紅瞳の秘預言12 変化

「なあ、ジェイド」

 そんなことを考えていたジェイドの耳に、己の名を呼ぶ声がした。そちらを振り返ると、ルークが空っぽになったコップを指先でちまちまと弄んでいる。碧の瞳は、じっとジェイドの真紅の瞳を見つめていた。

「何です? ルーク」
「あのさあ。コーラル城にあったあの音機関、結局何だったんだ? 俺は身体検査されただけだったけど、本来は別の使い方があるってあいつ言ってた」

 少年の口から出た言葉に、肩をすくめつつ溜息をつく。そんな言い方をすれば、この実年齢7歳の子どもが興味を持たないわけが無いだろうに。自身が眠っている間に、あの幼馴染みは一体何をこの子に話したのか。

「そんなことまで言ったんですか、あの洟垂れ」

 思わず眉間を揉みほぐしつつ答える。これはあの音機関について説明せねばなるまいか、と軽く頭を振ってからルークに向き直る。と、赤毛の少年は僅かに首をかしげていた。

「うん。って洟垂れ?」
「ディストが私の幼馴染みであることも、彼から聞いているんでしょう? 昔はしょっちゅう鼻水を垂らしていたんですよ」
「へー」

 ディストの呼び方に対して疑問を持った少年に簡単に答えを教えてやると、ルークは小さく頷いて納得したようだった。もっとも、鼻水を垂らしていたのは住んでいたケテルブルクが寒い土地柄だったせいもあるのだが、そこまで口にする必要は無いだろう。
 それよりも、あの音機関については説明しておいても構わないか、とジェイドは胸の内で考えをまとめた。
 『記憶』の中でルークが己をレプリカと知ったのはアクゼリュスが崩落した後だったが、そこまで長引かせるとアッシュとの和解が遅れてしまう、とジェイドは考えている。そのせいでアッシュはエルドラントで生命を徒に散らし、ルークも消えた。ジェイドはその結末を、今生きている彼らに迎えさせるつもりはまったく無い。
 故に、まずは基礎知識としてフォミクリーに関する事項を教えておいても問題ではあるまい。

「……まあ、良いでしょう」

 だから、そう言葉を紡いだ。

「ジェイド!」

 が、その言葉への返事は別の方向から響いた。その主は、黒髪の導師守護役を従えた、緑の髪の少年。
 ルークと同じ、オリジナルの代役たるレプリカとして生み出された存在。
 そう言えば『記憶』の中でもイオンは、ルークにレプリカ問題が知れることを避けていたように思える。今考えると、あれはルークが自身をアッシュのレプリカと知ることによるアイデンティティの崩壊をイオンが恐れていたのだろうか。
 だが、『記憶』の中のルークはそこから這い上がり、死の直前には自身を確立していた。ならば、今目の前に生きているルークにもそれは叶うはずだ。

「イオン様、いずれは知れることです。それに、自身の家が所持している城の中に存在するものの正体が分からないというのは、気味が悪いと思いませんか?」
「……ですが」
「知らなかったが故に、傷つくこともあるんです」

 二度と過ちを犯さないために、ジェイドは言葉を続ける。
 今生きているルークが、『記憶』の中の彼のように無知故に孤立してしまわないために。
 ジェイドには珍しい、ほんの僅か感情の入り交じった言葉に、イオンは思わず息を飲んだ。迫力負けしたかのように、椅子にへたり込む。それを確認してから、ジェイドはルークを振り返った。そこでやっと、2人の言い合いという珍しい光景に他の仲間たちの視線が集中していることに気づく。まあいいかと苦笑を浮かべて、尋ねられた問いへの答えを口にした。

「……コーラル城の音機関でしたね。あれは、フォミクリーという技術を稼働させるための譜業機関です。元々はマルクトで完成された技術なんですが、ディストが流出させたようです」
「ふーん。どんな技術なんだ?」
「端的に申し上げれば複製品……レプリカを作る技術ですね。あるものからその情報を抜き取って、姿形までそっくり同じものを作ることが出来るんです」

 視界の端で、イオンが微かに唇を噛む。それに気づかぬふりをして、ジェイドは子どもたちの表情を見回した。事情を知らぬ彼らの顔は、単純に未知の情報に期待する幼子のようだ。ただ1人ガイだけは、訝しげに眉を歪めてジェイドとイオンを見比べているのだが。

