紅瞳の秘預言12 変化

 軽く頭を振り、顔にかかった長い髪を掻き上げてジェイドが立ち上がる。眼鏡を外しながら、ガイへと淡い笑顔を向けた。

「……済みません。ディストに打たれた薬がまだ少し残っているようです。先に休ませていただきますね」
「あ、ああ。俺はちょっと外出てる」
「お気を付けて」

 こんなとき、ガイはこうやって相手を気遣う。その心遣いがどこか息苦しくて、どうやってか吐き出したくなった。

「ああ、ガイ」
「ん?」
「ホドにあった研究所の所長は、私でした。ホドの崩壊は私のせいでもあるんです。だから、恨むなら私にしてください」

 余計なことを口にしてしまったかも知れない、と顔色を変えないままジェイドは考える。が、金髪の青年は一度じろりと彼を睨み付けた後ぷいと視線を逸らし、そのまま部屋を出て行く。

「……」

 ばたん、と扉を乱暴に閉める音がして、ジェイドは室内に1人きりになった。
 サイドテーブルに眼鏡を置き、上衣を脱いで型くずれしないようハンガーに掛けて吊す。インナーの襟元を緩めベッドに横たわると、それまでどこに隠れていたのか疲労が全身を覆い尽くした。怠くて動けないままジェイドは、ホドの『記憶』を頭の奥底から引きずり出す。
 ガイの故郷であるホドが崩落したのは15年前。それは嫡男の5歳の誕生日当日だったという。
 それ以前にマルクトはホドにおける譜術研究のほぼ全てを引き上げており、続いてフォミクリーに関する研究をも引き上げつつあった。しかしそれは間に合わず、ルークとアッシュの父親であるファブレ公爵が軍を率い攻め込んだ。
 研究の成果を抹消するために、キムラスカ軍を巻き込んでホドを消滅させると決めたのはピオニーの父である当時のマルクト皇帝。その命により、研究員はまだ少年だったヴァンデスデルカを音機関に繋ぎ、強引に疑似超振動を発動させた。その衝撃でホドのセフィロトにあったパッセージリングが崩壊ないし機能停止に陥り、支えていたセフィロトツリーを失ったことでホドの地は崩落したのだろう。超振動とホド崩落の衝撃は周囲の海域に津波を発生させ、アリエッタの故郷であったフェレス島は飲まれて滅んだ。
 ガイ、ヴァン、ティア、アリエッタ。同時に故郷を奪われた彼らはそれぞれに生き、そうして運命の糸にたぐり寄せられるかのように再び集まる。

 考えてみると、彼らの因縁も出所は私ですか。

 ホド崩落の命を下したのはジェイドではない。ガルディオス伯爵家を滅亡に追い込んだのはファブレ公爵であり、そのガルディオスを見捨てホド消滅を命じたのは先代皇帝。無理強いされたとはいえ実際に崩落させたのは、後に同様の方法でルークにアクゼリュスを破壊させることになるヴァンだ。
 だが、それらは元を探っていくとジェイドにたどり着く。彼の生み出したフォミクリーが全ての元凶であり、ホドの研究所を統べていたのは現地に入ったことが無いとはいえジェイド自身なのだから。
 それでも、世界をレプリカで塗り替えようとするヴァンの暴挙は見過ごすわけにはいかない。

「止めてみせますよ。元凶として、責任は取らなければなりませんからね」

 あまりにも増殖しすぎているその罪を全て負う覚悟で、ジェイドは自身にも聞き取れないほどの微かな声で呟きながらゆっくりと目を閉じる。ほどなく、その意識は闇の中へと引きずり込まれていった。


 イオンとアニスは、割り当てられた部屋で就寝の準備をしていた。イオンの寝床をぱたぱたと整えているアニスに、椅子にちょこんと座って様子を見ていたイオンが不意に声を掛けた。

