紅瞳の秘預言12 変化

 と、じっと押し黙ったままジェイドの話を聞いていたガイが、右手を小さく挙げた。

「……旦那。ひとついいか?」
「どうぞ、ガイ」

 ジェイドが頷くと、金髪の青年は真紅の瞳を睨み付けるように見つめた。瞳の奥にある何かを探るような視線を向けたまま、彼は問いを口にする。

「そのフォミクリーとやらについて、あんた何か妙に詳しくないか。内部から批判が上がったってのは分からなくもないけど、難点はあまり表に漏らすもんじゃないだろ」
「詳しいのは当然ですね」

 小さく頷いて眼鏡の位置を指先で直すと、ジェイドはガイの青い瞳を見つめ返した。元々隠すつもりでも無かったが、ここで己の罪を明らかにしておけば後々ルークの正体がばれたとて恨まれるのは自身のみで済む。

「元々フォミクリーを生み出したのは他でもない、この私ですから。当時はまだバルフォアの姓でしたが」
「ジェイドが?」

 うっすらと笑みを浮かべて答えると、ルークがきょとんと目を丸くした。それからああ、と小さく頷いて手をぽんと叩く。

「そういや、元々研究畑って言ってたもんな」

 一度だけ口にしたことを、この少年はちゃんと覚えていてくれたようだ。「ええ」と吐息に紛れるような密やかな声で答え、ジェイドは言葉を続ける。

「フォミクリーの基本的な理論を構築したのは私です。ですが譜術技術として完成させるには難易度が高すぎ、また欠点もありました。そこで共同研究を行っていた私の友人のサフィールが、不備を音機関にフォローさせる形で研究を進め譜業技術として完成させたんです。コーラル城にあった音機関は、マルクトで開発されたフォミクリー装置の改良型でした。恐らく彼が、ダアトに移ってから研究を重ねたんでしょうね」
「サフィール?」
「ディストの本名です。サフィール・ワイヨン・ネイス」

 イオンが不思議そうに問い返すのも無理はない。ローレライ教団の中では、ほとんど聞いたことのない名だろう。
 故郷ケテルブルクでは『譜術のバルフォア、譜業のネイス』と並び称される友の名を、ジェイドはゆっくりと口にした。
 聞き慣れない名は、彼が普段は本名で活動していないから。だからジェイドも、人前ではあまり本名で呼んでやらないことにしている。それを久しぶりに人前で呼んで、響きは嫌いではないと感じた。


 ジェイドの話を聞き終えた後1人部屋を出たルークは、廊下のガラス窓をじっと見つめていた。
 夜の帳が降りた今、明るい室内と暗い外界を仕切ったガラスは半透明な鏡の役割を果たしている。

「……姿形まで、そっくり同じもの、か」

 手で前髪を掻き上げた姿を、ガラスに映し出してみる。少し眉をしかめてみると、そこに現れたのは自分であって自分ではない姿だった。
 自分よりも濃いけれど、あかい色の髪。
 自分よりも厳しいけれど、同じ造形の顔。
 自分よりも低いけれど、とても良く似た声。
 それこそ鏡に映し出された姿であるかのように、自分と彼は良く似通っている。

 複製出来るのは、無機物だけではありません。家畜、魔物……人間といった生命体も、複製出来るのですよ。

「……なあ、アッシュ」

 答えは返ってこないと知りつつも、ルークは自分と同じ顔をした彼に呼びかける。
 7年前コーラル城に置き去りにされた、記憶の全く無い自分。
 コーラル城にあった音機関の、その機能。
 そして、自分と同じ姿を持つもう1人の男の存在。
 それもこれも、フォミクリーという技術の介在を許せばひとつの結論にたどり着く。

「俺とお前がそっくりなのは、偶然だよな」

 けれどそれは心のどこかで許せないから、ルークはあくまでその結論を心の中から排除した。そうでもしなければ、自分自身やっていけないような気がして。

「ご主人様、アッシュさんのことが気になりますの?」
「うわっ!?」

 唐突に足元から聞こえたキーの高い声に、慌ててばたばたと数歩後ずさる。声の主であるところの青いチーグルは、きょとんと大きな目をいつもよりも丸くして、じーっと主であるルークを見上げていた。

「て、てめーいつからそこにいたんだよ、ブタザル!?」
「いつからって、ご主人様がお部屋を出て行ったからボク、慌てて追っかけてきたんですの」

 半ば怒りの籠もった声にも、ミュウはいつものようにソーサラーリングを抱え上げながら答えた。恐らくはルークの言葉も最初から聞いていて、アッシュの名が出たために気になって尋ねたのだろう。

