言うが、周囲から突き刺さる視線の鋭さは尋常ではない。
 ミュウが名前をはっきりと口にしたため、それを耳にした兵士や作業員の中にはこの優男がかの『死霊使い』ジェイドであると気づいた者もいるだろう。そのうち、どれだけの人数が直接・間接的に彼から被害を受けているのか。

「心配って顔してねーぞ」

 ルークがあきれ顔で言う通り、口で心配などと言っている割にジェイドの表情は明るいものだった。普段から浮かべている意味のない笑顔で、平然と周囲を見渡している。
 これは恐らく、『死霊使い』の二つ名が一人歩きしてしまっているせいだろう。あまりに恐ろしい相手だと認識されているために、敵意を込めた視線で睨み付けるくらいしか兵士たちには出来ない。直接攻撃を仕掛けようものなら自身も使われる死霊の一員となりかねないという恐怖が、彼らにジェイドへの加害を躊躇わせているのだ。
 ジェイドに向けられている視線の中に、敵意と共に恐怖の念が含まれていることに気づいたのかガイが溜息をついた。かなり大げさとも思える仕草で肩をすくめ、青い眼を細める。

「まあ確かに、マルクト軍人がキムラスカ相手にやることと言えば基本は悪行になるか」
「キムラスカ、だけじゃないんですけどね」
「ん? 旦那、何か言ったか?」

 ぽつりとジェイドが呟いた言葉を聞きとがめたのは、金髪の青年だけだったようだ。赤毛の少年と青いチーグルの仔は、同じように目を丸くして不思議そうな表情を浮かべ、2人を見比べている。

「いえ、何も」

 ジェイドが軽く首を振って答えると、くすんだ金髪が彼の表情を僅かに覆い隠した。


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