紅瞳の秘預言12 変化

 そろそろヴァンが話を通しきっただろうという頃合いを見計らい、ルークたちはキムラスカ軍の宿舎へと移動した。見張りの兵士をジェイドの笑みひとつで凍らせて中へ入ると、アルマンダイン伯爵が待ち構えていた。

「おお、これはルーク様。大変にご無沙汰をしております」

 そう伯爵が挨拶すると、ルークはきょとんと目を丸くした。大きく首をかしげたのに、おやと僅かに眉をひそめて伯爵は名乗りを上げる。

「覚えておられませんか? 幼い頃バチカルのお屋敷で一度お目にかかりました、アルマンダインにございます」
「……覚えてねえや。悪い」
「いえ、こちらこそ不躾に失礼いたしました。ルーク様はまだお小さかった頃ですからな、致し方ありません」

 そう言えば、ルークの拉致と記憶障害は公になっていないのでしたね。

 素直に謝るルークとゆったり頷く伯爵を見比べつつ、ジェイドはその横に控えているヴァンをそれとなく伺った。バチカル最奥部に位置するファブレ公爵家を頻繁に訪れ、今またカイツールの軍司令官の副官然として構えているその姿は、制服を除けば神託の盾主席総長と言うよりはキムラスカ軍の指揮官と言った方が相応しくはないだろうか。
 そのヴァンはジェイドの視線を軽く受け流しつつ、導師に手を差し伸べた。

「イオン様。アルマンダイン伯爵には此度の件、お話ししておきました」
「はい」

 名を呼ばれ、イオンは一歩踏み出してルークの横に立った。背中をアニスに守られながら頭を垂れる。

「伯爵。我が僕の不手際、どうかお許しください」
「ダアトからの誠意ある対応を期待しておりますぞ。ことは国際問題ですからの」
「はい、分かっております」

 『記憶』よりも、伯爵の口調は幾分感情が抑えられたもののようだ。カイツール軍港の被害がほぼ皆無であることを思えば、さほど不思議ではない。単に和平交渉の使者を襲撃されたことで、キムラスカ側がダアト側に対し優位に立とうとしているだけの話。

「そうだ。伯爵から親父に、伝令出して貰えないかな?」

 不意に、何事かを考えていたルークが声を上げた。これもジェイドの中にある『記憶』のままで。

「ご伝言でございますか? 伝書鳩を使えばバチカルご到着前にお伝えできると思いますが」
「そっか。じゃあ頼む。マルクトから和平交渉の使者として導師イオンと、それからジェイド・カーティス大佐を連れて行くって」
「……ジェイド、ですと!?」

 内容もまた、同じものだった。無論、ジェイドの名を聞いたアルマンダイン伯爵の顔がさあっと青ざめる瞬間の表情までも。
 が、次に口を開いたのは『記憶』とは別の人物だった。

「いやルーク、お前少しは空気読め」

 少年の肩をぽんと叩き、肩を落としてガイが呟く。「何で?」と不思議そうに金髪の青年を振り返るルークに、ジェイドはくすりと髪を揺らしてから言を紡いだ。

「いえ、構いませんよ。誰が向かうのか先にお知らせしておいた方が、バチカル側も相応の準備が出来るでしょうし」

 考えてみれば、『記憶』の中ではどうやらバチカルにジェイドの名は伝わっていなかったらしく、港に出迎えたゴールドバーグ将軍とジョゼット・セシル少将はその名を聞き顔を強張らせていた。もしその名が伝えられていたら、彼らはどうジェイドを出迎えたのか……これは単純な、自身の興味。

「……そなたが、かの『死霊使い』か」

 ようやっと、伯爵がその名を口の端に乗せた。ジェイドは軽く眼鏡の位置を直し、薄い笑みを浮かべる。二つ名に相応しい、冷たい笑みを。

「はい。ご挨拶もせず大変失礼を致しました。マルクト皇帝ピオニー9世陛下の名代として、和平提案の親書を預かっております」
「なるほど。それにしては大変貧相な使節団ですな」
「ここに来るまでに数多の妨害工作がありました故、少数で動いております。どうぞお許しを」
「なあ、伯爵。みんな、俺のことを助けてくれたんだ。頼む」