「複製って、複写機みたいなものでしょうか? 大佐」
「ちょっと違いますね。まあ、似たようなものですが」
「へえ、そらまた便利だなー」

 ティアの問いをさらりとかわしたジェイドを見つめるガイの表情に気づかないまま、ルークが感心したように言う。問題点さえ無ければ、確かにフォミクリーは便利な技術であろう。

「ええ、確かに便利ではありますが問題点がありまして」
「問題点?」

 だが、問題があるからこそその技術はジェイドが封じた。内容を伝えてしまえば勘の良いガイやルークは気づいてしまうかもしれないが……今の時点で証拠は乏しいはずだ。
 気づかれてしまったならば、その時はその時だとジェイドは覚悟を決めていた。

「まず、現在のフォミクリーによって生み出されたレプリカは、第七音素のみを使用して構成されています。ですがその結合が少し弱くて、普通にある存在、即ちオリジナルよりも音素乖離の可能性が高いんです」
「長持ちしにくい、ということですか?」
「分かりやすく言えばそうですね。ただ音素乖離はオリジナルでも起きることのある問題ですから、これはまあ良しとします」

 最初の問題点。これは開発当時からジェイドが頭を悩ませていた問題だった。
 音素結合の弱さが何処に起因するものかが判明せず、故に根本的な対策を取ることが出来ないでいた。
 今でもはっきりした原因は割り出せてはいないが、意識集合体であるローレライが惑星上空の音譜帯ではなく地核内に位置していることが要因のひとつなのではないかとジェイドは推測していた。『記憶』の中でヴァンは、レプリカを構成する第七音素がローレライに引かれるために音素乖離が起きやすい、と言っていた。故に彼は世界をレプリカに置き換えた後、ローレライを消滅させることを決めていたのだ。また、エルドラントの戦いが終わった後自身が再開したレプリカ研究の結果も、それに近いデータを残している。もっとも、それだけが要因なのではないだろうが。

「ふたつめは、オリジナルから情報を抜き取る際に発生する問題です。時折なんですが、レプリカ情報を抜き取るときにオリジナルに多大な負担を与えることがあります。結果、オリジナルが消滅してしまうことがあるんです」
「複製を作るのに、本体が壊れてしまうのか。そりゃ本末転倒だな」
「はい」

 ふたつめはかなり単純ながら大きな問題点である。ガイが口にしたように、複製品を作成するためにその本体が破壊されてしまうという本末転倒。
 ──ネビリム先生のレプリカを作ったために、負担を掛けられて本当の先生は死んでしまった。
 あれから何年も研究を重ねたけれど、結局その確率の軽減も原因究明も出来はしなかった。
 アッシュにその問題が起きなかったことだけが、幸い。

「最後のひとつ。これが最大の問題でしてね」

 そしてジェイドは、最後の問題点を挙げる。これこそが、ジェイドがフォミクリーを封印したその理由。もっともジェイド自身は当初それを問題と思ったことは無く、ピオニーの再三の叱咤がその問題点を彼に気づかせた。
 そこまでに犯し尽くした罪は、覚えているには重すぎて。
 それでもジェイドは忘れることなく、罪を自身に刻み込んでいる。

「複製出来るのは、無機物だけではありません。家畜、魔物……人間といった生命体も、複製出来るのですよ」
「……っ!?」
「マルクトはそこに目をつけ、研究を推し進めました。何しろ、応用すれば使い捨ての軍隊を編成することも出来ますからね。レプリカの元となる情報さえ残っていれば、複製はいくらでも作り出せますから」

 それは、被験体の1人であったヴァンも分かっていたはずだ。だからこそ『記憶』の中の彼はレプリカによる軍を組織しアスランを殺し、エルドラントを守らせた。レプリカ情報とフォミクリー装置さえあれば、戦力を際限無く注ぎ込めるから。

「しかし、量産出来るとはいえレプリカ生命体もそれ自身一個の生命であることには違いない、という批判が上がりました。さらに複製体ですからそれらには元となったオリジナルが存在する。それらの扱いをどうすべきなのか、などといった人道的、倫理的観点からの批判が強く起こりました。それで、生体レプリカについては封印され、禁忌とされることとなったんです。また無機物のレプリカ作成についても、応用すれば生体レプリカを生み出せることから事実上封印状態となっています」

 一息に言い終える。ディストの口調が伝染ったか、と思いながらも言葉を止めることが出来なかったのは、やはりフォミクリーという罪に対する後ろめたさがあるからだろうか。


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