「はー……ま、いいか」

 ともかく、ミュウは純粋にルークのことを案じているのだと再確認して本人は溜息をついた。素直に答えるのが一番だと考えて、ルークはミュウの前にしゃがみ込む。

「気になると言えばなるんだよな。何せあれだけ俺とそっくりだし」

 チーグルの仔に対し、ルークは嘘をつく気にはならなかった。純粋な眼を向けてくれるミュウに事実でない言葉を向けるのには、何だか罪悪感が湧くから。

「でも、ご主人様の方が優しいですの」
「んなっ」

 にこっと無邪気に笑いながらそんな台詞を平然と吐くミュウを、思わずルークは床へと押し付けた。何かとしてしまう同じ行動に、掌の下から漏れる潰れた声もこれまた同じもの。ここにティアがいれば早速ルークを非難して手の下からミュウを救出するところまでが、ほぼ一連のパターンとして確立しつつある。
 そのパターンを脳内で辿っていたルークが、「あ」と声を上げて立ち上がった。床に顔面を押し付けられていたミュウが圧力の消失に気づき、むくりと身体を起こして主に問う。

「あれ、ご主人様何処行くですの〜?」
「ティアんとこ! 用事思い出してさ」

 慌てて踵を返しかけたルークを追いかけて、ミュウは短い足で彼の足元に駆け寄った。爪先にちょんと乗り込んで、精一杯に腕を広げながら自己主張してみせる。ティアはミュウにいつも優しくしてくれるため、ミュウもすっかり懐いているのだ。

「みゅみゅ〜。ティアさんのところなら、ボクも行くですの〜」
「え〜……ま、いいか。大人しくしてろよ?」

 しばし考えて、ルークは頷いた。それから歩き出すと、その足元をちょこちょことミュウがついてくる。小さな身体でルークを見上げながら、彼はもう1つ素直な疑問を口にした。

「はいですの。でもご主人様、ティアさんに何の用事なんですの?」


 ローレライ教団の導師ということで別室を割り当てられたイオンと彼に付き添うアニス、そして女性ということで個室を割り当てられているティアが部屋を出ると、室内に残されたのはジェイドとガイの2人だけになった。すっかり冷めてしまった茶を一気に飲み干すと、ガイは椅子に座ったままのジェイドの前に立った。

「旦那」

 ガイだけが使うジェイドの呼称に、顔を上げる。普段見せている笑顔よりも幾分柔らかな表情にもガイは反応することなく、言葉を続けた。

「ルークに関係あるって、そういうことだったんだな」
「はい」

 ジェイドは頷いた。気づいたのか、などと問い返すことはしない。わざわざ問わずとも、ガイの表情はジェイドの推測を裏付けるようにつらさを浮かび上がらせている。
 つらさ。
 ジェイドは、ガイがその感情を持ってくれたことに声に出すことなく感謝した。
 『記憶』の中にいたガイは、ルークがレプリカであることを知っても彼に対する態度を変えることは無かった。ずっと付き添っていたミュウとティアの次に、ルークの元へ戻っていったのもガイだ。その後に合流したのはジェイド自身だったが、それはルークではなくガイの助力が必要となったから。ナタリアとアニス・イオンが合流し自分がルークに好意を抱くようになるまでは、その前に集った2人と1匹がその心の支えとなっていた。
 今目の前にいるガイは『記憶』のガイとは違う存在だが、それでもルークに対する感情は同じだとジェイドは思っている。もしくは思いたいという願望なのかも知れないが、少なくともこのガイは彼の願望を叶える存在ではあるようだ。

「あんたはルークを、どうしたいんだ。バルフォア博士」
「ルークという名前の1人の人間として、人生を生きて欲しいと思っています」

 だから、青年の問いにも穏やかな心のまま答えることが出来る。自身はきっとその答えを現実のものとするために、5年を遡ってきたのだろうから。

「その言葉に偽りは無いか」
「我が皇帝陛下の御名と、私自身に誓って」

 だから、この誓いは嘘ではない。ピオニーはジェイドの変化を見破り、その言葉を聞いて協力を約束してくれた。そしてジェイド自身は、そのために年月を遡ってきたのだから。

「ふん」
「……私は貴方にも、ご自身として人生を生きて欲しいと思っているんですよ。ガルディオス伯爵家嫡男、ガイラルディア・ガラン様」

 そうして、未だ知る要素が存在しないはずの青年の真名をジェイドは口にした。ホドで採取されたレプリカ情報の中にその名があったかどうかは今となっては思い出す気もないが、研究所の置かれていた領地を統べる主の嫡男の名を彼が覚えていてもおかしくはない。

「……っ!」

 ガイが息を飲むのは、予測された反応だった。仇たるファブレ公爵にも知られることなく来た事実を、この軍人は当たり前のように口にしたのだから。

「あんた、最初から知って……」
「誰にも言いませんよ。ルークとどう接したいのか、これからどう歩んでいきたいのか。決めるのは他でもない、貴方です」

 青年のかすれた声を遮るようにジェイドは答える。
 ルークがレプリカであるかどうか以前に、朱赤の髪の少年はガイにとっては仇の一族の1人である。だがこの頃には既に、ガイのファブレへの復讐心は薄れていたはずだ。そうジェイドは『記憶』を元に推測しており、故にその判断を最初から彼自身に委ねるつもりだった。


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