「……アニス」
「はい? 何ですかぁイオン様?」

 くるりと振り返るアニスの表情は、いつもの脳天気な笑顔だ。けれどそれは、幼い頃からの苦しい生活が彼女に植え付けた処世術のひとつ。詳しいことをイオンはまるで知らないけれど、それでも今の彼女を縛る鎖があることは感付いている。

「貴方が、モースの命で僕を監視していることは知っています」
「え? な、なんのことですかっ!?」

 けれど、そのことを指摘するとアニスは顔を強張らせ、首をぶんぶんと横に振る。それはきっと、鎖に付けられた錘があるから。

「心配しないでください。恐らくはご両親のことだと思いますがきっと、ジェイドとディストが悪いようにはしませんから」

 確証は無い。だがイオンは何故か、心のどこかでそれを確信していた。ディストがアニスを大切な友人の1人だと認識していることを、イオンはあまりにも少ない接触の中で知っていたから。

「え、ええっとお……というか、何で大佐とディストの名前がそこに出てくるんですかぁ?」

 ぷう、と頬を膨らませるアニスの表情に、イオンはくすっと顔を綻ばせた。否定をしないということは、鎖と錘の存在を肯定しているということだろう。

「ディストは六神将ですし、ジェイドはディストとは幼馴染みだそうですから」

 彼女の問いに対するイオンの答えは、分かりやすいようで分かりにくい。きょとんと目を見張るアニスに、イオンは笑みを崩さないまま立ち上がって近づくとその肩をぽんと叩いた。

「さ、明日は船旅です。体調を整えないと船酔いしてしまうかも知れませんからね、今夜はゆっくり休みましょう」
「は、は、はいっ!」

 びくりと震えてしまうアニスの小さな肩が、どこか痛々しく見えた。


 ガイが部屋に戻ってくると、規則正しい浅めの寝息が出迎えた。ガイは寝息の主を確認すると、足音を忍ばせてその枕元へと歩み寄る。室内灯は光を放っているままで、故にその足元はふらつくことも無かった。
 ぐっすりと眠っているジェイドは、息をしていなければ精巧な細工の人形のようだ。昼間の出来事で疲れ切っているのか、ガイが肌に触れても眼を覚ます気配はない。

「……あんたは死にたいのか?」

 まったく感情のこもっていない、低い声で呟く。
 寝顔を見つめる青い瞳は普段仲間たちに見せているような暖かさを宿しておらず、冬の海のようにどこかどんよりと濁った冷たさを浮かび上がらせている。

「なら、お望み通りに殺してやろうか? 父上の、母上の、姉上の……死んでしまった皆の仇として」

 恨むなら自分と言っておきながらあまりにも無防備な寝顔を見せているジェイド。その余裕のありすぎる態度に腹を立て、ガイは寛げられた首へ手を伸ばした。そこで、ぴたりと動きが止まる。
 眠り続けるジェイドの白い首元。そこにはうっすらと、誰かに素手で首を絞められた時のような赤い痕が残っていた。
 実際にはジェイドがディストの手を取って無理矢理に絞めさせた痕だが、それをガイは知らない。
 単純に見れば殺されかけた痕跡にしか思えないそれを、ガイの指先がそっと撫でた。
 余裕がありすぎるのではない……むしろ逆なのだと、そのときガイは何故かそう思った。

「旦那。あんたが死にたいのは、罪の意識からか?」

 答えが返ってこないことを分かっていて、その寝顔に問う。
 軍人である……それも『死霊使い』の名で呼ばれるジェイドが、人を手に掛けることに対して罪の意識を持っているという事実をガイは認めようとは思わない。彼が己の身を以てルークを庇うのも、ルークがキムラスカの王族であるからだろうと推測している。
 それでも、ジェイドがルークを守っていることに違いはない。その結果、心身に傷を負っているであろうことも。
 ガイは、我が子のように思っている少年を生命を賭して守っている存在に、害を加えることは出来ない。例え仇であっても。
 それに。

「……出来るかよ。あんたを殺しても、誰も帰って来ないのに」

 ぽつりと青年がこぼした言葉が、闇の中に意識を沈めているジェイドに届くことは無かった。


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