 一瞬にして室内の気温を引き下げた2人の睨み合いの間にルークが立った。言葉を掛けられた伯爵は、もうルークに視線を合わせようとはしない。冷や汗を掻きながら彼はかすれる声で、答えを喉から引きずり出した。

「……承知しました、ルーク様。急ぎ鳩を飛ばしておきましょう。今宵はゆっくりお休みください」


 そうして、夜は更ける。
 全員揃って夕食を取った後、席を立ったヴァンを除く面々は何となく男性陣に割り当てられた部屋に集まっていた。お茶を飲みながら、とりとめのない話に花を咲かせている。時折ちらちらとジェイドに向けられる視線が心配の色を帯びていて、彼は肩をすくめた。どうやら全員、人質になっていたジェイドの体調を案じているらしい。

 そこまでヤワじゃ無いんですけどね。もっとも、今の状態では言っても信じて貰えませんか。

 軽く左の指を動かしてみる。ディストの譜業機関を利用した治癒術は高い効果を発揮してはいたが、それでもやはり感覚も動きも僅かに鈍いままだ。これはもう仕方の無いことだと諦めて、ジェイドは思考の海に潜る。
 ヴァンは再びアルマンダイン伯爵の元へ向かったらしい。今後の動向についての打ち合わせ、ということのようだ。

 何故に、神託の盾の主席総長がキムラスカの軍司令官と打ち合わせなんでしょうねえ。まあ、私のことでしょうが。

 胸の内で呟いてジェイドは、レンズの奥で眼を細めた。
 この時点でキムラスカの上層部はローレライ教団大詠師派とかなり癒着しており、共にマルクトを滅ぼすための策略を練っていることは『記憶』を分析した結果として理解している。
 ローレライ教団はユリアの預言を成就させるため、キムラスカは自国を未曾有の繁栄に導くため。
 戦端を開く贄としてルークと、そして彼に同行することになるジェイドが選ばれることは目に見えている。
 ルークは預言の通りに、鉱山の街と共に消される。
 ジェイドはマルクトを混乱させるためだろう。場合によっては彼がルークと、そして同行するであろうナタリア殺害の実行犯だなどと濡れ衣を着せられるかもしれない。マルクトに対する戦争を仕掛けるには、その方が大変好都合だ。
 問題は、2人をアクゼリュスへと導く手段。ルークは預言を中途まで教え、さらにヴァンが少し優しい言葉を掛けてやればそれで済む。だがジェイドはそうはいかない。
 『死霊使い』を贄に捧げるためには、和平交渉を受け入れた後親書に記されているアクゼリュスへの救援を手配し、ジェイド自身が向かうよう手配せねばならない。そうでなければキムラスカが和平の使者を陥れ死に至らしめたと見なされ、マルクト側にキムラスカへの進撃を許すことになる。しかしアクゼリュス救援の最中に彼が死ねばそれは任務に忠実であったが故の死であり、キムラスカはそこまで責任を負う必要はない。逆にジェイドをルーク殺害犯とすることでキムラスカ側の士気は上がり、マルクト領への進軍は容易なものとなる。
 キムラスカとしては戦闘自体はマルクトの領土で行い、自国の荒廃を少しでも減らしたいと考えているはずだ。故にジェイドは、アクゼリュスへ辿り着くまでは自身がキムラスカによって殺されることは無いと踏んでいる。
 『記憶』の中にある東ルグニカ平野での戦闘では、キムラスカ側の指揮を執っていたのは他でもないアルマンダイン伯爵だった。その侵攻はかなりの速度で行われていたし、伯爵には確かモースが付き添っていたはずだ。
 アクゼリュスへルークとジェイドが向かうこと、対マルクト戦の司令官がアルマンダイン伯爵であること、神託の盾の存在。

 全てこの頃から仕組まれていた訳ですか。まったく、ヴァンデスデルカには頭が下がりますよ。

 小さく溜息をついて、ジェイドは肩をすくめる。いずれにしろ彼と顔を突き合わせないだけで、気分はかなり楽になった。正直なところ、自分に好意を抱いてくれていることが丸分かりなディストと会話している方がずっと気楽でマシだ。


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